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NHKが「皇室の祖先は天照大神」と報道→「現人神宣言か」と批判の声 神話と史実を混同するような伝え方だとして、疑問の声が出ている。



久しぶりに古代史・考古学
 分野に関する記事を書こうか


と思えば、やはり安倍政権
 界隈と深い関係のNHK絡みか



退位を控えた天皇皇后両陛下は4月18日、伊勢神宮(三重県伊勢市)に参拝された。このニュースをめぐって、NHKが皇室の祖先は「天照大神」と報道。神話と史実を混同するような内容だとして、批判の声が出ている。
退位に伴う儀式をめぐる報道だった

天皇皇后両陛下は18日、退位を報告するため伊勢神宮の「外宮」と「内宮」を参拝された。退位に伴う一連の儀式の一つで、両陛下にとっては在位中最後の地方訪問となった。

この儀式について、NHKニュースは18日に「皇室の祖先の『天照大神』がまつられる伊勢神宮の内宮」と報道。その後に記事は更新され、「皇室の祖先をまつる伊勢神宮の内宮」と記されている。



日本神話は、わが国唯一の史書
 考古学上の発見も最後は記紀神話
  と照合する場合が多いのである


しかし、その記述内容には
 極めて疑問点が多いことも事実だ


日本神話の初期・古代天皇に関する
 記述での最大の疑問点は年代・時代である


皇室の初代。。つまりヤマト王権勃興
 は3世紀半ばから後半とされている訳だ


その祖先ならば弥生時代と推測
 するのが常套手段ではないだろうか


しかし、天照大神は「神」なのだ
 人間である天皇の祖先。。とはいったい


これが日本神話が史書でありながら
 宗教・信仰に関係してしまう点である


しかも、天照大神にはモデルがいる
 という説は古来各所で流布されている


初代天皇よりも遥かに後年の
 神功皇后・持統天皇。。そして卑弥呼。。


歴史学者・史学界・作家などが
 この神話を基に様々論じるからヤヤコシイ


天照大神とも微妙に関係の
 邪馬台国卑弥呼墓を箸墓古墳
  とする邪馬台国畿内説学派が


史学界の主流をなしており
 幅を利かせているのも真相解明の妨げだ!

 



【邪馬台国は日本に非ず】《日本古代史最大のプロパガンダ》<女王卑弥呼の墓=箸墓古墳>説を・・・【全否定してみる】


<日本神話の最高神>≪天照大神の末裔≫・・・【天皇の存在が我が国の支えだ】


しかし、天皇・皇太子・皇室
 が天照大神を祖先と考えているか
  信じていないと考えた方が妥当だ




≪日本の曙!《ヤマト勃興》に関する壮大な推理≫<卑弥呼・邪馬台国は日本ではない>【ヤマト王権は周辺強国により擁立された!!】


2世紀の楯築遺跡に注目すれば  

桜井の箸墓古墳は
 この楯築遺跡の特徴を色濃く継承
  吉備の王との繋がりを権力基盤に

 
この説を聴いたシンポは
 箸墓を卑弥呼墓と”仮定”した
  上で岡山杵築遺跡との強い繋がり


を説いており極めて説得力があった
 
後に出てくるが。。箸墓はヤマト
 キングメーカー墓であるとするならば


吉備の大王およびその末裔
 がヤマトキングメーカーということだ




≪箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではない!と推理する≫【ヤマト王権擁立の第一人者<吉備の大王墓>だ!!】


考古学上の発見は神話に照合
 してみるだろうが。。考古学上発見
  を無視しては真相は一切解明不可能


ヤマト王権=大和朝廷は
 吉備・出雲・越・畿内・東海・伊勢
  の諸国から擁立されるように成立


これが定説となっているのであるから

  


≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】


欠史八代(けっしはちだい)とは、『古事記』・『日本書紀』において系譜(帝紀)は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと、あるいはその時代を指す。

現代の歴史学ではこれらの天皇達は実在せず後世になって創作された存在と考える見解が有力であるが、実在説も根強い。(ウィキペディア)


この欠史八代。。初代と第10代崇神を
 同一と見做したうえで2代~9代を架空
  とする説であるが、
大反対なのである

ヤマト初代は大国の擁立で即位
 であるからその後代を世襲でなどは
  到底不可能だったと考えるべき


2代~9代の記述が薄いのは当然
 いや、書きたくなかったのではないか!!




