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東日本最古・最大級の巨大古墳がつぶされる…。静岡県沼津市の道路建設計画
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150707-00888338-sspa-soci

『景観・歴史・文化・環境・生態系などの破壊に目をつぶり、ひっそりと進行している開発計画は
 数多い。それは本当に必要な事業なのか? 地元住民はどれだけ情報を与えられているのか? 
 全国各地で進められている、“あまり知られていない”開発計画の現状をリポートした!!

 静岡県沼津市の巨大古墳が、道路建設で削られようとしているという。

 この「高尾山(たかおさん)古墳」の実像が明らかになったのはつい最近、’08年のこと。沼津市
 中心部と東名沼津IC・国道246号方面を結ぶ都市計画道路「沼津南一色線」の建設のため、そ
 の計画線上にあった2つの神社が隣接地に移転となった。すると、その下から巨大な前方後方
 墳が出現したのだ。しかもこの古墳、考古学的には非常に重要なものだという。静岡大学の篠
 原和大教授はこう解説する。

 「高尾山古墳は、東日本最古・最大級の古墳です。築造は230年頃、埋葬は250年頃と推定さ
 れています。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓と言われる前方後円墳・箸墓古墳(奈良県桜井市)
 よりも前に、東海地方でこれだけ巨大な前方後方墳が造られていたというのは、非常に重要な
 発見です」

 高尾山古墳は全長62.178m、周囲に幅8~9mの周溝が巡らされ、周溝の底から墳頂までは
 4.679m。これは古墳出現期としては全国でも屈指の規模だという。それだけの勢力を持った王
 がこの地域に存在したということになる。

 「最初のスルガの王の墓と言ってもよい。卑弥呼と戦った狗奴(くな)国の王・卑弥弓呼(ひみこ
 こ)の墓だとする説もあります」(篠原教授)』




 
高尾山古墳

3世紀前半(古墳時代最初期)
 の西暦230年頃の築造と推定
  され、東日本では最古級、
   築造当時の東日本では最大級


墳丘長62.18m  前方後(方)



箸墓古墳は前方後(円)墳である

箸墓古墳以前の
 前方後方墳。。。
以前
  兵庫県の地方の王墓という
   ことで、取り上げた記事がある




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【ヤマト勃興以前の王の墓】≪神戸の<前方後【方】墳>【西求女塚古墳】で重要文化財の青銅鏡破片拾う≫・・・【王に呼ばれた少年!】


少年が拾ったもの
 銅鏡の破片、しかも重文
  重要文化財か。。まぁ。。
   そういうこともあろう

と二日間ほど、このニュースを
 放置していて。。今朝調べて
  腰を抜かした(笑)


兵庫県神戸市灘区
西求女塚古墳
全長98mを超える
 大型の前方後【方】墳
3世紀後半築造推定


青銅鏡といえば
 日本国内では、三角縁神獣鏡
  が有名で。。となれば邪馬台国


しかし、これも大いに眉唾の話
 三角縁神獣鏡は、中国で作られたとか
  日本で作られたとか。。
また、4世紀以降に作られたから
 邪馬台国とは無関係だとか
  古墳時代が4世紀から3世紀に
   繰り上げられたから。。
それを根拠のひとつとして
 邪馬台国九州説と畿内説が
  激論100年。。いや、それ以上


ただ、三角縁神獣鏡は
 古墳時代初期大型古墳から
  日本列島津々浦々相当程度
   見つかっており(この古墳からも)
    
邪馬台国は、東北から九州まで(笑)


それに邪馬台国卑弥呼が
 中国から下賜されたのは銅鏡
  (翻訳が正しければ・・・)
  三角縁神獣鏡とは限らない


しかし、今回見つかった
 浮彫式獣帯鏡
 1世紀ごろに中国で製造されて
  伝来し、3世紀後半に副葬された
   とみられる。。とするならば!!

この銅鏡発見の方が
遥かにビッグニュース


更には、3世紀後半築造の
 前方後方墳とすれば
  ヤマト勃興と同時期か
   それ以前の古墳となる

しかも前方後方墳は
 ヤマト王権の直接の支配下に入らず、
  周辺部で独自の勢力を有していた
   有力な豪族の古墳に多いとされ

特に東日本の前期古墳に多く存在。
 また、中国・四国地方にも多く存在、
  中でも出雲地方の前方後方墳は
   古墳時代を通じて築かれていた

つまり、吉備・出雲・東海
 四国、畿内。。ヤマトを御輿
  のように担ぎ、勃興させた
   諸国に多い古墳の特徴である


この西求女塚古墳
石室の石材は、地元のものだけでなく、
阿波(徳島県)や紀伊(和歌山県)など
からも運ばれており、地元の土器は出土
しておらず、祭祀に用いられた土師器に
は山陰系の特徴をもつものが出土している
ことから、
山陰や四国・南近畿などの諸地域と
深い交流をもっていたことが推察され、
瀬戸内海や大阪湾など水上交通に
影響をもつ
首長の墳墓と考えられる


