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安倍首相また疑惑 18年「桜を見る会」で総裁3選“支持固め”


公職選挙法はじめ
 諸法に違反といわれている


また
安倍総理。。自民党総裁
 3選固めのために桜を見る会


地方票をまとめるための
 桜を見る会という一面が・・・。



安倍晋三総理主催「桜を見る会」 元山口組組員まで招待されていた


問題ある「招待客」は、やはり後援会の面々だけではなかった。今年の「桜を見る会」に参加した1万8000人のなかには、招待など到底ありえない人物まで含まれていた。

「新澤良文(52)という男です。奈良県にある高取町の町議ですが、元々は山口組傘下組織の組員なんですよ。しかも、前科まである。そんな男が、堂々と『桜を見る会』に参加し、首相や夫人とツーショット写真を撮影。それを自分のフェイスブックに投稿して自慢までしているんだから驚きです」(神戸山口組関係者)




桜を見る会」を中止に追い込んだ本当の事情

2019年1月25日に内閣官房・内閣府が公表した「桜を見る会」開催要領によれば、招待範囲は「皇族・元皇族」や「各国大公使等」の外交使節団、衆参両院議長と副議長や最高裁長官、大臣や国会議員に加え、認証官や都道府県の知事など、一定の地位や“身分”を有する人たちを列挙。これに「その他各界の代表者等」が加わる。安倍事務所はこの「等」に支持者たちを入れ込ませたわけだが、「申し込み用紙が足りなければコピーして使え」などと、まさに招待基準も招待枠もなし崩しにしている。

1952年に故・吉田茂首相が始めた時、「桜を見る会」の参加者は1000人程度で格調が高かったという。これは貴族趣味で知られた吉田首相の影響もあるだろうが、本来の社交とはそういうものだ。


社交とはかけ離れた実態
 現在の姿は元ヤクザまで招待


地方票を固めるための
 桜を見る会と思われるが


派閥票は「翼賛体制」で固めている
 自民党派閥は創価票で当選した面々


で、ふと自公連立政権は
 いつからだったか?と振り返り



【図解・政治】自公連立20年の歩み(2019年10月)

自公連立政権


様々な変遷は有るが自公連立
 つまり自民党の選挙を創価票
  で支える選挙協力の始まりは

1999年小渕内閣の時だ!


≪悲報!!。。どう考えても悲報でしょう!創価の反安倍派が左遷≫【安倍政権の大議席を一手に支える巨大組織の人事】


で安倍政権倒閣には
 創価票を引き剥がすことが
  不可欠と考え、
公明党が連立
   から離脱すべしと考えてきた訳だ


が!どうやら
 そんな生易しいことではないようだ



政権に影響力を示す公明党――世界的にも特殊な自公連立政権


自公連携20年 政権維持が目的なのか


公明党自体が与党にいることが
 大事、その効用は大いにあった


これは公明党が最大支持母体
 創価学会員を納得させるための




美しきハーモニー? 公明から見てみると…


神崎は、自民党が公明党に連立を持ちかけた狙いについて、「選挙」だと指摘する。
小選挙区制へと選挙制度が変わる中での選挙協力にあったというのだ。


「公明党には安定した票があり、選挙協力の実質があると見たのではないか。浮動票を対象にしている党だと一緒に連立を組んでも、あまり票は来ない。固定票を持っている政党と連立を組めば、見返りはある。選挙制度が中選挙区制から今の制度に変わり、過半数を取れるかどうかなど計算していたのではないか。公明票というのは得がたいとね」


自民党から持ち掛けた
 自公連立政権。。竹下が?


自民党とか竹下というのを
 日本会議に置き換えてみた



日本会議

1997年5月30日に日本を守る会と日本を守る国民会議を統合して設立された


1974年設立の日本を守る会
1981年発足の日本を守る国民会議
が統合されて1997年に設立・・・!!


自公連立スタートと
 時期が一致するではないか!



保守論壇よ、目を覚ませ! 「右派プロ市民」に操られた日本会議の正体

そんな程度の低い人物たちが、自民党の改憲工程に影響を与えるはずがない、と思いたいだろうが、現実は一般人の想像を超えて悲惨なのだ。この程度の人物たちが、「憲法改正議論」という国家百年の計に容喙してしまうのが、今の日本の悲劇というべきだろう。信じられないというのならば、官邸を見てみればいい。日本青年協議会の設立メンバーであり現在も幹部を務める衛藤晟一氏は、首相補佐官を務めているではないか。
衛藤晟一首相補佐官
 国会の議論を見てみればいい。日本青年協議会の幹部である百地章氏が憲法学者として与党側の参考人招致に応じているではないか。厚労省を見てみればいい、日本青年協議会の幹部であり、学生時代は「生長の家学生連合」の代表を務めた高橋史朗氏が、男女共同参画会議の議員を務めているではないか。そして、安倍首相がビデオメッセージまで寄せる改憲運動の現場を見てみればいい、日本青年協議会のリーダーである椛島有三氏が運動を取り仕切っているではないか。