≪安倍総理が伊勢志摩サミット前に伊勢神宮と橿原神宮参拝したことが話題に≫<昭和天皇の真似をしたらしい>【しかし、それは全く筋が違う総理の勘違いであり誰か注意しろ】



≪自らの信仰、空想上の天皇に帰依する日本会議に操られる安倍総理≫<確かに安倍政権から経済政策は出ない>【しかし、創価学会の揺さぶりに急停車!!】



日本神話を曲解して、信仰上・空想上
 架空のミカドに帰依し。。自帝国夢見る
  日本会議。。
そして信徒安倍、さらに

それに関係深いNHKの記述など
 噴飯物であり、即全否定して切り捨てる




≪天皇・皇室も紀元節(神武天皇即位2677年)を信用していない可能性≫<天皇誕生日に思う>【箸墓古墳は卑弥呼墓でも初代天皇墓でもない、キングメーカー墓である!】



安倍総理及び安倍を御輿に担ぐ
 界隈。。政府・内閣官房の言動は

  
保守でも天皇賛美でもないことに気付け

何より今上天皇・次期天皇皇太子は
 相当深く学問を収め積んでおられる

明治天皇ですら祖先かどうか、も含め

王権の起源にも思い馳せて
 真髄についてもお考えがあるはずだ・・・。
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「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル 福岡県赤村


「豊の国古代史研究会」の調査では、後円部に当たる部分は直径約150メートル。魏志倭人伝にある邪馬台国女王卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。


後円部が女王卑弥呼墓
 の「百余歩」に一致する
って。。

こじつけか!

小生畿内説には反対!!
 箸墓古墳を卑弥呼墓に
  という点で絶対反対だった


九州説派も畿内説派みたい
 になってきたな、悪い意味で




箸墓古墳


被葬者
宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理されているが、この古墳を卑弥呼の墓とする研究者もいる。その根拠としては、

この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致すること
後円部にある段構造が前方部で消失することから、当初は円墳であり前方部が後世に付け加えられた可能性があること
大規模な古墳の中では、全国でももっとも早い時期に築造されたものであること



しかし、卑弥呼はそんなに
 大物などではないと考える




≪箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではない!と推理する≫【ヤマト王権擁立の第一人者<吉備の大王墓>だ!!】



≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】


デカくなればなるほど
 卑弥呼墓から遠のくと言って良い

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ

と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


卑弥呼墓。。百余歩・・150m未満
 シャーマン的存在の30余国。。このクニ
  は村落といって言い訳で、日本の王
   とは考え難く。。卑弥呼では絶対無理


初代倭王(天皇)でもそれは困難で
 もっと、大物だったと考えた方が良い


間違い無い!初代倭王を生み出した
 超古代版治天の君。。ホントの倭王
  吉備の大王と考えた方が自然である


世界文化遺産の国内候補 大阪「仁徳天皇陵古墳」周辺を空撮



仁徳天皇陵古墳??
 大仙陵古墳で良い訳だ




論点 世界遺産候補、百舌鳥・古市古墳群



「仁徳天皇陵古墳」とされた大山古墳と
「履中天皇陵古墳」の百舌鳥陵山古墳を
出土遺物などの研究成果から見た場合、
築造順序は百舌鳥陵山古墳が先になる。

これはほぼ定説で、
16代仁徳天皇、17代履中天皇という
歴代に反する。


神話を重視したいなら
 古墳の名称も入れ替えるべき

まさか、大きく遡って
 歴代を修正する訳にもいかぬw




≪百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録は問題あり過ぎ≫<そもそも問題ある日本神話(特に日本書紀)を基にしている>【いや明治以降の天皇確定作業が大問題】



