<野口王墓古墳>5段構造の八角形墳

『天武・持統天皇合葬陵とされる奈良県明日香村の野口王墓古墳(7世紀後半)について、宮内庁が過去の
調査を基に「5段構造の八角形墳」と結論付けた報告が、村教委が24日発表した「牽牛子塚(けんごし
づか)古墳発掘調査報告書」に掲載された。天皇陵は7世紀中ごろから八角形墳が採用され、野口王墓も
文献などから八角形とされていたが、宮内庁が調査結果を公表するのは初めて』



奈良県明日香村
野口王墓古墳(のぐちのおうのはか)

築造7世紀後半
八角形墳 五段築成円墳状

被葬者は
40代天武天皇 
 41代持統天皇
合葬陵
  ということになっている

日本神話とされる 日本書紀編纂は、
天武天皇治世に
  言い渡されたが。。
実際、持統天皇の世に
 編纂開始。。完成は
44代元正天皇時代だという





『陵墓は原則として一般の研究者は調査できない。野口王墓古墳が1235年に盗掘されたと記した文献
 「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」には、「八角形」との記述があるが、全体像は分かって
 いなかった。近年、情報公開請求が相次ぎ、福尾正彦陵墓調査官が斉明天皇陵と確定的になった牽牛子
 塚古墳の発掘調査報告書に論文を寄稿した』

『それによると、野口王墓は、墳丘の測量結果などから5段構造の八角形と判明した。高さは全体が約
 7.7メートル、最上段は他の段の倍の約3メートルあり、墳丘全面に加工した凝灰岩を貼り付けて
 ストゥーパ(仏塔)のように見せていたと分析。最下段の1辺の長さは約16メートルあり、その周囲
 に幅約3メートルの石敷きがあったと推測した。

 大王墓は6世紀までは前方後円墳や方墳だったが、7世紀に即位した舒明天皇(天武の父)から八角形
 になったとされる。中国古代思想や国土の四方八方を天皇が支配するという思想を視覚化したという説
 などがある。

 舒明天皇陵とされる段ノ塚古墳(奈良県桜井市)や天智天皇(天武の兄)陵とされる御廟野(ごびょうの)
 古墳(京都市)は墳丘の八角形部分が2段で、大型で色の異なる岩が使われている。大阪府立近つ飛鳥博
 物館の白石太一郎館長は「切り石で全面を化粧しており、それ以前にはない形式が、天武天皇から始まっ
 たことが分かる。古墳の変遷を考える上で重要だ」と評価した』




段ノ塚古墳(奈良県桜井市)

34代舒明天皇陵とされる
 30代敏達天皇の皇子
  押坂彦人大兄皇子
 妃糠手姫皇女の子

御廟野(ごびょうの)古墳(京都市)
38代天智天皇(中大兄皇子)陵とされる

舒明天皇は
 天智天皇と
  40代天武天皇(大海人皇子)
    の父である

神話編纂は、この後
 という解釈が成り立つ





牽牛子塚古墳、築造に推定2万人 斉明天皇陵説を補強

『大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのみこ、天智天皇)の母、斉明(さいめい)天皇(594
 ~661)の墓と有力視されている奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)につい
 て、村教委は24日、発掘調査報告書を発表した。築造に延べ2万人の労働者が携わったと推定。被葬者
 の権威を示すもので、「斉明天皇の墓説」をさらに補強する内容だ』

『報告書によると、対辺の長さは約22メートル、高さは4・5メートル以上で、7世紀の天皇の墓に特徴
 的な八角形墳。採石地は、墳丘を覆っていた凝灰岩の切り石が約20キロ離れた二上山(大阪・奈良両府
 県境)、石室を囲む柱状の切り石(石英安山岩)が約25キロ北西の寺山・鉢伏山(大阪府羽曳野市周
 辺)、墳丘すそに敷かれた砂岩の一部が約20キロ北東の豊田山(奈良県天理市周辺)とされる』




37代斉明天皇
 35代皇極天皇が重祚(再即位)
  して斉明天皇に。。女帝である

34代舒明天皇の皇后
 舒明天皇は父の異母弟にあたる
  叔父と姪の関係か


斉明天皇陵
 奈良県明日香村
  牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)
7世紀後半~8世紀初頭築造
 八角形墳

皇極天皇時代
 中大兄皇子と中臣鎌足
  蘇我入鹿を討ったとされる
   乙巳の変(いっしのへん)が
    起こったとされる

これで、時代が大きく変わった
 蘇我氏が滅亡。。歴史の表舞台から消える
  といっても、本宗家のこと支族はどうなったか


この戦が契機となり
 時代は蘇我氏から藤原氏に
  ゆっくりと実権が移っていく


44代元正天皇時代に完成した
 日本書紀。。いわば藤原不比等初代
  藤原氏都合の神話。。

天智・天武天皇時代以前に立ち戻れば
 また、天皇即位も皇子達の争い
  親や側近の争いでどうなったかわからない


神話を天皇の系譜。。
 豪族の系譜とすれば。。
即位しなかった皇子
 または藤原氏以外の豪族系譜
  闇の壮大な神話が連綿と
   綴られているのではないか



34代舒明天皇~50代桓武天皇系譜図


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