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田原総一朗 「マッカーサーの『決断』だけでは戦後は終わらない」〈週刊朝日〉

『マッカーサー連合国軍最高司令官は、結局、昭和天皇を極東軍事裁判に
 かけず、天皇制の維持を決断した。終戦直後、アメリカで行われた世論
 調査では、天皇を「死刑にする」が33%、「裁判で決定」が17%、「終
 身刑」が11%などと、ともかく裁判にかけるべしが70%を占めていたに
 もかかわらずである』



昭和天皇は、近代天皇の中でも
 飛び抜けて権力を保持していた
  ともいわれる。。


しかし、小生。。
 それを以ってしても
  当時の大日本帝国陸軍
   の軍国権力こそが戦争に
    大日本帝国を導いたと考える


戦争責任は、大日本帝国陸軍に有り

答えは、海軍中心に陸軍も加わって
 起こした1932年の5.15事件
次いで、陸軍皇道派によって
 引き起こった1936年の2.26事件
  様々な勢力によるテロ事件があったが
   特にこの2.26事件が決定的だった


日本政府は、これを機に
 一段と軍国国家、軍国政府へ
  その後、1938年の大政翼賛会


この翼賛政治とは
 政治主導、政党政治家の強権などでは
  絶対に有りえず。。軍国政府の追認体制
   つまり陸軍中心の軍国国家日本の権力機構
    これをさらに強めることになる訳である


軍部中心政府の権力
 が決定的に増大した




『マッカーサーは部下のボナー・フェラーズ准将に昭和天皇を裁判にかけ
 るべきか調査せよと命じた。映画では東條英機、近衛文麿など日本側の
 キーパーソンを調べたフェラーズが「天皇を裁判にかけず、天皇制を維
 持すべきだ」とする報告書を出し、それを読んだマッカーサーが1945年
 9月27日、自ら決断するためにアメリカ大使公邸で昭和天皇と会見。こ
 のとき「全責任を負う」と明言した天皇の態度がマッカーサーを感動さ
 せて、天皇制維持を決断させたことになっている。

 だが、実は史実ではフェラーズがマッカーサーあての報告書を出した
 のは、マッカーサー・天皇会見の5日後、10月2日なのである。

 このあたりの事情を東野真氏が著書『昭和天皇 二つの「独白録」』に
 記している。フェラーズは「もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に
 付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられない」と強
 調した。つまり、占領政策をスムーズに行うには、天皇制を維持すべき
 だと語っていたのである。

 さらに東野氏は、翌46年3月6日、東京裁判開廷の2カ月前に、フェラー
 ズが敗戦当時の海軍大臣・米内光政と会談した内容を載せている。

 フェラーズは、天皇に戦争責任がないことにする方法は、日本側がそれ
 を立証すること、つまり東條英機が裁判で全責任を引き受けてくれるこ
 とだと言い、米内はそれに全面的に賛同。「東條と嶋田(繁太郎・元海
 軍大臣)全責任をとらすことが陛下を無罪にする為の最善の方法と思ひ
 ます」と答えている。そして、占領軍はこのとおりにした。つまり、こ
 れはあくまでも、日本における占領政策をやりやすくするための方策だ
 ったのである』




小生の解釈では
 天皇は国民を統合するために
  絶対に必要不可欠な・・・。


しかし、日本の政府権力機構
 では陸軍が絶対権力者になっていた
  とりわけ、戦争突入に関して


大政翼賛会初代首相
 近衛文麿。。それ以上に東條英機
  の責任は決定的であって


ただ。。国民を統合するだけの
 尊敬と崇拝を陸軍軍部や
  大政翼賛政府の政治屋が
   集める筈も無く、


米国・GHQはそのために
 天皇を利用したと
  いうのが正解だと考える






『私は、かつて首相を務めた宮沢喜一氏に、「なぜ日本政府は独立後に総
 括をしなかったのか」と問うた。

 「当時、政権与党の幹部たちの多くは、いわゆる追放組だった。追放組
 というのは、いわばA級戦犯の子分たちです。子分が親分たちの総括を
 するのは、どだい無理な話ですよ」』





ただ。。敗戦後は
 戦前戦中勢力とは無縁な
  新体制発足させ日本国内で
   裁くべきであった


戦後政権与党の幹部は
 戦犯の子分ばかりか。。


何より、A級戦犯岸信介が
 巣鴨出所後、僅か5年で
  内閣総理大臣になっている


それでは、到底まともな
 国が出来る筈も無い訳だ




大政翼賛会
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