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919を忘れないbot ‏@remember919 12月26日
軍人と民間人の戦死者割合
第一次世界大戦=軍95%・民5%
第二次世界大戦=軍52%・民48%
朝鮮戦争=軍16%・民84%
ベトナム戦争=軍5%・民95%
イラク戦争=軍3%・民97%

戦争は1%の富裕層が儲けるために存在する。

https://twitter.com/remember919?lang=ja


今日たまたま、興味深い記事を
 見つけてしまい。。少し考えてみた

  そういえば、2年前の今頃安倍総理が
   急遽思い立ったように靖国神社参拝
    したのもちょうど今頃だった訳である


あの頃も、またその後も
 総理や閣僚、その他国会議員
  の靖国神社参拝について言及した



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≪A級戦犯を合祀の靖国神社。。安倍首相の参拝≫【既存・新興各宗教団体の見解。。面白い結果】



神社本庁、新宗連、幸福の科学等首相の靖国参拝への見解紹介
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140227-00000017-pseven-soci


『昨年12月、安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことについて多くの宗教
 団体から様々な意見が出ている。主な宗教団体に見解を聞いた』



まず、小生の見解。。

【靖国神社。。骨も埋葬されてない抽象慰霊!・・・分祀せよ!!】<特定軍人中心で。。ホントに祀られているかどうかも疑わしい>≪国会議員の靖国参拝は、バカげた。。特定コミュニティ・支持者へのアピール≫


日本の中央政界
 自民党国会議員
  世襲議員の集団
   特定コミュニティの一員
    狭き利権集団の代表


こういえば、具体的に
 イメージも可能となるかも


<靖国神社>

日本の軍人、軍属等
  を主な祭神として

幕末から明治維新に
かけて功のあった志士

日本の国内外の事変・戦争等、
国事に殉じた軍人、軍属等の
戦没者を「英霊」と称して

「忠霊」・「忠魂」から
日露戦争を機に新たに「英霊」へ


戊辰戦争・明治維新 7751柱
新政府軍側のみ
旧幕府軍や
 奥羽越列藩同盟軍
 の戦死者は対象外

台湾出兵(征台の役) 1130柱

江華島事件 2柱


西南戦争  6971柱
政府軍側のみ、
西郷隆盛ら薩摩軍は対象外


長州藩閥重視
山口県出身、選挙区の
 安倍首相は、ここに反応か


幕末・明治維新。。志士
 しかし、特定の
  下級武士以上が対象 

農・工・商。。圧倒的多数
 町人以下は関係無いのだよ


圧倒的比重を占める
 大東亜戦争。。200万人超の
  軍人・軍属。。
   他の80万ともいわれる
    一般人戦没者は含まれない


特に連合国・戦勝国
 の勝者の論理<東京裁判>
  によるA級戦犯が合祀され
   これが現代国際問題となる


岸信介を母方祖父とする
 安倍首相はここにも反応だ


ならば。。A級戦犯
 分祀すれば?それが出来ない
  というのが壁となっている


祭神は神様となり
 一つになっているので
  分けることは出来ない


これが靖国神社側の答えらしい

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風になって
 外国の詩を和訳
  やや違和感ながら

しかし、日本の墓なら
 まだ。。骨も埋葬の場合も


こちら神社は、札?碑?
 とにかく、空気か何か
  そうだ!霊。。それも不明
   目に見えないのに、合祀・分祀


非常に漠然とした精神論
 ホントに祀られているか
  どうかも不明なのであり


そう。。宗教だ!   

一般人の参拝は一切関係無い 

国会議員の参拝。。
軍国主義に共鳴
 ということなら

親族・親類に職業軍人
 がいれば。。小生もそうだが
  墓参りすればそれで良いのだ


殆どの日本国民は
 祭神の詳細。。宗教・神社。。
  それも解からず賛同なのだが


外国から見れば
 金日成・金正日を崇める
  北朝鮮人民と区別がつかない



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『【神社本庁】
 首相、閣僚に参拝していただきたい。公式、私的という点は言葉遊びの
 ようなところがあり、こだわる必要はないと考えています』


神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地
の約8万社の神社を包括する宗教法人
 靖国神社はこの範疇ではないようだ