何が何でも、天皇の名を前面に
 推し立てた上で、有名な仁徳天皇
  の陵墓を日本一!にしたい訳だ・・。


国際的にどうとか、海外からの
 人々にどう映ろうが関係ないのだ


日本神話を拡大解釈した
 明治以来の国家神道・皇国史観
  その時代に愛着の日本会議的な・・。


天皇も皇室も学問に長け敏感
 歴史には特に強い興味をお持ち
  であるから迷惑に違いないのだが
蘇我氏の躍進はどこから始まったのか



蘇我氏の躍進は、6世紀前半、宣化天皇の時代に、稲目が創始されたばかりの「大臣」に任命されたことに始まる。

蘇我氏初代、蘇我稲目と記憶した
 葛城氏系は知っていたが。。入り婿
  だったのか、道理で葛城市に遠慮も




【蘇我氏・・・超大豪族・超権力者の肖像】<日本書紀・古事記>。。いわゆる≪日本神話を超越した存在の【代表格】!≫


天皇家に迫る。。場合によって
 凌ぐ権勢誇った古代大豪族の
  中でも新興に分類されるのかも




【日本神話編纂以前】<古代史の謎>。。【推古天皇時代】・・・≪聖徳太子虚構説≫



藤原不比等が編纂総責任者
 とされる日本書紀は、天武天皇
  から命じられた編纂取っ掛かり
   の最初こそ、天皇家賛美の書だ


しかし、7世紀後半から編纂した8世紀
 初頭まで、数10年経過してしまった。。

藤原不比等はその間権力の階段
 を昇り詰めて行き、やがては藤原
  賛美の書に性格を変えていったと。。


その過程で、古代大豪族の存在
 が、邪魔で仕方なかったのは明白だ。。


天皇陛下の84歳を祝う一般参賀 「祝意に深く感謝」


今上天皇はバランス感覚のある方
 そういうイメージで観ている、なので
  安心感がある訳だ、皇太子は更に
   様々な勉強をしておられると聞く・・。



天皇・皇室がしっかりとした
 象徴天皇・皇室の務めを
  果たすと仰っているにも拘らず


要らん概念を信用するばかりか
 流布する勢力が存在し、あろうこと
  か政権に極めて近いところに位置。。




建国記念日=紀元節=神武天皇の即位日=2676年 世界最古の歴史!!


彼らは、今上天皇に傅いている
 のでもなければ、皇室に帰依
  しているのでもないと考える訳だ


建国。。国家。。しかも信仰上の
 そう、カルト宗教の教義といえる




昭和天皇の弟。三笠宮殿下も
 非常にバランス取れた考えの持ち主



「架空の歴史を信じない」。戦時に軍部を批判した皇族、三笠宮さまが注目される理由



箸墓古墳隣接の「池の水抜く」放送中止 地元が協力断る


箸墓古墳は、御用史学界により
 卑弥呼墓という流れが主流かも
  知れないが、絶対に違うと考える



結論から言うと、キングメーカー
 吉備国の大王の墓、としか言えん


岡山・造山古墳後円部で葺石出土 墳端か、規模や墳形解明手掛かりに



その遥か末裔の古墳ですら
 5世紀に築造で、未だ全国4位
  の超巨大墳墓を造る力が有った




≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】


≪安倍総理が伊勢志摩サミット前に伊勢神宮と橿原神宮参拝したことが話題に≫<昭和天皇の真似をしたらしい>【しかし、それは全く筋が違う総理の勘違いであり誰か注意しろ】


安倍政権などという代議員・国会議員
 に過ぎない集団、その代表安倍晋三
  議員を信奉する連中は、シッカリと
   歴史を勉強した方が良い、最低でも
    その姿勢を忘れないことである・・・。
<チバニアン>地質年代に 77万年前、磁場逆転の痕跡


千葉県市原市

市原市

古代においては市原市の国分寺台から能満にかけての一帯が上総国の中心地域だったと見られる。市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府がどこにあったかは正確には分かっていない


上総国・・・かずさのくに
菊麻国だ!

菊麻国造

菊麻国造(きくまのくにのみやつこ)は現在の市原市北部から千葉市南部の村田川流域を支配していた国造。支配領域は菊麻国と呼ばれる

先代旧事本紀によると成務天皇の時代、无邪志国造の祖である兄多毛比命の子の大鹿国直を国造に定めたことにはじまるとされる。胸刺・波伯・大嶋の国造も兄多毛比命の子とされるので、同系とされる。




出雲王国 27南関東は第二の出雲王国  国家最大のタブー



【ヤマト建国物語】<偉大なる建国者であり、開拓者!>≪同一神である伊勢津彦と諏訪大神≫は。。【伊勢から日本列島大半を支配下に治めている】


日本神話は
 一柱の神にも
  別名が多数あったり

別神とされた神々が
 実は、同一神なのではないか
  ということが多々あるらしい

ただ。。日本神話は
 7世紀に編纂開始され
  完成は8世紀に食い込む

皇室を賛美する
 という建前ながら
  実は最高権力者
   藤原氏の名を高める
    道具とされた可能性

神々の名も。。実は
 時の政権の都合によって
  神の入れ替え・神隠しが
   行われてきたといって良い

古来。。地域・集落で
 崇められてきた神が
  スサノヲやアメノコヤネ
   という権力者藤原不比等
    賛美の神話に組み込まれ。。



天理・黒塚古墳出土「卑弥呼の鏡」33面を公開 橿考研付属博物館


何年も前から何度も言っている
 邪馬台国畿内説は怪しいのだ

邪馬台国は畿内に非ず
 国内なら九州が俄然有力である





邪馬台国論争が再び白熱 「九州説」派巻き返し



原田氏は「古事記、日本書紀との距離の取り方で研究者の立場が決まる」と指摘する。日本書紀の記述をどこまでを史実の反映と認めるかで邪馬台国の実像も変わってくるとしている。



古事記・日本書紀の神話との距離感
 明治以降の皇国史観に関係する気が




邪馬台国は「99・9%」九州にあった  邪馬台国は福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎




≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】



明治以降の皇国史観
 皇国の『皇』は、神話上の
  天皇・大王・倭王をさらに
   空想と信仰上の情念を
    交え膨らませた架空の天皇

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録、京都の研究者ら課題指摘
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170528-00000017-kyt-l26

