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「神武天皇」は、実は日本人に忘れられていたという衝撃の「事実」


その主人公である神武天皇は、信じがたいことに、幕末までかならずしも重んじられていなかった。忘れられた存在だったと表現する研究者までいる。

その証拠に、江戸時代まで京都御所にあった天皇家の仏壇[御黒戸(おくろど)]には、神武天皇の位牌がなかった。


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それどころか、中世になるとその所在は行方不明になってしまった。神武天皇陵が現在地に定められたのは幕末だし、今日のように整備されたのは近代以降。神武天皇とその皇后ヒメタタライスズヒメ(媛蹈韛五十鈴媛命)を祀る橿原神宮も、明治になって創建された。


昔、橿原神宮に参拝したことがある
 しかし、桜井市から始まる「都」は

その前に”存在したはず”である
 橿原神宮参拝で妙な違和感があった


明治になって創建された社

〈そうか、忘れ去られていたのか!〉



「神武天皇」は「明治維新」で新政府にとって都合が良かった…新政府が利用した「巧妙なロジック」


1853(嘉永6)年のペリー来航で、日本は大きな転換期を迎えた。圧倒的な軍事力と科学力を背景に、世界をその軍門に下らしめてきた西欧列強が、ついに北東アジアにまで押し寄せてきたのである。

このままでは、日本も植民地にされてしまう。


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危機感を覚えた志士たちは、政治体制を抜本的にあらためるため、天皇に注目した。
当時、衰えたといっても、泰平の世を260年余にわたって築いてきた徳川将軍家の権威はまだまだ大きかった。そんななかで「新しい政治を」と訴えたところで、「なんでぽっと出のお前らが」と反発される恐れがあった。



この辺りは、当方ですら
 薄々想像は出来ていた訳だ


幕府の将軍に対して
 「権威」「旗頭」が存在しなかった


幕末志士たちには
 ソレが決定的に欠落していたはず




以降、当方の古い記事
 今読み返せば修正点は多々ある


≪箸墓古墳被葬者は、卑弥呼では有り得ない≫<初代倭王(天皇)よりずっと大物?>【ならば。。超古代版《治天の君》だ!!】


≪京都八幡市。。石清水八幡宮近くの今里遺跡≫<今も残る隅田墓地はその名残り>【日本の社会構造形成プロセスを想像させる】


≪藤原不比等創造のヤマト中心主義日本神話≫。。<宮内庁による辻褄合わない陵墓被葬者比定>。。【日本史にはウソが渦巻いている】


シンポジウムにも何回か参加
 感想としては、実に面白かった


しかし、日本の歴史学界・考古学界は
 先進国に比べて弱過ぎるのではないか


過去、弾圧の歴史。。ヘタなこといえば
 潰されてしまう。。ソレへの畏れがある



≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】


≪百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録は問題あり過ぎ≫<そもそも問題ある日本神話(特に日本書紀)を基にしている>【いや明治以降の天皇確定作業が大問題】


≪天皇・皇室も紀元節(神武天皇即位2677年)を信用していない可能性≫<天皇誕生日に思う>【箸墓古墳は卑弥呼墓でも初代天皇墓でもない、キングメーカー墓である!】


≪日本神話《古事記・日本書紀》編纂前の古代史が熱い!≫<藤原不比等が編纂の日本書紀は、古代豪族の矮小化図る>【日本神話は、天皇家賛美から藤原氏賛美の代物】


≪仁徳天皇陵古墳!?その名称がオカシイ≫<天皇の名を前面に出すも、実は《天皇に傅いていない》>【日本会議的思想が滲み出ている印象】


≪邪馬台国論争。。小生、どちらかと言えば九州説ながら≫<九州説派も畿内説派みたいになってきた>【卑弥呼墓はそんなにデカくない!せいぜい直径40mである!!】


《NHKの「皇室の祖先は天照大神」報道》≪これは信仰上・架空のミカドに帰依する日本会議や信徒安倍と無関係ではない≫<邪馬台国畿内説学派(箸墓古墳は卑弥呼墓説)とも微妙にリンク>【日本神話には重大な疑問が点在している】


《その昔「天皇機関説」に激怒した人々が居た》≪ヤマト王権はそもそも『キングメーカーたち』に擁立された連合政権≫<強大な征服王ではない>【かなりの代まで「世襲」も無理だった可能性】


一貫して言えることは
 「官」にも、ましてや「政」にも


信用など全く出来ないし
 任せられないという気持ちが強い

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