皇室の菊紋の下から徳川家の葵紋…京都・二条城

『世界遺産・二条城(京都市中京区)の二の丸御殿唐門(からもん)(国重要文
 化財)に施されている皇室の象徴・菊紋の下から、徳川家の家紋である葵(あ
 おい)紋が見つかった。

 徳川家康が築いた二条城は、1884年に当時の宮内省に所管が移っており、
 菊紋はその時期に取り付けられたとみられる』



京都二条城で、皇室菊紋
 の下から。。徳川葵紋が見つかった


歴史に興味有る者。。
 小生などからすれば

ビッグニュース

京都二条城
 徳川家のものだった
  という印象は極めて強い


国宝。。そして世界遺産

様々な歴史的経緯
 を経て、1606年完成

明治維新後の
 印象として、文化財
  そして歴史的建造物


小生も、行ったことがある
 皇室の御紋がついて
  いたことは知らなかった


1939年戦前であるが
 それ以来『元離宮二条城』
  という名称だったのか





『二条城を管理する京都市によると、二つの紋が重なっていたのは、唐門の屋根
 を支える部材の先端部分にある飾り金具12個。金箔(きんぱく)を張り直す
 ため、銅板で金具に固定された直径約9センチの菊紋を外したところ、下から
 ほぼ同じ大きさの葵紋が現れた。

 二条城は1867年の大政奉還の舞台として知られ、その後、京都府や陸軍省
 などを経て、1939年まで宮内省が管理。京都市元離宮二条城事務所の後藤
 玉樹・建造物保存整備担当課長は「江戸から明治にかけての激動の時代を映す
 貴重な資料」としている。唐門は今月、約2年がかりの修理が完了。今は菊紋
 が取り付けられている』


維新後の二条城の管轄
1870年(明治3年)  留守官
1871年(明治4年)  二の丸御殿は京都府庁舎
1873年(明治6年)  陸軍省の所管に移された。
1884年(明治17年) 宮内省の所管となり「二条離宮」と改称した。
1939年(昭和14年) 宮内省より下賜。それ以来「元離宮二条城」という名称

留守官~京都府~
 宮内省~京都市


菊紋が取り付けられたのは
 宮内省当時だという。。


それにしても、壁の中から
 葵紋が出てきたというなら
  まだ解るが.。重なっていた訳で


激動の時代。。そして
 数奇な運命に翻弄された
  二条城とはいえ


日本の役所の管理
 やっぱりズサンと
  いわなければならない 





二条城
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