大阪府などが世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群について、京都の研究者らが、古墳群に含まれる天皇陵に関する問題点を論文集にまとめた。編著者の京都大人文科学研究所長の高木博志教授(日本近代史)は「埋葬者が特定されていない現状を正確に示す名称や、文化財としても位置付けるなど、登録前に明確にしておくべき課題は多い」と指摘する。
 古墳群は、大阪府の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがる4~6世紀に築かれた古墳89基で、日本最大の前方後円墳(全長486メートル)の大山(仙)古墳(伝仁徳天皇陵)などがある。地元自治体が世界文化遺産登録を目指しており、文化庁の暫定リストに含まれている。
 現状の課題について、高木教授らは考古学や歴史学の視点から「世界遺産と天皇陵古墳を問う」(思文閣出版刊、2484円)をまとめた。
 課題の一つは、天皇陵の名称だ。現在の天皇陵は、江戸時代末期から明治時代に調査され、旧宮内省が定めたものを踏襲している。戦後、考古学者の故森浩一氏は検討を重ねた末、仁徳陵を「大山古墳」と呼ぶなどと提案。日本史の教科書で、大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)と記され、定着してきている。
 ところが、大阪府などでつくる世界文化遺産登録推進本部会議の資料ではそれぞれ、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳となっている。同会議事務局は「文化庁と宮内庁と相談し、一般的になっている名称を選んだ。古墳群の説明で、さまざまな名称があることも紹介している」としている。
 編著者の一人、今尾文昭・関西大非常勤講師(考古学)は「古墳群の天皇陵は、学術的に特定人物の古墳と確認できていない。資料通りの名称だと、国内外に誤解したイメージを広めてしまう」と訴える。
 国内法での位置付けについても言及している。天皇陵は現在、国有財産法に基づく「皇室用財産」で、宮内庁が管理し、原則非公開となっている。高木教授は「現状のまま登録されれば、秘匿性を高めることになりかねない」と危ぶむ。「古都奈良の文化財」の登録では、皇室用財産の正倉院の建物が、文化財保護法の国宝に指定された例がある。高木教授は「古墳群の天皇陵も、文化財の国史跡として二重に位置付けられるはず。あせらず、諸課題について幅広く議論して合意形成したうえで、市民に開かれた世界遺産を目指してほしい」としている。



課題の一つは、天皇陵の名称
江戸時代末期から明治時代に調査され、旧宮内省が定めたものを踏襲している。戦後、考古学者の故森浩一氏は検討を重ねた末、仁徳陵を「大山古墳」と呼ぶなどと提案。日本史の教科書で、大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)と記され、定着してきている。ところが、

大阪府などでつくる世界文化遺産登録
 推進本部会議の資料ではそれぞれ、

  仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳。


それ以上に、生没年・在位期間
広く知られている天皇の一覧
6世紀以前の天皇の生没年・在位期間については、武烈天皇以前は実態不明であるが、『日本書紀』の記述を掲載



天皇の一覧


百舌鳥・古市古墳群の天皇陵
 とされる古墳は、この不明な時代



≪安倍政権の面々や背後の日本会議他新興宗教人の幻想≫<日本に強大な初代征服王が居たと>【考古学界では既に答えが出ている。初代からかなりの代まで傀儡だ】


さらには

『記紀』『延喜式』などの記述によれば、
百舌鳥の地には仁徳天皇、反正天皇、
履中天皇の3陵が築造されたことに


考古学的には
履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)
→仁徳天皇陵(大仙陵古墳)→
反正天皇陵(田出井山古墳)の順で築造
されたと想定されており、
大きく矛盾が生じ


順番が違う!これで世界遺産か!!




晴耕雨読
http://sun.ap.teacup.com/souun/21221.html

「「過去を支配しようとすることは未来を支配しようとすることであった」:山崎 雅弘氏」  天皇と近代日本
https://twitter.com/mas__yamazaki

>…流行語大賞が「神ってる」だと…? #流行語

大賞昨晩のNHK9時ニュース、割と早い時間に10分も費やして、一企業主催の娯楽ネタを丁寧に報道していた。

籾井会長の続投は無い模様だが、既にこういう「体質」が完成したのでお役御免になっただけだろう。

籾井氏が退任しても、この体質はすぐには元に戻らない。

公共放送の社会的役割など眼中にない。

企業のCMで運営する民放の娯楽バラエティ番組が、流行語大賞のような娯楽ネタで時間を潰しても視聴者は観なければいいだけの話だが、受信料を事実上強制徴収し、様々な特権を付与された公共放送が、ニュース番組という枠内で、民放の娯楽バラエティ番組と同質の内容で電波を浪費するのは意味が違う。

