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安倍首相が年頭所感で“明治礼賛”! 明治維新150年キャンペーンで長州支配と大日本帝國憲法復活を煽動



かなりの人々が勘違いしている
 安倍総理と改憲勢力の雄日本会議
  は、保守・右翼・天皇皇室に帰依せず


独自の新興に基づく政治活動
 繰り広げているだけだと以前から


何故、明治なのか!何故、近代なのか
 幕末・江戸時代以前には目を向けんのか




≪天皇・皇室も紀元節(神武天皇即位2677年)を信用していない可能性≫<天皇誕生日に思う>【箸墓古墳は卑弥呼墓でも初代天皇墓でもない、キングメーカー墓である!】


≪天皇陛下の生前退位ご意向報道≫<我々国民世論の未熟さいや暗愚有権者改めて痛感>【皇室は現天皇皇后両陛下と皇太子ご夫妻の両党体制で強化される】



特に、次期天皇である皇太子殿下
 学者ですら及ばないほどの勉強家
  深く洗練された知識をお持ちのようだ




皇室 皇太子さまの誕生日会見(全文)

そのうちの抜粋

ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。

 このような考えは、都(みやこ)を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中ごろのことですが、洪水など天候不順による飢饉(ききん)や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経(しんかんはんにゃしんぎょう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して、
般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇をはじめ、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。




大日本帝国。。神道(国家神道)
 ではないのである。
皇室は古来
  中世には仏教と共に歩んでこられた


皇太子殿下の即位を心待ちにしたい

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