古事記で再発見 「神様は何でもお見通し」は間違いだった?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131104-10000029-webhon-ent

『幼いころ、何か悪いことをしたときに「神様は何でもお見通しだよ」と
 叱られた記憶はありませんか。それは、「いつだって神様が見守ってく
 れているもの」という思いの裏返しでもあると言えるでしょう。

 ところが、日本の神話の世界を描いた『古事記』をひもといていくと、
 必ずしも「神様は何でもお見通し」とは言い切れないことがわかります
 。『現代語古事記 神々の物語』から、こんなエピソードをご紹介しま
 しょう。天の国である高天原(たかまのはら)が、地上の国である葦原
 中国(あしはらのなかつくに・現在の日本列島とする説も)の支配権を
 大国主神(おおくにぬしのかみ)から受け継ぐ「国譲り」のなかでのお
 話です』




これは小生でも見当がつく
 神様。。十把一絡げに
  言ってはならないということ


神様は何でもお見通し
 この場合の神様とは。。
  主よ。。たとえば
ユダヤ、キリスト、イスラム教での
 主。。神(ヤハウェ / アッラーフ)
  といってしまえば。。違和感もある?


でなければ。。お天道様
 の部類だ
  小生も昔、疑問を持った
   ヤマトタケルが伊吹山の神に
    この後者の神を指しているのでは?





『このエピソードをもとに、同書ではこんな解釈を添えています。

 「『古事記』のこの部分から、我々は衝撃的なことを知ることになり
 ます。どうやら高天原からは地上世界のことがよく見えないようです。
 鳴女(なるめ・雉を指す)は国譲りの使者ではなく、天若日子の様子を
 知るために派遣されたものでした。高天原から葦原中国が見えていたら
 、鳴女を派遣する必要はありません。しかも、血の付いた矢が高天原に
 飛んで来ても、天つ神はまだ天若日子が裏切ったことを見抜くことがで
 きませんでした。だから、呪術をかけて矢を引き返したのです。(中略
 )一口に『神様』といっても、八百万の神(やおよろずのかみ)がおい
 でですから、国つ神(くにつかみ)は地上世界を見ることができるでし
 ょう。しかし、少なくとも高天原においでの天つ神からはあまり見えな
 いようです。よく『神は必ず見ている』といいまずが、『必ず』とは決
 して言い切れないことが分かります」

 このように、天の国の神々ですら地上の神々の様子をよく把握できてい
 ないのではれば、私たち人間の様子など、余計に分かりにくいと考える
 べきなのかもしれません』




明治以来、国家神道で無理やり
 教え込まれたということなのか

八百万の神々。。天照大神
 という概念は根付いていただろう


スサノヲ。。大国主。。
 このような有名な神は
  言い伝わっていたとしても

天つ神。。国つ神
 しかしそんなことまでは
  根付いていない、知らない

日本神話の神々は人間
 であり、皇室・豪族の祖先だ





『だからこそ、日本人は昔から神社へ参拝し、日頃の感謝やお祈りを捧げ
 てきたのでしょう。逆にいえば、いつも感謝の念を抱いているからとい
 って、ただ思っているだけでは神様にはなかなか伝わらないということ
 でもあります。古事記には、こういった日本人の習慣の根拠となるエピ
 ソードも多く、読むとハッと気づくことがあるかもしれません』




大昔のことなので
 断言など到底出来ないが


神様というのは
 道徳原理であり人間ではない


神社へ参拝して
 天照大神やスサノヲは
  知っていても、天児屋根命
   は知らない。。とか


ヤマトタケルは有名でも
 四道将軍までは頭に入っていない


日本神話よりも賛美歌が
 根付いていたなどとは言えない


しかし、主よ。。
 この万物創造主・全知全能の神
  の考え方は、どこか日本に
   伝わっていたのではないだろうか
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