近鉄名張駅に掲示されている、伊勢神宮の宣伝広告。

サミットに参加した各国首脳や政府関係者は、自分や自国トップがこのような形で商業宣伝や宗教宣伝、国家神道という文脈での政治宣伝に利用されていることを知っているだろうか。

結果として、国費で行われた公的行事で、神社本庁に利益供与している。

火曜に生放送されたIWJの岩上さんとの番組で、最後に紹介した加瀬英明氏の発言(『日本の息吹』2013年12月号、pp.17-18)。

加瀬氏は、今のアメリカでオバマ大統領が誕生したり、タイガー・ウッズやウィリアムズ姉妹が活躍できるのは「日本がアジア解放、有色人種解放の大東亜戦争を⑯戦ったおかげ」だと述べて、恩を売ろうとしている。

来日したオバマ大統領が天皇にお辞儀した事実についても、勝手な想像で「側近から聞いた」かのような話を創作して、「オバマ大統領は『日本のお蔭で自分は大統領になれたという思いで胸がいっぱいになって深くお辞儀をしたのだ』と語ったそうです」などと吹聴している。

米国の公民権運動が始まったのは、アラバマやルイジアナ等の南部であってニューヨークではない。

米国の黒人が血を流して勝ち取った公民権を、日本のおかげだと勝手に思い込むのは妄想でしかないが、黒人が自力で勝ち取ったものではないと侮辱し蔑視し見下している。

以前にも紹介したように、日本会議の渡辺昇一氏も「シンガポールが独立して欧米と対等に接することができるのは誰のおかげだ」と、シンガポールの人々を見下して恩を売っていた。

実際に日本がやったのは、シンガポールに侵略し、地名を変えて日本に併合しただけで、独立運動の支援など一切していない。

火曜に生放送されたIWJの岩上さんとの番組でも紹介した、シンガポール建国の父と呼ばれる初代の同国首相リー・クアンユーの回想録の記述。

「日本人は我々に対しても征服者として君臨し」日本人以外のアジア人を「日本人より文明が低く民族的に劣ると見なして」見下していたと、はっきり書いている。

渡部昇一氏、加瀬英明氏、小堀桂一郎氏など、日本会議系人士はなぜ、ここまで今上天皇が明確に述べられたお言葉を平然と足蹴にして「今の天皇より俺の方が天皇の本質を理解している」という傲慢な態度をとれるのか。

渡部昇一氏は「有識者会議は皇室制度の専門家ではない」と言うが、貴方も同じだろう。

日本会議の機関誌『日本の息吹』にノーチェックで掲載されたこれらの発言は、日本会議の人士が黒人やアジア人を日本人より劣る存在として、今も見下している事実を示しているが、彼らは相手が天皇であっても、自分が優位であるかのように語っている。

一見日本会議を批判しているように見えて、日本会議批判の矛先を脇に逸らすために「日本会議はただのミソジニーおやじの集団です。戦前回帰でもなければ安倍政権への影響力もありません」等の問題矮小化の言説を流し続ける人もいるが、現実を直視すれば、そんな低レベルの問題でないことは明白だろう。

火曜に生放送されたIWJの岩上さんとの番組では、吉田一彦さんの『「日本書紀」の呪縛』(集英社新書)も少し紹介した。

明治期に政治目的で体系化された「日本の歴史と伝統」が、普遍的な日本の歴史と伝統であるかのような錯覚が、安倍政権下の日本で復活しつつあるが、実証を欠いた主観でしかない。

「『日本書紀』は日本の過去をありのままに記したような書物ではない。それは、権力の座についた氏族たちが自分たちの権力の根拠と正統性を神話と歴史から述べた政治の書物であり、過去を支配することを目的とした書物であった」

「『日本書記』は過去を規定するが、それだけではなく、それによって現在や未来をも規定した。過去を支配しようとすることは未来を支配しようとすることであった」(p. 225)

過去の歴史を支配することは、それだけに留まらず、現在と未来をも政治的に支配することに繋がるという指摘は、現在の日本で進む歴史修正運動を理解する上で重要なポイント。

産経の「歴史戦」における「主力戦士」の一人、井上和彦氏に、産経が『正論大賞』を授与。https://t.co/sD0woYtTEn

この井上和彦氏が、どんな手法で過去の歴史を改竄・歪曲し、予備知識のない日本人を騙すかについてのまとめ→井上和彦氏が雑誌記事や単行本で書いている嘘やミスリードの手法、例えば「日本占領下での市民の犠牲者の慰霊碑」を「抗日華僑の碑」と呼んで、あたかも「死んだ人間は全員日本軍に抵抗した戦闘員なので殺した日本軍に罪は無い」かのように錯覚させる手法は、現地で確認すれば簡単にウソだと判明する。