神社本庁。。ガッカリだねぇ
 近くの神社。。加盟している
  社が多いに違いないが。。
   各社宮司は違った考えの人
    がいることを祈る。。




『【新日本宗教団体連合会(新宗連)】
「信教の自由」「政教分離」の原則の観点から、首相、閣僚が肩書きを明
 らかにして行なう参拝(公式参拝)には反対です。A級戦犯合祀につい
 ては、靖国神社という宗教法人のご判断なので、問題視していない』



日本の新宗教超宗派連合組織

阿吽阿教団 医王山立宗 一尊教団
 円応教 大神教 救世真教 解脱会

他、69団体が加盟。。創価学会は
 加盟していないらしい。。

首相・閣僚の公式参拝
 には反対は良いが。。


A級戦犯合祀を
 問題視しないのは疑問




『【全日本仏教会】
 首相、閣僚の公式参拝は控えるよう文書で要請しています。私的参拝も
 、現職の首相、閣僚の方には控えていただきたい』


日本の仏教諸宗派(2012年4月現在59宗派)
 によって合同で設立された
  伝統仏教を代表する財団法人

小生の考えと一番近いが。。
 小生、首相・閣僚だけでなく
  国会議員であっても反対である
   行きたいなら、議員辞職を
    個人に戻ってから行きたまえ





『【幸福の科学】
 賛成です。一国の首相が国の防衛のために命を捧げた人々を鎮魂し、感
 謝することは、何ら問題がないばかりでなく、宗教的には国際的に正当
 なことです。そもそも靖国神社参拝は宗教行為であり、中国や韓国の主
 張は、我が国の信教の自由に対する侵害です。信者の靖国神社参拝も良
 いことと考えています。

 【創価学会】
 国を代表する首相の靖国参拝は、憲法20条の政教分離原則に抵触する恐
 れがあり、大変に遺憾です。かつて戦争遂行の宗教的支柱を担った靖国
 神社の歴史を顧みるならば、アジア諸国に十分な配慮をしたとは思えず
 、外交的影響を憂慮しています』



大川隆法の幸福の科学
 安倍政権とピッタリだ
  幸福実現党を支持
   することは絶対無いだろう


創価学会。。そこまでしっかりした
 考えなら、公明党を連立から
  引き剥がしたらどうなのか。。
   小生、その日を心から待っているぞ



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実は、靖国神社祭神。。英霊。。
 その中でも特に第二次世界大戦
  戦没者。。これが本当に曖昧なのだ


戦死者、一般戦争犠牲者は含まれない
 召集令状が来て、戦争参加させられた
  人々は含まれているのだろう。。
よく
   総理他は、国のために命を捧げ、と言う
    がしかし戦争犠牲になった国民は除外か



真実を探すブログ
靖国神社は長州藩の神社!西郷隆盛は除外!太平洋戦争の経験者「東条英機たちと一緒に祀られるなんて全くのナンセンス」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1483.html


12月に安倍首相が靖国神社を参拝して以降、色々と話題になっている「靖国神社」ですが、実際に戦争時代を経験した方の意見を聞くと、靖国神社に対する考え方が変わるかと思います。ちょっと私もいくつか調べてみましたが、戦争経験者の意見として多いのは、「祭られることには感謝しているが、勝手に一緒にしないでほしい」という意見が多かったです。もちろん、靖国神社に賛成している方もいますが、本人の意思や意見を無視しているという指摘の方が多く見られました。

靖国神社では幕末から明治維新にかけて功のあった志士なども祭られていますが、何故か、新政府軍に歯向かった西郷隆盛ら薩摩軍は対象外とされています。「靖国神社に祭られている英霊を分けることは不可能」という話を多くの場所で聞きますが、西郷隆盛らを対象外として扱っているのは英霊を分けているのと同じ意味を持っているのではないでしょうか?
私は西郷隆盛らを例外扱いしているのに、自分から「分けてほしい」と言っている方の要求を拒否している政府の姿勢に強い違和感を感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戊辰戦争・明治維新 7751柱 新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊や新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。
西南戦争 6971柱 政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。

靖国神社設立の起源を調べてみると、やはり長州藩にいきつく。1865年、長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された。

 以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える。事実、会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。

