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<典子さま婚約内定>ひかれ合って7年…千家さんと会見

『「縁結びの神様」として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を
 祭る出雲大社(島根県出雲市)で顔を合わせてから7年。高円宮家の次
 女典子さま(25)と出雲大社祢宜(ねぎ)=宮司(ぐうじ)の補佐役=の
 千家国麿(せんげ・くにまろ)さん(40)は、記者会見で婚約内定までの
 プロセスを問われ、何度も「自然に」という言葉を繰り返した。女性皇族と
 しては9年ぶりとなる慶事は、家族ぐるみの「縁」をゆっくり育んだ結果だ
 った』



あの人の娘さんが早くも結婚。。
 高円宮典子女王。。実は初視野入り


現代皇室にあって
 スポークスマン的存在と
  いって良かった
高円宮憲仁親王
   その次女にあたるという。。


高円宮は、三笠宮崇仁親王
 の三男。。三笠宮は昭和天皇の弟
  健在であり、御歳今年99歳


つまり昭和天皇の甥、今上天皇の従弟
 その親王高円宮。。若くして心室細動で
  亡くなられたあの方の娘さんにあたる訳で。。


一方の千家国麿氏
 出雲大社の禰宜。。神職
  代々宮司を務める千家家長男




『典子さまは「こちらの希望で国麿さんには大変長い間お待たせをしてしま
 ったので、少し申し訳なかったかしら、と思っております」とはにかみなが
 ら振り返った。

 また、プロポーズの言葉を問われ、緊張した様子の千家さんが言葉に詰
 まると、典子さまが「ありませんでしたね」と助け舟を出し、顔を見合わせ
 て笑う場面も。

 千家さんは出雲大社の宮司を務める家系で、「私どもの家の初代が皇祖
 天照(あまてらす)大神(おおみかみ)の次男と伝えられています。2000
 年を超える時を経て、今日という日を迎えたことに深いご縁を感じていま
 す」と話した』



近代皇室。。その結婚相手
 ともなれば。。明治天皇以降を
  ザクッと調べてみても。。。


美智子皇后の正田家。。大企業
 オーナー家、現在では昭和の新貴族
  といわれる。。が、当時は相当話題に


皇族。。旧公家・武家・豪族家系
 がズラリと並ぶのは当然であって
  この千家家も、辿れば皇室とは
   幾重にも結ばれているようである


何より、出雲大社の宮司家
 皇室は、神道の。。であるから
  なるほど!やっぱりなぁ。。と納得


しかし、別の意味で歴史。。いや
 神話の因果すら感じてしまうのである



千家国麿氏が、「私どもの初代」
 と紹介した。。天穂日命であるが
  出雲国造家の祖先とされている神
  
天穂日命は、皇祖神天照大神の
 子。。次男らしい、ということは。。
  我々人類の概念で言えば、系図上
   皇室とは早くに別れた家系といえてしまう


しかしながら、出雲国造家即ち
 出雲の人!なのだ!!この出雲
  出雲大社。。に限って良いのかどうか
   つまり皇室の祖先とは、神話上でも
    微妙な関係。。因縁めいた関係である

   
最初に断っておくが、日本神話とは
 古事記・日本書紀。。さらに各風土記
  非常に、登場人物(神々他)の関係や
   年代・時代が特定し難く。。更にはある
    神が別名に転じてしまい、深く絡めば
     たちまち迷路に袋小路に入り動けなく


よって、緩~~く!いきたいので宜しく
   
皇祖神天照大神といえば伊勢神宮
 皇室の祖先を祀る天皇のお宮であり
  皇室とその祖先崇拝から、日本の鎮守


出雲大社の祭神は大国主神
 古代から平安時代前期までは
  大国主が。。しかし中世から
   江戸時代はじめぐらいまで
    スサノヲが祭神とされ。。その後
     再び大国主神に戻っている


スサノヲというのは、神話上
 大国主の親だとか祖先だとか
  また、天照大神の弟とされており


ということは、大国主神は天照大神
 の甥であり、弟の末裔ともなってくる


しかし、これがまた。。神話上
「葦原中国平定」神話で、天照大神
 から遣わされた神々が大国主神に
  国譲りを迫るという場面があるが


これは、ヤマト王権つまり皇室の祖先
 の勢力が、出雲を征服して奪うという
  思想に基づいて創作された話という説


しかもこれは、神話=日本書紀の編纂
 総責任者という藤原不比等が、まずは
  自らの家系の厚みと尊さを、そして
   皇室=ヤマト王権の強さを創作した
    という説も、一方で存在しており
     これは、ほぼ定説と考えられる訳で


小生。。。何度も言っているが
 吉備・出雲。。そして越、東海、畿内
  弥生時代当時の強国が御輿のように
   担いでヤマトを王権を擁立した!という
    ことは考古学的にもほぼ証明済みだ


つまり、出雲はヤマト王権勃興の
 キングメーカー勢力の有力な一国
  吉備・出雲からヤマトへ王権を建てた
   それが、いわゆる大和朝廷とされ。。。


また出雲には独自の神話が存在
 各地に風土記があって、中央の神話
  とは違った説話などもあるようだが
   特に出雲には、強固に連綿と誇り
    に満ちた神話が存在してきた訳で


また、近代でも。。
神道とはズバリ伊勢神宮系であり
 出雲派教義を明治期遠ざけたため
  そのしこりは今も存在しているらしい

            (ウィキペディア)


現在、日本の殆どの。。
 名の知れた神社は神社本庁
  傘下であり、出雲大社もそうだ

また、神社本庁傘下に入らない
 神社が、神社本庁=神道主流に
  反逆ということではなく。。
歴史に
   彩られた経緯を考えればヤマトと出雲


ヤマトは、伊勢神宮に受け継がれ
 その神宮を頂点とする神社本庁が
  神道を司っているといえる主流とは
   幾分違った気分で歴史を刻んできた


それが出雲。。そのシンボル出雲大社
 こういえるのではないだろうか。。
ただ!