まとめ『シンガポールと「大東亜戦争」と「昭南島」について』http://togetter.com/li/957993  で具体的な証拠を挙げて説明している通り、井上和彦氏が「歴史戦」で展開しているのは「虚偽の政治宣伝」であり、中国政府が行う南京虐殺犠牲者数の水増し宣伝と本質的には何も違わない。




『日本書紀』は日本の過去をありのままに
  記したような書物ではない。それは、権力の
   座についた氏族たちが自分たちの権力の根
    拠と正統性を神話と歴史から述べた政治の
     書物であり、過去を支配することを目的とした


同感である

7世紀後半から取り掛かり、
 8世紀初頭に完成した神話。

帝紀・旧辞等幻の書を土台に
 諸豪族祖先からの系譜、諸外国
  の神話引用でとの説も。

口述伝承(いいつたえ)は400年が
 限度というから3世紀後半の王権
  創建にはギリギリ到達出来るのか。

が、恣意的な記述は疑い無く不比等栄達
 により、当初目的の天皇称賛から蘇我氏
  の矮小化、藤原氏賛美へと変化した部分




http://blog.goo.ne.jp/ki…/e/5883a33154b7c2d823a4220ddf7b0a6d
稲田朋美大臣の「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」という言葉
(日本国政府閣僚=大臣で弁護士でもありながら、たとえ一群の集会であってもこういうことを安易に口走る頭の中は疑わないといけないが)
http://lite-ra.com/2016/11/post-2707_2.html
稲田朋美大臣や三原じゅん子をサヨ諸氏が哂う
実在しない天皇を実在したと喧伝、さらに偉業を崇拝と。。
現役の神社宮司が「日本会議や神社本庁のいう伝統は伝統じゃない」「改憲で全体主義に逆戻りする」と真っ向批判
http://lite-ra.com/2016/06/post-2296.html

しかし、ちょっと待て!
「神武」という方なのか同一説「崇神」という方か知らんが
『初代』はいらっしゃった、即位されたでしょ?
ということ。
日本神話は「神話」なので、架空物語的になるのは仕方ない
が、一方で「歴史書」の側面。考古学発見も神話記述に照合したりするようだ。

つまり、神話だから{架空}と切り捨てるのではなく
紀元前660年を哂え!である。

よって、サヨ諸氏もピントがズレている。


が、神話の神的存在「神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと)」で終わればそれすら何の問題も無いが。。
日本の王権初代「神武」なのでちゃんとしといて欲しい、と。


どうも。。稲田朋美はじめ界隈諸氏は
『神話上の神武天皇』でも御不満なようで。。古史古伝竹内文書の類上の強大なトップダウン帝王を想像。
(それによれば神武でも第73代天皇・・初代は何年や)
聞くところに拠れば、昭和天皇の大戦中大元帥時代までは支持。
戦後はすげ替え論、今上天皇・皇太子に対しては批判的。。
な気配が漂っている。自分らの思想に合わんかったら批判か!?

(ケシカラン!最後まで徹底的に付き従えよなぁ~~)

考古学・歴史学上は西暦280年前後がほぼ定説。
しかも、トップダウン武闘派の帝王ではなく、吉備や出雲はじめ強国に担がれた御輿だったという。

(日本の考古学界は弱小、大っぴらに言えば潰される)

まぁ、日本の(ネト)ウヨもサヨも大したことない、またちゃんと発表しない考古学もしっかりしろよ!
日本の将来もこれでは先が見えていないか?。。</span>



つい先日も述べた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪安倍政権の面々や背後の日本会議他新興宗教人の幻想≫<日本に強大な初代征服王が居たと>【考古学界では既に答えが出ている。初代からかなりの代まで傀儡だ】



安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化
http://lite-ra.com/2016/11/post-2707.html



安倍晋三はじめ長州卒族付近
 の怪しい出自の人間に限って。。
  変な新興宗教に憑りつかれるのか


まず。。答えから
 神武天皇の漢風諡号かどうか、
  「初代」は居た。ただ。。安倍政権
   他新宗教人が思い描く「剛腕の帝王」

などではない。

 吉備・出雲はじめ強国に御輿の
  ように擁立された。。大変言い難い
   が「傀儡」の可能性。よって、初代
    以降かなりの代まで世襲など夢の
     また夢ではないか。武帝に非ず!


国連事務総長のような。






≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】



天皇陵の秘史 江戸幕府による神武天皇陵築造の謎 【歴史人1月号】
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141216-00010001-rekishi-life


奈良県橿原市。。神武天皇陵
 小生もまだ知識の無い頃、この辺りを
  散策してみたことがあるが。。

天皇陵と思われる墳墓や橿原神宮
 確かにこの界隈には何かがあった!