靖国神社については、単なる慰霊、宗教の問題を大きく超えて、政治、外交の問題にまでなってきています。
 それでは、靖国神社の何が問題となっているのか、大きく3つにまとめてみます

(1)侵略戦争の象徴でもあり、これを認めると軍国主義の復活に繋がる
(2)政教分離に違反する
(3)外国(中国と韓国)が批判している


■「追悼」「顕彰」「慰霊」

 また、この靖国神社の問題を語る上で重要な言葉が3つあります。「追悼」「顕彰」「慰霊」ですが、これらの言葉の意味をまとめますと、以下のようになります。

 「追悼」:死者をしのんで、いたみ悲しむこと
 「顕彰」:功績などを世間に知らせ、表彰すること
 「慰霊」:死者の霊魂をなぐさめること

 日本においては不幸な死に方をした人は手厚く葬らないといけない、という思想があります。戦没者の祀りについてはこの3つを組み合わせる形になります。
 亡くなられた方を追悼し、国のために頑張って頂いたことを顕彰し、みたまさまが安らかにお鎮まり頂くよう慰霊する、これを一通りしないと、日本人はどうしても気が収まらないところがあります。
 未だに戦死者の遺骨を回収していますが、あれも慰霊の一環だと考えないと、行動自体が理解できないと思われます。

■A級戦犯について

 さて、中国からの抗議の中にもありますが、大きな問題になっているのはいわゆるA級戦犯についての議論です。A級、B級C級との差は罪の大きさではなく、A級は「平和に対する罪」という新しくこしらえた罪のことです。A級戦犯といえば東条英機、あとはよく知らない、というのが大半の人の認識だと思いますが、A級戦犯で興味深いことは

・国内的には犯罪者ではない
・毎年8月15日に行われる全国戦没者追悼式でA級戦犯の遺族にも招待状が出されている
(公式にはA級戦犯も対象かどうかは何も言っていない、というのが見解のようですが)

しかしながら、とにかくA級戦犯が悪いということで出てきたのが、靖国神社からA級戦犯分祀しろという主張です。


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靖国神社には幕末から明治維新にかけて
 功のあった志士が祀られるというが。。

  新政府軍に歯向かった西郷隆盛ら
   薩摩軍は対象外、賊軍は排除という訳だ


そしてよく言われるA級戦犯である
 東京裁判自体が公正なものではない
  という議論も。。しかし戦は勝者の論理
   そんな論理を国際会議で述べれば良い


そして、靖国神社問題に関して
 目から鱗のような書物及びそれに
  対する評論が有ったので言及したい



靖国神社の本質に気鋭の政治学者・白井聡が切り込む! 問題はA級戦犯合祀や中韓の反応ではない、靖国に歴史的大義がないことだ!
http://lite-ra.com/2015/10/post-1595.html

今日から、靖国神社の秋の例大祭だが、予想通り、安倍首相は参拝を見送った上で、真榊を奉納した。メディアや識者の反応もいつもどおりで、右派からは「参拝できないのは中韓の内政干渉のせい」という反発の声があがり、リベラル派からはA級戦犯合祀問題や中韓への配慮がないというやや腰が引け気味の批判が聞こえてくる。
 だが、そんな状況を〈心底ウンザリする〉と切り捨てるのは、気鋭の政治学者・白井聡だ。国際問題や政治的問題としてのみ語られている靖国論争を、白井はまず、〈「日本人にとって、日本の歴史において、靖国神社とは何であるのか」という問いを完全に欠いている〉として、こんな本質論を突きつける。
〈靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。極端に言えば、世界中の人々がそれを非難し、「靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ」と思われ、実行されるとしても、本当に大義があるのであれば、実行するべきなのである。〉
 そのうえで、白井はこう断じるのだ。
〈歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。〉
 白井の靖国論が掲載されているのは、『「靖国神社」問答』(小学館文庫)。同書は少国民シリーズで知られる児童文学作家の山中恒が、膨大な資料から靖国神社とは何かを一問一答形式で丹念に検証した一冊だが、その文庫化に際した解説文で、白井は山中の靖国批判が「自虐史観」とはまったくちがうものであり、むしろ伝統的な視点から靖国の文化的・宗教的欺瞞を暴いたと評価。山中の検証によって、上記のように、歴史的大義がないこと、〈近代的な国家カルトの施設にすぎない〉ことが明らかになった、と結論づけているのだ。
 たしかに、この『「靖国神社」問答』には、これまであまり指摘されることのなかった靖国神社の非歴史的な成り立ちが書かれている。