ヤマト傘下にはなかった
 独立王国の王の墓だった


王に呼ばれた少年といえる。。 



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『◆「調査」と言いながら古墳を削り取る沼津市

 しかし沼津市は、この重要な古墳を壊して道路を建設する方針だ。沼津市は’16年度末までに
 高尾山の「発掘調査」を行い、’17年度から古墳跡地の道路建設工事に着手するという。つまり、
 「調査」とはいえ古墳は削り取られるのだ。

 沼津市議会は6月の定例会最終本会議で、高尾山古墳の調査費5100万円が盛り込まれた予算
 案を可決した。議会での反対もあり、閉会後に栗原裕康市長は「調査に入る時期はしばらく保留し、
 文化庁・国交省・県・学識経験者らを交えた協議会を設け、その意見を参考にしながら今後の方針
 を決める」と表明したものの予断は許さない。「高尾山古墳を守る市民の会」代表の杉山治孝さん
 はこう語る。

 「これだけの重要な古墳があるというのは地域の誇り。教育上も大事です。昨今は“古墳ブーム”と
 も言われていますし、観光資源にもなり得ます。でも沼津市民にはその価値がほとんど知られてい
 ない。私たちは、道路が必要ないと言っているのではないんです。迂回ルートをつくるなど、古墳を
 保存する方法を検討してほしい」』



何度も言っているが。。箸墓古墳は
 卑弥呼の墓ではない、と考えている



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≪卑弥呼墓は、箸墓古墳ではない!邪馬台国は日本には無い≫<日本古代史界には、政治以上のプロパガンダ>【卑弥呼が日本列島の女王。。初代天皇が強大な征服王。。《どちらも違う》】


文化庁。。日本政府側
 そりゃ、否定的な見解は
  表明などしない、出来ない


卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ば
 までに、倭国の中心が九州から近畿に移った


これは本当だろうと思っている

ならば。。
奈良桜井の纒向遺跡
 邪馬台国ではなく。。
  ヤマト王権発祥地だろう


邪馬台国は、古くは九州説
 が断然優勢。。しかし、この
  纒向遺跡が逆転HRとなり

   
箸墓古墳を卑弥呼墓として
 畿内、ズバリ奈良を邪馬台国に
  という畿内説が圧倒的に有利に


小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!という見解

   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた

纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓
  という説の登場
により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m

日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された
との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造
との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者
それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い

とすれば。。


纒向石塚古墳、ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、
纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳
と数多く存在
そしてこの記事の
京都府向日市の国内最古級の前方後円墳
五塚原(いつかはら)古墳も条件を満たしてくる


卑弥呼墓の大きさを150m
 としてみた、のは当初の見解
  それでも300mの箸墓古墳では
   あまりに大き過ぎると言ってみた


ところが。。卑弥呼墓の大きさ
 150mもないのではないか?
  とも思えてきた訳である・・・。


それに。。卑弥呼、本当に日本の女王か
 なぜ。。卑弥呼、このような字を充てるのか


まず卑弥呼墓の円墳直径
 百余歩=約150m


日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


としてみた、小生の見解を訂正である

古代中国の一歩を。。1.4m程度と換算
 しかし、古代の中国の単位は同じ歩でも
  殷・周・秦・漢・魏・晋。。正に百変化に
   近い伸縮具合なのであり。。
要は

小生、古代史研究家の如く上手く
 綿密な論理では言えないのであるが

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ


と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


纒向遺跡は邪馬台国ではない
 箸墓古墳は、卑弥呼墓ではない

  ヤマト王権発祥の地が纒向遺跡
   これなら、納得も出来るというもの


ならば、箸墓古墳は初代倭王
 即ち、初代天皇墓ということなのか


違うと思えてならない
 皇国史観によって、またそれに
  抗えない古代史・考古学界
   による扇動・プロパガンダだ!


ヤマト擁立の各強国の最右翼
 キングメーカー吉備の大王墓に決定



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まぁ。。卑弥呼の話はこれぐらいにして
 沼津市よ。。現代の道路など。。予算など
  変更すればそれで簡単に済む訳なのだ


市民の心の拠り所。。文化遺産これこそ
 それを目当てに観光都市として栄華も!


文化や古代史などに造詣は無い
 かも知れない市議会議員諸君よ
  どうか、市民のために法案・予算は
   忘れて欲しい。。それこそが票を生む



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