  と思わされたものである。。その後
   神武天皇架空説や欠史8代説や
    10代崇神天皇との同一人物説など
      の存在を知るに至る訳である


しかし、古墳や考古学との関連で
 やはり、初代神武天皇に該当する人物は
  確かに存在した!!と考えるようになった


神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、
日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天
皇76年3月11日とされる。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と
称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬ
のみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される
                         (ウィキペディアより)



神武天皇が紀元前660年に即位
 さすがにこれは。。縄文か弥生時代である
  やはり古墳時代に該当の3世紀後半。。
   この時代の人物であろうと思われる


さらに、強大な征服王というイメージ
 これも幕末勤王思想や明治維新前後の
  皇国史観とも関連するのではないだろうか






≪日本の曙!《ヤマト勃興》に関する壮大な推理≫<卑弥呼・邪馬台国は日本ではない>【ヤマト王権は周辺強国により擁立された!!】


小生。。岡山には敏感に反応する
 何もかもに反応ではなく、古墳・遺跡
  古代。。超古代史に関連する事柄に
   である。。
その理由は、岡山=旧吉備

吉備国または吉備王国
 日本古代史のNO1キーマン
  の居城・拠点。。
神々の棲んだ
   偉大なるエリア!
と考えている

 
吉備。。吉備国。。
 古代日本の地方国家。現在の岡山県全域
  と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県
   西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)

    またがる、有力勢力の一つ。。いや、NO1!


吉備の代表的な古墳
であり、造山古墳群の主墳
 造山古墳 5世紀築造推定
  全長350m 全国4位の
   超巨大前方後円墳である


全国第1位大仙陵古墳(486m) 伝代16代仁徳天皇陵
2位誉田御廟山古墳(420m) 第15代応神天皇陵
3位上石津ミサンザイ古墳(360m) 第17代履中天皇陵


とそれぞれ宮内庁に比定され
 立ち入りが許されず、学術調査も
  行われていない
のに対して

造山古墳は、立ち入りが許される
 全国最大の超巨大古墳なのである


上位3位までの古墳と
 4位の造山古墳、いずれも
  5世紀の築造。。ヤマトは既に
   存在している訳であって。。


全国1位~3位の古墳が
 堺。。羽曳野、いわゆる河内平野

  に存在に比べて、岡山にある4位
   の造山古墳。。9位の作山古墳が
    存在することから。。
古代吉備には
   
ヤマト王権に対抗しうる、拮抗した
 強力な王権(吉備政権)があった
  との見解。。充分に頷ける学説!!


いや、そもそも吉備がヤマトを創った


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


滋賀県。。近江なら
 その力を持っていたことは
  充分に有り得る!!と考える


全くその通り!邪馬台国畿内説学者
 幅を利かせる考古学・史学界主流派
  は、ヤマトと九州中心で考え過ぎである


鉄器・青銅器・土器
 恐らく、大陸・半島に近い
  北部九州に伝わった


つまり、弥生時代。。紀元前
 には、日本列島内の先進国は
  北部九州だったといえる訳だ


その技術が。。文化が
 次第に列島東部へ伝播
  九州から東北まで普及


この時代が下るにつれて
 紀元前後から西日本・山陰
  同盟が瀬戸内海ルートを
   押さえることにより。。
    また、その他生活文明


諸事情により
 力関係が、北部九州圧倒的
  から、西日本(吉備・出雲)
   へと移って行ったということか


そして、紀元3世紀
 ヤマト勃興となる訳だ


そのヤマト勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと


この辺りは、日本の曙
 しかし、ヤマト勃興へ至る
  紀元前後から3世紀の間に
   邪馬台国論争という邪魔が


何故なら、邪馬台国論争
 九州VS畿内、しかし!!
  本当に日本なのか!?


それ以上に重要なことは
 いわゆる邪馬台国時代より
  以前。。紀元2世紀前後なのか
  

西日本(吉備・出雲)が
 超強国として君臨したらしい
  ことも囁かれており。。  


そのインパクトは
 邪馬台国の比ではない
  と充分に考えられる。。
   

女王卑弥呼よりも
 吉備の大王の方が遥かに
  大物ではないのだろうか


邪馬台国を纏向遺跡や箸墓古墳と
 関連付けてしか考えられない畿内説学者
  考古学で幅を利かせる主流派の
   考え方や解釈では。。
まず到底
    この新しい事実を受け止めることは
     不可能であり。。誤った判断が
      横行しないことを祈るばかりである


