奈良・甘樫丘遺跡で新たに建物跡発見 蘇我氏の邸宅跡か

『大化の改新(645年)で滅ぼされた飛鳥時代の大豪族・蘇我蝦夷(そ
 がのえみし)と入鹿(いるか)親子の邸宅があったとされる奈良県明日
 香村の甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡で、新たに7世紀半
 ばごろの2棟の建物跡が見つかり、奈良文化財研究所が5日、発表した
 。1棟は高床式の倉庫跡の可能性もあるという。

 邸宅跡の中心部とみられる場所と同様、谷を埋め立てる大規模な造成工
 事がされており、奈文研は「飛鳥盆地を見下ろす丘を広範囲に邸宅とし
 て利用していた可能性も考えられる」としている』



蘇我氏
 武内宿禰を祖とする古代大豪族
 渡来人説が流布されたこともあるが
 現在では、その説を支持する人はいないそうだ

蘇我氏四代
 稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿

  この四代時代には、特に隆盛を極め
   論者によっては即位したという説すら

蘇我氏は大豪族の御他聞に漏れず
皇室と密接な閨閥関係。。というより
蘇我氏から天皇を輩出していた印象も


蘇我入鹿
 天下の聖者聖徳太子(神話上そうなっている)
 の子である山背大兄王一家を自殺に追い込んだ
 とされ、中大兄皇子と中臣鎌足が乙巳の変の
 クーデターで蘇我入鹿を滅ぼした


蘇我氏は、これにて完全滅亡ではなく
本宗家が滅亡したに留まり。。
勢いは、完全に途絶えたが、蘇我氏自体は
平安時代初頭まで続いたといわれる


中臣鎌足の子が
 藤原不比等であり
神話編纂総責任者。。
 藤原氏の世はここから始まる


とすれば。。
皇室と共に藤原氏の栄華を褒め称えた
日本神話は、蘇我氏を矮小化する
ことにより成立


蘇我氏以前にも、皇室を凌ぐ権勢を誇った
 氏族は数々存在するが。。


蘇我氏・・・
 日本神話を超越した存在


蘇我氏の実態が明らかになれば
 神話が根底から覆る可能性もある
 




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