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陵墓参考地、初立ち入り 男狭穂塚(西都原古墳群)

『西都原古墳群(西都市)の陵墓参考地にある男狭穂(おさほ)塚(墳長176メートル、
 5世紀前半)周辺で4日、日本考古学協会など七つの考古学・歴史学関係団体が
 立ち入り見学を行った。皇族の陵墓の可能性があるとして宮内庁が管理する同所に、
 民間の学術団体が入ったのは初めて。普段は立ち入りや調査が規制され、謎に包
 まれた陵墓参考地の研究進展を促す一歩になりそうだ』



九州。。宮崎。。西都原古墳群
 名前ぐらいは聞いたことがあった
  しかしながら、地理に疎い。。また
   どういう訳か、阻害されている感の
    九州地方。。
が、超弩級の重要地!!

小生も不覚ながら、見過ごしてしまっていた

西都原古墳群に属する
 男狭穂塚(おさほづか)
  全長175m 築造5世紀前半

   被葬者は。。なんと!瓊瓊杵尊

瓊瓊杵尊。。天孫ニニギ
 天照大神の孫。。天孫。。そして
  かの有名な天孫降臨神話の主役
   そのひと、ニニギ神が被葬者に議せられ

    とのことで、宮内庁より陵墓参考地に。。
     明治時代。。この頃は宮内省だったか

日本神話上は、初代神武天皇の
 曽祖父にあたる人の陵墓がなぜに
  5世紀築造なのか。。いや逆に
   考古学で5世紀築造とされる古墳


この被葬者をなぜニニギ神として
 宮内庁は陵墓参考地にしたままなのか!


ひ孫にあたる神武天皇が初代の
 ヤマト王権が創建されたのが3世紀半ば
  でその曽祖父のニニギ神の墓が5世紀か!

この男狭穂塚の被葬者として
 古代。。地方の王である国造
  日向国造の始祖。。大首長確実だ


12代景行天皇と日向の御刀媛(ヒハカシヒメ)
 との子。。豊国別王(トヨクニワケノミコト)との説
  があるようだが。。
そちらの方がよほど!

現実味も夢もある話。。魅力的なのである


宮内庁は、この手の
 神話絡みの、皇室絡みの遺跡・古墳
  一切タッチするつもりが無いのだろうか


疑問が呈されている古墳の被葬者
 陵墓参考地はこれ以外にも沢山存在である


邪馬台国畿内説VS九州説
 いや、明治以来の皇国史観いやいや
  役所や自治体の補助金絡みの思惑
   そういう障壁が真実追究の足を引っ張り

    夢を失わせ。。非現実的にさせるのか


歴史。。古代史。。そして日本神話
 邪馬台国論も含めて、我が国には
  政治よりも強大なプロパガンダがある

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