同書によると、靖国神社はもともと、戊辰戦争での戦没者を弔うために建立された東京招魂社が起源となるのだが、この時に合祀されたのは官軍側の戦死者だけだったという。
〈当然のことながら彰義隊や会津・白虎隊は誰一人祀られていません。東京招魂社は幕末から明治維新にかけての勤王派や尊攘攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側戦没者のための招魂社です。つまり明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀ったのです〉(本文より)
 しかも、賊軍の戦死者には極めて冷淡な扱いで、〈敗者の死者は、まさに犬死に同然で、なんの配慮もなされなかったばかりか、一時はその供養さえも許されませんでした〉(同)
 結果、戊辰戦争で英雄となったものの、のちの西南戦争で逆賊扱いとなった西郷隆盛も靖国には祀られていない。
 この「勝てば官軍」だけを祀る靖国原理を、白井は〈古くは菅原道真や平将門といった敗者を、その霊を慰撫するために「神」として祀った日本の伝統から、大きく逸脱するもの〉だと分析。敗者=賊軍を排除する靖国原理に倣えば、先の戦争で犠牲になった日本兵は、靖国に祀られる資格がないというパラドクスに陥ってしまうことを指摘。親米保守の自称愛国者たちに〈彼らが拝んでいるのは、あの戦争で亡くなった連合国の死者ではないのか〉という皮肉をつきつける。
 たしかに、この事実だけをとっても、靖国神社が、祖先信仰や死者の霊を敬うなどの日本の伝統にならった神社では全くなく、大日本帝国がひたすら戦意を煽るために恣意的に作り上げられていった、非常にいびつな存在だったということがよくわかるだろう。
 白井のいうように〈靖国によって象徴されるものは、日本の周辺諸国民にとって厄災であっただけでなく、大部分の日本国民自身にとっても厄災でしかなかった〉のだ。

 だが、参拝を肯定する政治家たちはこのパラドクスにまったく無自覚なまま、平気で「国のために尊い命を捧げた方々に追悼の意を表するもの」などといった、妄言を垂れ流す。
「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」(安倍首相 参拝時の談話から)
 しかし、繰り返すが、靖国に祀られている英霊とは戦前の大日本帝国のご都合主義から選ばれたものであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦災者は一切祀られていない。靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆の行為なのだ。
 白井も、これについて次のようにその欺瞞を指摘している。
〈「政治家の靖国参拝は平和の誓いをするためなのだ」というレトリックは、神社の来歴からして到底通用し得ない。仮に、靖国神社を戦没者追悼のための公的な施設として使い続けるのであれば、靖国は過去の戦争神社としての在り方を公的に自己否定しなければならないし、政教分離の観点からして神道から切り離される、つまり神社であることをやめなければならない〉
 その上で、靖国の今後について、こう提言する。
〈してみれば、われわれが目指すべきは靖国の「自然死」である。多くの人が、靖国の原理を理解すること――すなわち、そこには普遍化できる大義がないことを知り、「勝てば官軍」の矮小な原理を負けた後にも放置しながら、あの戦争の犠牲者たちに真の意味で尊厳を与えるための施設としては致命的に出来損ないであり続けているという事実を知ること――がなされるならば、誰もがこの神社を見捨てるであろう〉
 白井の言うように、靖国はまさに自然死こそがふさわしい。だが、そのためには、国民が靖国問題へのリテラシーを上げていく必要があるだろう。


戦争による犠牲者は無視されている
 そして、国のために、などというから
  曖昧になるのかも知れない。。
戦没者
   いや戦死者。。その死因について・・・。



戦没者230万人
兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち 半藤一利さんインタビュー
http://mainichi.jp/articles/20140815/mog/00m/040/002000c

