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<宇宙線>古墳内部を調査 名古屋大研究グループ

『◇奈良・石神古墳で空洞確認

 名古屋大の研究グループが、物質を透過する力が非常に強い宇宙線
 「ミューオン」を使って古墳の内部を探る全国初の試みを奈良県内の古
 墳で始めた。エックス線写真とほぼ同じ原理で、飛来するミューオンの
 軌跡を写す高感度フィルムを解析し、古墳内部の空洞を捉えることに成
 功したという。宇宙科学と考古学の融合といえる技術が確立すれば、人
 が立ち入れない古墳の石室確認などに役立ちそうだ』



小生。。レーザー調査のときにも
 歓喜したものであるが。。それ以上か


宇宙線<ミューオン>による古墳調査

歴史とは。。古代史とは。。雅であり
 どことなく、あやふやで謎なのが良い
  という意見が存在するのは知っている


何も、皇室や豪族の財宝を
 掘り散らかしてというのではない


真の歴史研究は必要なのだ
 現在の宮内庁の古墳・陵墓比定
  天皇陵でないものをそうと言い。。

   事実上天皇陵ではないか!という
    古墳・墳墓を一般墓扱いするような


そんな行政を放置するぐらいなら
 天皇陵かそうでないか、あるいは
  天皇陵の可能性が出て来た!とか
   むしろ夢が膨らむ余地が出てくる訳だ





『奈良市で6日まで開かれた日本文化財科学会で発表した。調査している
 のは、名古屋大大学院理学研究科の石黒勝己・技術補佐(28)ら。火山
 のマグマの位置や原子炉の内部などを探査する手法「ミューオンラジオグ
 ラフィー」を応用した。

 ミューオンは物質を透過する力がエックス線よりも強く、1キロ程度の幅の
 ものまで透視できる。古墳内に空洞があるとミューオンは透過しやすい。
 古墳を貫いたミューオンを、古墳のそばに置いたフィルムで捉え、飛来角
 度と飛来数を解析することで古墳内の空洞の大きさが計算できるという。

 実験現場は奈良県大淀町の石神古墳(7世紀)。標高約280メートルの
 丘陵頂部にある円墳(直径約23メートル、高さ約4メートル)で長さ10メ
 ートル、最大幅2メートル、高さ最大2.1メートルの石室がある。10センチ
 ×12センチのフィルムを古墳近くに3月から1カ月間置き、顕微鏡を用い
 た自動装置で、約5万本あったミューオンの軌跡を読み取った。結果、石
 室がある部分と無い部分をほぼ検出できたという』

『石黒さんは「フィルムの設置数を増やせば、より精度を上げられる。今後は
 石と土の違いを見分けることなどを目指し、技術を確立したい」と言う。実験
 や発表に参加した奈良県立橿原考古学研究所の西藤(さいとう)清秀・技
 術アドバイザーは「古代日本の研究に欠かせない大型古墳は人が入れな
 い所が多い。埋葬施設の有無など、この手法で新しい知見が得られること
 が期待できる」と話している』



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≪プロパガンダ・扇動を打ち破り、真の歴史解明への第一歩か≫<邪馬台国畿内説がトーンダウン>【纒向遺跡はヤマトで。。箸墓古墳は王権擁立のキングメーカー墓】


ここ長らく、幅を利かせてきた
 邪馬台国畿内説であはあるが。。


箸墓古墳について
邪馬台国の女王・卑弥呼との関連

政権トップの大王(天皇)の墓とも

併記し出しているね。。(笑
 畿内説のトーンダウンを
  見逃す訳にはいかないのだよ


奈良県桜井市
 箸墓古墳 巨大前方後円墳 
  3世紀半ば~後半築造推定
   全長276mとも280mとも
    最近、さらに巨大になる見込み
    との指摘もあり、300mに達する
     可能性が出てきているようだ


皮肉にも。。その巨大さが
 邪馬台国卑弥呼墓の可能性を
  より否定してしまっている訳で


奈良県桜井市の
 大集落遺跡 纒向遺跡

歴史・考古学界に
纒向遺跡は邪馬台国である
 という壮絶なプロパガンダ
  が張り巡らされているようだ


プロパガンダは、政治・マスコミ
 特有のものではなかったのである


誰によるプロパガンダか。。
 邪馬台国畿内説を唱える
  考古学・歴史学者群である


邪馬台国とはいったいどこなのか
 九州説と畿内説が激しく論争
  それは百数十年に及ぶが結論出ず


小生。。邪馬台国が
 九州なのか畿内なのか
  さほど興味は無い。。   

場合によれば、中国・朝鮮半島
 の可能性もあるという学説も
  目にしたことがあるぐらいだ


小生の感覚・知識による
 見解は何度も述べている

纒向遺跡は
 ヤマト王権発祥の地だ


小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!
という見解を
   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた


纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓

  という説の登場により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m


日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された

との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造

との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者

それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い


纒向遺跡は、邪馬台国にあらず
 箸墓古墳は、卑弥呼墓にあらず


また、ヤマト王権も
 力で樹立され、勃興したのではなく
  吉備・出雲・越・伊勢・東海
   など強国に御輿のように
    担がれ、擁立された王権と思われ


【弥生時代】<邪馬台国論争が邪魔する歴史究明>≪日本列島内の力関係・主導権争い≫

鉄器・青銅器・土器
 恐らく、大陸・半島に近い
  北部九州に伝わった

つまり、弥生時代。。紀元前
 には、日本列島内の先進国は
  北部九州だったといえる訳だ


その技術が。。文化が
 次第に列島東部へ伝播
  九州から東北まで普及


この時代が下るにつれて
 紀元前後から西日本・山陰
  同盟が瀬戸内海ルートを
   押さえることにより。。

    また、その他生活文明

諸事情により
 力関係が、北部九州圧倒的
  から、西日本(吉備・出雲)
   へと移って行ったということか


そして、紀元3世紀
 ヤマト勃興となる訳だ


そのヤマト勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと


この辺りは、日本の曙
 しかし、ヤマト勃興へ至る
  紀元前後から3世紀の間に
   邪馬台国論争という邪魔が


何故なら、邪馬台国論争
 九州VS畿内、しかし!!
  本当に日本なのか!?


それ以上に重要なことは
 いわゆる邪馬台国時代より
  以前。。紀元2世紀前後なのか
  

西日本(吉備・出雲)が
 超強国として君臨したらしい
  ことも囁かれており。。
  

そのインパクトは
 邪馬台国の比ではない
  と充分に考えられる。。
   

女王卑弥呼よりも
 吉備の大王の方が遥かに
  大物ではないのだろうか


超古代。。邪馬台国・卑弥呼
 ヤマト以前の日本では
  これ以外に世界に誇れる
   有名・著名が存在しない


これが原因に違いない
 邪馬台国も卑弥呼も
  どの地域に関連しようと
   さほど誇れないにも拘らず


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歴史上の事実を論理で争う
 これは良い、仕方がないが

  プロパガンダ・扇動により
   声の大きい見解が支配して
    他の貴重な可能性を押し潰す


百害あって一利なし!

プロパガンダや扇動の入り込む
 余地を許さないためにも、最低限
  正確な測定・調査が必要であって
   それに宇宙線が寄与すると信じている







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