吉備・出雲勢力が
 ヤマトに服従した
というより
  キングメーカーとしてヤマト擁立


こう理解した場合。。面白い
 いや、驚くべき神話上のキーマン
  の凱旋があることを付け加えておく




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【ヤマト建国物語】<偉大なる建国者であり、開拓者!>≪同一神である伊勢津彦と諏訪大神≫は。。【伊勢から日本列島大半を支配下に治めている】


神奈川県座間市。。相模国の神社
 鈴鹿明神社
祭神は
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
素戔鳴尊(すさのをのみこと)

とはなっているが。。
それは表向きのことではないか

神奈川県隣の海老名市。。同じく相模国
有鹿神社(あるかじんじゃ)

祭神
有鹿比古命アリカヒコノミコト
有鹿比女命アリカヒメノミコト
大日靈貴命オオヒルメムチノミコト別名天照大神



「鈴鹿明神社」の由緒に
伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、
にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着
となっている
伝説として
有鹿神と鈴鹿神が争った際、
諏訪明神と弁財天の加勢
により鈴鹿神が勝利し、有鹿神は
上郷(海老名)に追いやられ・・・


ここにいう諏訪大神(諏訪大社)は
建御名方神
(タケミナカタノカミ)

日本神話古事記
国譲り神話。。大国主神の子として登場

建御雷神に追われた
建御名方神は、出雲から諏訪へ

諏訪大神こと
建御名方神が建御雷神との力くらべに
負けて出雲から諏訪に逃げる際に一時的に滞在
していた地は ・・・大鹿村

これは、中央構造線に通じる


伊勢の鈴鹿郷の神社例祭
 ・・・漂流して相模国に
というのは
「伊勢=鈴鹿の神」を信じる人々が、
なんらかの理由で伊勢の方からこの座間に

と置き換えることが出来る



そして、同じく
伊勢国 風土記逸文「伊勢の国号」には
伊勢国の国名の由来ともなった
出雲神の子 出雲建子命。。別名
・・・伊勢津彦

今では
伊勢に伊勢津彦は殆ど祀られていない。。
伊勢に土着の神 伊勢津彦を
 永らく遠く崇拝していたのは。。


この伊勢津彦も、
戦いに破れて信濃に逃げたことに。。

そして伊勢津彦も大国主神(出雲神)の子

さらに信濃へ。。

つまり、同一神だといえる


伊勢の方では、また別のドラマ
神武東征の際、伊勢を治めた天日別命
によって、伊勢を追われた伊勢津彦ではあるが

入れ替わった!!

さらに天日別神は猿田彦命とも重なり
伊勢津彦は猿田彦命とも繋がる

また10代崇神天皇に絡み、
大物主神(大国主神)の子として登場の
大田田根子を通して、吉備津彦とも関連
大国主神の子だったのか!!

御代は、一代ほど変わったとしても

津彦とは。。
 国造(地方の王)に続々任ぜられた

ヤマト勃興建国に関して
 吉備・出雲・伊勢、東海が
  御輿のように担ぎ。。

出雲から伊勢。。ヤマトを通過
 さらに逆コースを辿ったことに

ヤマト建国の一族が伊勢へ。。



『先代旧事本紀』国造本紀
相模(相武)国造は武蔵国造の祖、
伊勢津彦の三世の孫、弟武彦から出た

同じく国造本紀
武蔵国造(无邪志国造)は出雲臣の一族、
兄多毛比命を祖とする
菊麻国造には、兄多毛比命の子の大鹿国直が

で、前掲の
『伊勢国風土記』逸文
伊勢津彦は出雲の神の子で、別名を出雲建子命
相模・武蔵の国造は出雲氏の一族であると共に、
伊勢津彦の裔であったと解釈可能

伊勢津彦とはいったい。。

伊勢津彦と。。吉備津彦だけでなく
 倭姫。。最後は、ヤマトタケルに繋がる

大鹿国直・・さらに大鹿村との関係は。。



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また、蛇足ながら千家国麿氏は
 大国主神様のお導き
  このような素晴らしい縁談

みたいなことを言っていたが。。
 何故、天照大神の弟スサノヲでは
  なく。。中央神話では
   (スサノヲの)息子・末裔説も。。
    諸説ではスサノヲとは無関係!!説


出雲の大王・大帝ともいわれる
 大国主神の名を出したのだろうか。。


小生。。この素晴らしい縁談
 心よりお慶び申し上げる気持ち
  ただ、神話・古代史の観点から
   非常に興味深く拝聴した次第である


まだまだ深く、長く続きそうだが
 今回はこれぐらいにしておきたい




    
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