「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さん(84)に聞いた。

戦前の日本は近代国家の体をなしていなかった。「戦没者230万人」という数字はそのことを端的に示していると思います。国民を戦地に送り込むならば、国家は責任を負わなければなりません。いつ、どこで、どのように戦没したのか。確実に把握していなければならない。ところが、「戦没者230万人」という大枠のみが残り、具体的なデータは部分的にしか残っていません。厚生省(当時)は戦後、戦域別で戦没者数を算出しましたが、そこまで。死因までは分類できていない。230万人というざっくりとした数字も、私は過小評価ではないかと疑っていますよ。

 詳細が分からないということは道義的にはもちろん、軍事的にも非常に問題があります。前線に送り込んだ部隊のうち、戦闘に耐えうる兵士は何人なのか。あるいは戦傷、戦病者は何人いるのか。正確な戦力を測れずして、作戦を立てることはできません。そもそも、前線に送らなければならない武器弾薬、糧食、医薬品などを算出するためにも、絶対に必要です。それができていなかったのではないか。

 兵站(へいたん)を軽視した、あるいは無視したのが日本軍でした。「輜重(しちょう)が兵隊ならば チョウチョ、トンボも鳥のうち」というざれ言があります。輜重とは兵站部門のことです。そもそも、陸軍参謀本部や海軍軍令部のエリート将校にとって、兵卒はしょせん、1銭5厘(当時のはがき代)で集められる存在。作戦時には3日間分のコメ6合など25キロの荷物を背負わせ、前線へとおっぽり出した。食糧がなくなれば、現地調達しろと。降伏はありえないのだから、負け戦になれば玉砕しかありえません。敗残兵の消息など気にもとめなかった。

 これに比べ、米国の手厚さは語るまでもないでしょう。あるエピソードがあります。ブッシュ元大統領(第41代ジョージ・H・W・ブッシュ、第43代大統領の父)は戦時中に小笠原諸島の父島沖で撃墜されました。元大統領は救助されましたが、この時に捕虜になった同僚がいました。戦後、米軍の調査団が父島を訪れ、彼が埋葬された墓地を掘り返したんです。すると、遺骨の首は切断されており、日本軍に処刑されたことが明らかになった。一兵士に対するまで、その死をないがしろにしない。国家としての責任を果たしているんですね。

 日本軍は自己の実力を顧みず、攻勢の限界線をはるかに越えました。餓死者が続出するのは当然のことです。私は戦没者のうちの7割が、広義での餓死だと思っています。このような軍隊は古今東西にありません。人間をまるで、将棋の駒のように扱っている。

 海上を移動中に乗船が沈められ、死亡した陸軍将兵は18万人にも上ると見積もっています。これも補給軽視、つまりは人命軽視の表れです。開明的とされている海軍ですが、陸軍とそんなに違いはありません。レイテ沖海戦で、小沢艦隊はおとりになりました。基幹の空母4隻に搭載した航空機は定数をはるかに下回る100機余りしかなかったのに、整備員は必要もないのに定数を乗せた。帳簿上の員数合わせだけを気にする官僚主義としかいいようがない。

 軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやりました。特攻作戦も同様です。特攻隊員たちの純粋な気持ちを利用した。「日本的美学」などと言われるが、とんでもない。立派な作戦であるような顔をして、机の上で「今日は何機出撃」などと記していた参謀らを許すべからずです。

 集団的自衛権の行使について、容認する声があります。何を言ってんだ、と思いますよ。戦後の日本は平和だった。その権利を行使しなかったため、何か問題があったのでしょうか。

 太平洋戦争を巡り、これまで各国の将軍、提督たちを数多くインタビューしてきました。みんな、偉い人は生きているんですよ。戦争とはそういうものです。「戦没者230万人」の犠牲のうえに日本は成り立っています。その数が示していることは何か、考えてみるべきじゃないでしょうか。


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幕末・明治維新の英霊。。西郷隆盛
 薩摩藩他いわゆる賊軍は無視される


しかし、第二次世界大戦では日本が
 敗戦国であり、敵国条項記載国であり
  米国はじめ連合国にとって賊軍でもある


つまり、日本政府に”従順な”軍だけ
 それを以って敗戦国軍であろうが英霊


また、一般戦没者戦死者は無視なのだ

そして、その死因たるや。。餓死が
 相当割合に上る!の論考が出たということ

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