鈴鹿長宿地区で竹灯りの夕べ、1200の灯籠で幻想的な風景演出/座間

『座間市入谷の鈴鹿明神社近くの鈴鹿長宿地区で、「鈴鹿長宿竹灯(あか)りの
 夕べ」が12日夜、行われた。竹やペットボトルなどで作られた約1200の
 灯籠が境内や住宅街の道沿いに置かれ、幻想的な風景を演出した。

 夕べは3回目。同神社は古墳時代の531年の建立という伝承が残る。自治会
 などによる実行委員会が「古くから続く地域を盛り上げ、地域外からも人を呼
 び込みたい」(吉川正昭委員長)と企画した』




神奈川県座間市。。相模国の神社
 鈴鹿明神社
祭神は
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
素戔鳴尊(すさのをのみこと)

とはなっているが。。
それは表向きのことではないか

神奈川県隣の海老名市。。同じく相模国
有鹿神社(あるかじんじゃ)

祭神
有鹿比古命アリカヒコノミコト
有鹿比女命アリカヒメノミコト
大日靈貴命オオヒルメムチノミコト別名天照大神



「鈴鹿明神社」の由緒に
伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、
にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着
となっている
伝説として
有鹿神と鈴鹿神が争った際、
諏訪明神と弁財天の加勢
により鈴鹿神が勝利し、有鹿神は
上郷(海老名)に追いやられ・・・


ここにいう諏訪大神(諏訪大社)は
建御名方神
(タケミナカタノカミ)

日本神話古事記
国譲り神話。。大国主神の子として登場

建御雷神に追われた
建御名方神は、出雲から諏訪へ

諏訪大神こと
建御名方神が建御雷神との力くらべに
負けて出雲から諏訪に逃げる際に一時的に滞在
していた地は ・・・大鹿村

これは、中央構造線に通じる


伊勢の鈴鹿郷の神社例祭
 ・・・漂流して相模国に
というのは
「伊勢=鈴鹿の神」を信じる人々が、
なんらかの理由で伊勢の方からこの座間に

と置き換えることが出来る



そして、同じく
伊勢国 風土記逸文「伊勢の国号」には
伊勢国の国名の由来ともなった
出雲神の子 出雲建子命。。別名
・・・伊勢津彦

今では
伊勢に伊勢津彦は殆ど祀られていない。。
伊勢に土着の神 伊勢津彦を
 永らく遠く崇拝していたのは。。


この伊勢津彦も、
戦いに破れて信濃に逃げたことに。。

そして伊勢津彦も大国主神(出雲神)の子

さらに信濃へ。。

つまり、同一神だといえる


伊勢の方では、また別のドラマ
神武東征の際、伊勢を治めた天日別命
によって、伊勢を追われた伊勢津彦ではあるが

入れ替わった!!

さらに天日別神は猿田彦命とも重なり
伊勢津彦は猿田彦命とも繋がる

また10代崇神天皇に絡み、
大物主神(大国主神)の子として登場の
大田田根子を通して、吉備津彦とも関連
大国主神の子だったのか!!

御代は、一代ほど変わったとしても

津彦とは。。
 国造(地方の王)に続々任ぜられた

ヤマト勃興建国に関して
 吉備・出雲・伊勢、東海が
  御輿のように担ぎ。。

出雲から伊勢。。ヤマトを通過
 さらに逆コースを辿ったことに

ヤマト建国の一族が伊勢へ。。



『先代旧事本紀』国造本紀
相模(相武)国造は武蔵国造の祖、
伊勢津彦の三世の孫、弟武彦から出た

同じく国造本紀
武蔵国造(无邪志国造)は出雲臣の一族、
兄多毛比命を祖とする
菊麻国造には、兄多毛比命の子の大鹿国直が

で、前掲の
『伊勢国風土記』逸文
伊勢津彦は出雲の神の子で、別名を出雲建子命
相模・武蔵の国造は出雲氏の一族であると共に、
伊勢津彦の裔であったと解釈可能

伊勢津彦とはいったい。。

伊勢津彦と。。吉備津彦だけでなく
 倭姫。。最後は、ヤマトタケルに繋がる

大鹿国直・・さらに大鹿村との関係は。。





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