築城以前の遺物初出土 木津川の鹿背山城跡

『木津川市教育委員会は19日、奈良の興福寺が築き、戦国時代
 に山城に改修された鹿背山城跡で、築城より古い13世紀前半
 の別の遺跡の存在を示す遺物が初めて見つかったと発表した。
 市教委は「城の前身である鹿山寺(かせやまでら)の一部の
 可能性が高い」としている。
 調査は、城の範囲確認を目的に実施した。城の中心施設の一つ
 第2主郭の南端を掘削したところ、15世紀後半から16世紀
 前半に、約800トンの土を使って作ったとみられる大規模な
 盛り土が見つかった。高さは最大1・5メートルで、その中か
 ら13世紀前半の瓦器椀(がきわん)や土師器(はじき)の皿
 、須恵器の鉢の破片がまとまって出土した。
 鹿背山城の前身は大乗院寺社雑事記の記述などにある興福寺の
 末寺「鹿山」と見られる。興福寺の寺だったが、15世紀後半
 から16世紀前半に山城へ改修されたと考えられてきた。近く
 の西念寺が所蔵する文献にも、14世紀前半の「鹿山寺」に関
 する記述がある。
 築城以前の遺物の出土は初めてで、市教委は「文献より古い、
 鎌倉時代にさかのぼる何らかの施設があったことを示す大きな
 成果。寺に関する集落か施設ではないか」と推測する。鹿背山
 城発掘調査委員長の村田修三・大阪大名誉教授(城郭史)は
 「鹿山寺の一部だった可能性が高い。ただ、周囲の地形や平坦
 面の広さから、防御施設や寺の中心的な建物ではなく生活に関
 連する施設だったのではないか」としている』




京都府木津川
 鹿背山城。。戦国武将松永久秀築城
  松永久秀は、三好氏家臣
   三好三人衆と共に室町幕府第13代将軍
    足利義輝を永禄の変で殺害し、畿内を支配


さすが。。戦国時代
 出自不詳ながら。。すごいヤツが。。

  この松永久秀は、奈良時代からの強者
   興福寺を破って大和国支配。。のちに
    織田信長家臣となったとされている


その鹿背山城の前身が、鹿山寺(かせやまでら)
 あの藤原氏氏寺で。。僧兵を擁し、お上すら
  手こずらせた強者寺院。。興福寺の末寺。。


興福寺といえば、今や奈良の観光資源
 しかし、平安時代には春日社の実権。。
  大和国一国の荘園のほとんどを領して
   事実上の同国の国主という存在。。


比叡山延暦寺とともに
「南都北嶺」と称せられ
  強大寺院勢力の双璧だったらしい


鎌倉・室町時代でも。。幕府は守護を置く
 ことができず。。大和国は実質的に
  興福寺の支配下にあり続けたという。。


戦国時代以降、織田信長・豊臣秀吉に屈した
 とはいえ。。その勢力の強大さは歴史に
  偉大なる1頁を深く刻んでいるのは間違いない
関連記事
スポンサーサイト
TrackBackURL
→http://y366158.blog.fc2.com/tb.php/739-b7de3cdd