寺とは何か「教会でもモスクでもありません」と橋爪大三郎氏
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150103-00000014-pseven-soci

『戦後、新宗教(一般的に幕末~明治以降、現在までに創設されたもの)が勢力
 を伸ばした背景には、既存の伝統仏教が人々の「救い」になりえなかったという
 指摘がある。江戸時代に定められた檀家制度を踏襲し、さらには寺院を世襲運
 営している日本仏教の現状は、世界から見ても特殊だ。改革の必要はないのか。
 社会学者の橋爪大三郎氏に聞いた』



日本の既存宗教。。というがそもそも
 宗教としての体を成しているだろうか


本山級の大寺院は、末寺からの上納金
 また、観光遺産としての拝観料で運営。。


何も知らない一般観光客が。。仏教を
 元々知らない上に、仏教を会得して
  帰ることすらも無い。。博物館といえる


布教などしていないのだから。。
 我々に積極的に攻めてくるのは
  一貫して、新興宗教勢力なのである




『現在の「葬式仏教」をやめて、本来の仏教を日本に復興するには、いまの仏教
 界をスクラップにする、リセットボタンを押さなければならないのでしょうか。

 世襲の寺院はつぶして、葬式もやらない。しかしこれでは、新しい仏教がかわ
 りに生まれて来る保証がない。

 仏教寺院は現に、日本の葬儀の大部分を担っています。それなりに社会的サー
 ビスを果たしている。また貴重な文化財を多く保存してもいる』



「自分は仏教徒である!」というひとがいる
  しかし、我々は仏教を知っているか?
   大きな有名寺院は博物館。。
    街の小さな寺は、一般大衆の葬儀場。。

     戒名他高い料金、寺で葬儀はまだ名士

今、冷暖房利いた葬儀資本の葬祭場
 で葬儀が一般的に。。参列者にも親切である

  そして今般、密葬・家族葬・直葬が主役にも。。




『ただ私は、その前に、「寺とはなにか」を突き詰めて考えてもらいたい。寺は教会
 でも、モスクでもありません。

 寺がなければいけないと、経典のどこにも書いてない。寺は仏教の本質と、関係
 ないのではないか。そこまでさかのぼらないと、人々の深いところに届く運動にな
 らないと思います。

 仏教の本質に関係ないことに、価値を認めないようにすべきです。

 葬儀はやってもいいが、仏教の本質と関係ない。戒名は、ますます関係ないから、
 そのことをはっきりさせる。法を説く、という釈尊の活動に立ち帰って、仏教の活動
 を再組織していく。瞑想や念仏、座禅は、いつどこででもできます。

 仏教に関係ないことを削ぎ落とし、もっとも大事なことがらにふさわしい器を造る。
 仏教再生は、ここから始まるしかないと思うのです』



橋本氏の見解は、極論でも異端でもない
 小生。。一時は社寺仏閣に魅せられただけに
  余計にこの言葉に感じ入ることが多いのである


各如来。。菩薩。。明王。。天
 真言(マントラ)唱えれば。。経典読めば

  確かに、寺に行かなくても良いのではないか
   書物でも会得可能!とも思うことがある訳で。。



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<弘法大師が泣いている>【讃岐・真言宗というのが極めて残念!】≪やはり、《仏・法》には帰依出来ても《僧》には帰依出来ぬ!!≫<善通寺暴力事件>


四国・香川県そして
 真言宗・善通寺というのが
  極めて残念であり、悔しい


総本山善通寺
 本尊薬師如来


四国八十八箇所霊場
 の第七十五番札所
真言宗十八本山一番札所
和歌山県の高野山、京都教王護国寺東寺
 と共に、弘法大師三大霊場に数えられる


日本を代表する寺院といって良い

そして、弘法大師空海が開いた
真言宗にとって
 無くてはならない寺院のひとつ


空海生誕伝承寺院でもある
 小生も、何度も参拝している


仏・法・僧というが
 仏、法には帰依出来ても
  僧には帰依出来ぬ。。

その思いを一段と強くした


小生、既に≪仏法僧を見直している≫!!『高野山真言宗』の【デリバティブ失敗巨額損失】に思う。。

真言宗には親近感抱く
 小生としては、残念であるが
考えてみれば、
 それほどの屈辱でもない(笑)

やはり、
生身の人間というヤツは・・。


この一件。。これまた
数年前の
延暦寺での暴力団葬儀
開催
 あのゴタゴタを思い起こしてしまう


弔いと義理かけは別。。当り前

ただ。。
組織暴力であれ、経済人であれ、学者芸術家であれ、

神仏の前には皆平等。。か弱き存在。。

代表者のみの少人数で参詣・法要。。葬儀費用のみ。。

義理かけ完全辞退。。ルールを決め。。それを守らせる。。

信仰心あるものは必ず悦んで従う



それが出来ないのは。。偉大なる先人達のようなカリスマ性に欠ける

といってしまえば、気の毒かも知れないが。。

あれだけ厳しい修行もしているだろうに。。その割には(笑)


小生。。4年前に既に
俗・煩悩から開放されている(笑)


仏教・密教で『仏・法・僧』とか言われます

ちょっとした経書(しおりに毛が生えたようなもの)持ってますが
そこには。。

帰依・・・仏(宇宙やからこれはOK)
帰依・・・法(宇宙の法則やからこれもOK)
帰依・・・僧。。。ちょっと待ったぁ!

先生として、先達として。。信用し、敬意を表すのは良いとして
『帰依』(崇拝)は如何なものか。。
『生身のヒト』を崇拝し出すと怪しくなる、と小生は考えてます。


名のある宗教法人執行部
 と言えども、生身の人間
むしろ、組織運営に明け暮れ
 「教え」からは遠ざかって久しい
かも知れない
だから、むやみに信用するべからず


巷近隣地元の僧。。
 まだまだ人格者も多数いる
だろう事は容易に想像出来る

つまり、堕落への境界線は
 欲とカネと色か(爆)

人間界・俗世間での単なる
 ”名士”になってしまっている

歴史上の巨人
 たちが。。
  弘法大師が泣いている


善通寺幹部には
 知らせていなかったというが
  暴力の善悪。。それも含めて
   修行・教育・仏道ではないのか?


被害にあった奈良の若い僧侶
 はともかく。。善通寺の暴力
  起こした僧侶二名には   

仏門から出て行ってもらいたい


葬式仏教がまた
 蔓延るだけである



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小生。。
 1年以上前の記事であるから
  5年前には、観光寺院参拝の
   呪縛からは解き放たれている訳だ


これは、ほんの代表的な例に過ぎず
 全国津々浦々の仏教寺院は、今や
  観光博物館、葬式仏教に成り果てている


ましてや本山事務局の偉いさんが
 財テクに励み。。夜はネオン街へとも
  なれば。。バブル時代の大企業である
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