出羽三山の開祖・蜂子皇子像初公開 山形県内で秘仏ご開帳めじろ押し

『修験で知られる出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の開祖、蜂子
 皇子(はちこのおうじ)の像が17日、鶴岡市の出羽三山神社で、
 関係者に披露された。像はこれまで長く人目に触れることがなか
 ったが、29日から初めて一般公開される』

『蜂子皇子は蘇我氏に暗殺される第32代崇峻(すしゅん)天皇の
 子とされる。蘇我氏の討伐を逃れるために都を離れ、593年に
 開山したという。

 像は江戸時代初期まで羽黒山の国宝、五重塔内に安置され、16
 19(元和5)年には山頂に建立されたお堂(現在の蜂子社)に
 移った。それまでは拝観されていたが、明治になって神仏分離の
 廃仏毀釈(きしゃく)で非公開となったという。

 今回の公開は、12年に1度の「羽黒山午歳御縁年(うまどしご
 えんねん)」という特別な年に当たることと、東日本大震災の被
 災地の多くの信者らに生きる力を与えたいという神社側の思いか
 ら実現した。

 蜂子皇子の姿は民の苦しみを背負ったため「顔はみにくく、口は
 大きく耳の根元までさけ…一尺もある異様なお姿だった」と文献
 にある。この日のお披露目では「秘中の秘」とされる像のため直
 接の写真撮影は許されなかったが、実際の像は文献に記載された
 様子とは違い、柔和な表情を浮かべていた。

 宮野直生宮司(66)は「(被災地に)力を授けるとともに、地
 域の振興にも役立てたい」と話した。9月30日まで公開される』



出来ることなら、観てみたい
 蜂子皇子の像が、一般公開か


羽黒修験の開祖
 崇峻天皇の皇子 蜂子皇子


小生も。。何かの肖像画で
 みた記憶があり。。

顔はみにくく、口は
 大きく耳の根元までさけ…


正にこの異形が、鮮明に
 印象に残っているが。。実は?
 

実際の像は文献に記載された
 様子とは違い、柔和な表情。。


ここで、ふと。。もしや
 この蜂子皇子もまつろわぬ。。
  勝者の歴史によって葬られた?
   という考えが浮かんできた


どういう訳か、蜂子皇子の父
 32代崇峻天皇というのは
  印象薄く。。虚構説もあるのか


崇峻天皇の異母兄は、
 第31代用明天皇。。つまり
  聖徳太子とは従兄弟同士にあたる


ただ。。このあたり、記紀神話編纂前
 の時代であり。。特に日本書紀は
  その編纂総責任者藤原不比等の思惑
   勝者の歴史であり。。極めて謎多く


聖徳太子(厩戸皇子)
 崇峻天皇。。そして蜂子皇子
  一応、公式の皇室系図上でも
   大豪族蘇我氏の強い影響下に
    あったと想像がつくのである


藤原不比等の思惑
 天武天皇から命ぜられ編纂
  皇室賛美というのは表向き


天武天皇崩御から数10年後
 の8世紀に完成しており。。
  その間、不比等の思惑で皇室
   よりも藤原氏賛美に変化の説


藤原氏賛美の手段として
 その最も大きな成果は。。
  蘇我氏の存在矮小・悪役化とも


矮小・悪役化して、あれだけの
 影響力残る皇室系図をみれば
  元はいったいどれほどだったのか


少なくとも、蘇我氏系ともいえる
 崇峻天皇。。蘇我系皇族といえる
  聖徳太子や蜂子皇子。。さらには


蜂子皇子より少し後の人
 修験道開祖とされる役小角
  いずれも虚構説が散見される


しかし、そう簡単には
 その存在が否定されたら
  大変なことになる訳である


全国的に有名な聖徳太子。。
 羽黒三山開山、蜂子皇子。。
  修験道開祖、神変大菩薩
   役小角。。信仰に深く関わり
    そして日本の天皇(大王)だ


この辺りの時代。。少し前か
 について、小生触れたことがある
 



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<勝者の歴史>。。≪日本神話が根底から覆る可能性≫【伊勢の謎の豪族に関わる神社】・・・《三重相鹿上神社》
   

欽明天皇は、第26代継体天皇の子
 つまりこの継体天皇が古代日本の
  新王朝という説が、大きくなっている

この継体天皇は謎多き人物
 前王朝の皇女を后として
  つまり政略結婚で、各豪族の
   信認を得ることに成功した

一方で、他の后も。。
 これが尾張氏出身の模様

その子である欽明天皇は
 前帝宣化天皇(異母兄)の
  皇女を皇后とする
   母は、尾張氏系か。。

次代、子の敏達天皇ともに
 妃に蘇我氏の皇女を娶り
  つまり欽明・敏達は蘇我氏
   に近い、また推古は欽明の
    皇女であり、母は蘇我氏系

日本の豪族は
 皇室を御輿に担ぎ
  しのぎを削りあい


葛城氏、平群氏、大伴氏
 そして物部氏、蘇我氏。。
  まだまだ更に古い氏族も
   多々存在した。。


蘇我氏を母に持つ用明の子
 聖徳太子は蘇我氏系の皇族

欽明の皇后は、  
 尾張氏系、妃は蘇我氏

敏達の皇后は
 推古であり、後に即位
  しかし、最初の皇后は
   
何と!!謎の大豪族
 息長氏からどうやら
  娶ったようなのだ  
   資料少なく謎とされる


そして、その第一皇后と
 の間に押坂彦人大兄皇子
  かなりの人望・実力者
   古代史のキーマンの一人


また、敏達は第二皇后推古
 以外に伊勢の謎の豪族の娘
  を采女として迎え。。


その采女との間に出来た
 皇女糠手姫皇女と前掲の
  押坂彦人大兄皇子の間に出来た
   皇子が、後に第34代舒明天皇


その皇子たちが、天智・天武天皇だ
 よく天智系とか天武系とか
  この両系統が、とも舒明天皇皇子

今日は、このぐらいにしておく
 非常に複雑怪奇。。ややこしい

ただ。。。古代史のキーマン
 押坂彦人大兄皇子と聖徳太子
  はほぼ同時代、太子が後なのだ
   この皇子は、聖徳太子と同程度
    の地位を保っていたという説が

この辺りは、古代史の
 ターニングポイント、謎
  今後、小生の生涯テーマ
   となってくる予定である




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崇峻天皇。。聖徳太子。。
 そして蜂子皇子の存在は
  蘇我氏の皇室関連系図の
   ど真ん中に位置するとも
    いって良い訳であり


勝者の歴史、日本書記が
 蘇我氏矮小化という砦を
  崩されてしまえば。。


そこに関連。。端緒として
 尾張氏。。さらには息長氏
  という皇室に匹敵する権勢
   ともいわれる、超大豪族が


日本神話の壁により
 封印されてきた長い
  1300年の沈黙を破り


さらには、大小の、中央・地方の
 豪族家系。。その系譜までもが
  芋づる式に。。続々と現代にその
   姿を現す!と考えられなくもない




第26代~37代天皇系図  
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