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<京都・五塚原古墳>前方部から後円部にスロープ

『京都府向日(むこう)市寺戸町にある国内最古級(3世紀後半)の前方後円
 墳「五塚原(いつかはら)古墳」(全長約90メートル)で、前方部から後円
 部に上がるスロープ「隆起斜道」が確認された。最古級の前方後円墳で見つか
 ったのは初めてという。発掘調査をしている同市埋蔵文化財センターが22日
 発表した』

『同古墳は、邪馬台国女王・卑弥呼の墓との説がある奈良県桜井市の箸墓(はし
 はか)古墳(同約280メートル)と同時期で、約3分の1に縮小したミニチ
 ュア版。宮内庁管理の陵墓のために発掘できない箸墓古墳の構造を知る手掛か
 りになるという。

 古墳東側の前方部と後円部が接続する「くびれ部」で、幅6メートルと推定さ
 れる隆起斜道のうち幅1.5メートル分が長さ約2メートルにわたって確認で
 きた。同センターは「埋葬施設である後円部につながっており、祭祀(さい
 し)道具の運搬や葬列のために作られたのではないか」と話している』




小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!という見解

   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた

纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓
  という説の登場
により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m

日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された
との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造
との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者
それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い

とすれば。。


纒向石塚古墳、ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、
纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳
と数多く存在
そしてこの記事の
京都府向日市の国内最古級の前方後円墳
五塚原(いつかはら)古墳も条件を満たしてくる


小生。。3年近く前に
 既に邪馬台国は外国にあった
  可能性を示す説を紹介している



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



非常に唐突ながら。。。【邪馬台国】

邪馬台国

女王卑弥呼の国

日本の礎となった邪馬台国



長らくその邪馬台国の場所について
九州説 畿内説
が真っ向から対立

一時は九州説で決着したかにみえ

吉野ヶ里遺跡の発見で止めを刺した格好


高木彬光の小説『邪馬台国の謎』でも
九州説をとって決着させていたが



それが
奈良 桜井の纏向遺跡の発見で、
 俄然畿内説が息を吹き返し

箸墓古墳が卑弥呼の墓だとかで

畿内説で決まり!!という近年



小生。。。

纏向遺跡や箸墓古墳を

邪馬台国だけに縛り付けてしまって
良いのか、
と素人ながら思ってはいた。


そんな中
現在、ある古代中国原典専門
40年のベテランが著した
書物を読んでいる

その著者が言うには
”邪馬台国”は日本に在らず

日本の歴史界が魏志倭人伝
 の訳を間違えている!!


つまり倭に至る出発点の
 場所から間違えている!!

ということらしい。。。


その本たるや
最初から3分の2ぐらいは、
中国の省や郡の場所がズラリ


さすがに、退屈で
 殆ど全て読み飛ばした

そして、
邪馬台国=倭=倭国 
は 中国もしくは朝鮮半島の根元

現在の中華人民共和国内
か北朝鮮内
だという。。。


あまりきいた事が無い説

このまま読み進んでいて良いのか!

単なる異端者の説ではないのか!


と思っている時に


司馬遼太郎の短編集を買ってしまった

そこで見たものは!


司馬遼太郎は
「倭とか倭国、倭人は中国の
  とある場所であり。。
   倭人とか倭とか呼ばれた場所
    が中国内に存在していた」
らしい

と言っている

既に1970年代に、である


司馬遼太郎が言ったからではなく、
そういう説が古来存在していた訳である


では
何故。。日本の歴史学者や歴史専門家達が大挙して
魏志倭人伝の倭に至る出発点を
間違えて訳してしまったというのか

という疑問も残る。。誰か気付いたはず


例えば、英(米)語や他の欧州語
なら日本の学者も読み慣れている
しかし中国の原典には
馴染みが少ない
のは確かにある


もしも、原典の訳を誰か
が間違えてしまい。。。

慣れない原典をあたらずに、
その訳を元に議論が極めて永年白熱
それならば、如何に方角・距離を
あらゆる角度から検証し直しても

・・・・・半永久に倭には到達出来まい

まだ、極めて不確かながら

邪馬台国という概念を。。。

・・・日本の歴史から削除しなければならない


となれば歴史学史上でも群を抜く大事件である!!が。。。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


日本の学界に
 古来有り勝ちな
  初歩的な凡ミスを起点
   とするプロパガンダが
    日本列島を覆っている
という

可能性は、否定出来ない!




邪馬台国
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