≪国民世論も世間の批判も気にせず暴走!《翼賛体制が担ぐ安倍》政権≫<いつからこんな党になったのか!実は2012年には既に>【5年8ヶ月前の総裁選で既に党員すら無視していた!!】


日本会議と創価学会

日本会議や神社本庁を
 過大評価しているという見解


確かに日本会議が発足して
 また自公連立がスタートして
  からも自民党は負けたこと多し


小泉以外は短期政権が
 圧倒的に多いのであるから



ドキュメント 日本会議 (ちくま新書1253)


このカスタマーレビューで
 興味深く面白い一節を見た


1997年、反創価学会の諸教団と自民党との間の「アンチ学会の空気が後押しする中、日本会議は結成された。現在、神社本庁、伊勢神宮、熱田神宮、靖国神社、明治神宮、黒住教、大和教団、延暦寺、念法眞教、佛所護念会教団、新生佛教教団、崇教真光、解脱会などの代表者らが日本会議の役員をつとめる。ところが、自民党のほうが上手だった。政権復帰後、徐々に公明党・創価学会に接近をはじめる。1999年に自民、自由、公明の自自公連立政権が発足。その後は民主党政権を除いて、公明党とともに政権与党であり続けている。村上(正邦)は渋い顔だ。『政権から出て行ってほしいと思うけれどね。日本会議と公明党が内閣の脇を固める形になっちゃってね』。とはいえ、それは引退した村上だから言えることだろう。多くの自民党議員にとって、『公明党・創価学会は自陣にとって最大の集票マシン、生命維持装置』という現実がある。・・・公明党関係者は『それで、安倍内閣の足を引っ張っている公明党には閣外に出ていってとかよく言えると思う。伝わらないとでも思っているのでしょうか』と牽制を忘れない。・・・ならば、日本会議、とりわけ、実務を担う日本協議会・日青協はどうか。機関誌を読み込むと、公明党に違和感を覚えている様子がよく分かる」。

日本会議は右翼ではない
 新興宗教の寄り合い所帯


これは菅野完氏はじめ各所で



≪神社本庁から有力神社が続々離脱≫<改憲署名運動に支障>【当たり前だ、神社の総本社でも支配者でもない!】


《安倍政権多数派安定長期6年超の原動力》≪第一次安倍内閣のリベンジでギブアンドテイク一致≫<橋下徹氏の指摘を掘り下げて2012年総裁選まで>【内閣官房と日本会議が創価学会執行部に促したのだ!】


しかし第二次以降安倍政権は
 今までの自民党政権と趣が違う


政府中枢・司令塔の協力!!


≪安倍政権と自民党は今や「20世紀・昭和の自民党」とは別物≫<選挙は自党では戦えない、記者クラブの演出が元凶>【内閣官房と各省が『安倍政権の看板』で行政】


≪戦後日本には「やっぱり自民党でなきゃ」の自民党信仰≫<しかしその『政治的遺産』も食いつくしてしまった>【完全に《創価党》に生まれ変わった<自民党解体>の時】


≪安倍政権は経産省人脈と公安警察即ち内閣官房の御輿に過ぎない≫<新聞・テレビがその辺りを全く報道しない>【《カルト宗教右翼の思想・創価協力票で選挙・内閣官房が総合プロデュース》先進国ではない】


《第一次安倍内閣は『官邸崩壊』だった》≪そんな安倍総理が第二次以降”急に”長期政権になったのは?≫<ズバリ!内閣官房が霞が関を主導し大手マスコミを抑え込んだだけ>【”官邸”とされる「内閣官房」と霞が関がダメなのだ、これは深刻!!】


《安倍のような総理大臣が再登板してしまった背景》≪自民党派閥が絶滅~政党政治が崩壊≫<霞が関官僚機構が躍進前面に>【完全な空白状態で日本会議とタッグを組む『強大化した内閣官房』】


内閣官房の機能強大化
 は確か2001年の省庁再編から


日本会議発足・自公連立
 政権スタートから間もないこと

 
これも時期が一致している



《昨年の『桜を見る会』から安倍陣営の姑息さが飛び出した!》≪総裁選の派閥票は内閣官房主導の翼賛体制で何とかなる≫<地方票にやはり不安があったのだ!>【桜を見る会で便宜図り、総裁選支持固めをしていた】



自公連立のきっかけは
 非自民非共産八党連立発足


自民党初の野党転落とみる

そして今強大になった”官邸”

政府司令塔として
 先進国政府の看板を
  かなぐり捨ててまで


安倍政権の多数派確保と
 安定化に邁進する内閣官房


桜を見る会の主催は政府
 具体的に実質的に動くのは


内閣官房と内閣府ではないか!

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