九州が大陸からの技術導入
 などにより、最先進国だったが

  次第に主導権は、吉備や出雲
   瀬戸内海勢力に移り。。
ヤマト擁立

ここで気になるのは、巷いわれる
 邪馬台国。。そして女王卑弥呼とやら


九州から、吉備・出雲に主導権
 その後。。吉備・出雲・畿内・近江
  伊勢・北陸・東海・そして九州勢力もか


各強国首長たちが御輿担ぐように
 擁立したのが、ヤマト王権だとすれば


例えば。。さらに想像を
 膨らませていけば。。
欠史8代
  
古事記・日本書紀といういわゆる
 日本神話を基礎概念に、系譜は
  存在するがその事績が記されない

   第2代綏靖天皇から第9代開化天皇
    までの8人の天皇、あるいはその時代


初代神武天皇と10代崇神天皇
 を同一人物と断定した上で。。


史学界通説・考古学主流
 が居なかった!とする欠史8代
  2代から9代までの諸天皇あるいは
   ヤマト王権の各倭王たち。。
もしや

各強国首長と関係のある人物!
 もしくは、各首長から擁立され
  その後の10代以降の各天皇
   とは血縁関係がない重要人物?


また、さらには

ヤマト擁立の各強国首長の
 後裔・末裔・親族子孫は。。畿内
  ヤマト周辺で王権に寄り添うように
   暮らした可能性を追究して良い筈だ


ヤマト王権。。初代天皇(大王。。倭王)
 は征服王などではなく、吉備をはじめ
  出雲、東海、伊勢、越、畿内そして九州
   各地の強国に擁立された王だった!と


そして、纏向遺跡が邪馬台国や
 卑弥呼と関連付けられる昨今だが
  纏向遺跡はヤマト王権が置かれ。。
   箸墓古墳は卑弥呼墓でもないだろう





≪卑弥呼墓は、箸墓古墳ではない!邪馬台国は日本には無い≫<日本古代史界には、政治以上のプロパガンダ>【卑弥呼が日本列島の女王。。初代天皇が強大な征服王。。《どちらも違う》】


卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ば
 までに、倭国の中心が九州から近畿に移った


これは本当だろうと思っている

ならば。。
奈良桜井の纒向遺跡
 邪馬台国ではなく。。
  ヤマト王権発祥地だろう


邪馬台国は、古くは九州説
 が断然優勢。。しかし、この
  纒向遺跡が逆転HRとなり

   
箸墓古墳を卑弥呼墓として
 畿内、ズバリ奈良を邪馬台国に
  という畿内説が圧倒的に有利に


小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!という見解

   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた

纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓
  という説の登場
により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m

日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された
との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造
との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者
それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い

とすれば。。


纒向石塚古墳、ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、
纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳
と数多く存在
そしてこの記事の
京都府向日市の国内最古級の前方後円墳
五塚原(いつかはら)古墳も条件を満たしてくる


小生。。3年近く前に
 既に邪馬台国は外国にあった
  可能性を示す説を紹介している


卑弥呼墓の大きさを150m
 としてみた、のは当初の見解
  それでも300mの箸墓古墳では
   あまりに大き過ぎると言ってみた


ところが。。卑弥呼墓の大きさ
 150mもないのではないか?
  とも思えてきた訳である・・・。


それに。。卑弥呼、本当に日本の女王か
 なぜ。。卑弥呼、このような字を充てるのか


中海道遺跡との関連。。
 初めて聞いた遺跡名である


京都五塚原古墳。。何度か取り上げた
 箸墓古墳との類似点?箸墓を卑弥呼墓
  とする前提での議論であるから大いに疑問


ただ。。箸墓のミニチュアという大きさ
 の点では、卑弥呼墓煮より近いと以前
  してみた訳だが。。訂正が必要なのだ


五塚原古墳でも大き過ぎるともいえるのだ


京都向日市の 五塚原(いつかはら)古墳
 小生。。以前にも取り上げたことがあるが
  全長91.2m。。卑弥呼墓のスケールに
   はピッタリである!箸墓では大き過ぎる!!



小生。。。

纏向遺跡や箸墓古墳を

邪馬台国だけに縛り付けてしまって
良いのか、
と素人ながら思ってはいた。


そんな中
現在、ある古代中国原典専門
40年のベテランが著した
書物を読んでいる

その著者が言うには
”邪馬台国”は日本に在らず

日本の歴史界が魏志倭人伝
 の訳を間違えている!!


つまり倭に至る出発点の
 場所から間違えている!!

ということらしい。。。


その本たるや
最初から3分の2ぐらいは、
中国の省や郡の場所がズラリ


さすがに、退屈で
 殆ど全て読み飛ばした

そして、
邪馬台国=倭=倭国 
は 中国もしくは朝鮮半島の根元

現在の中華人民共和国内
か北朝鮮内
だという。。。


あまりきいた事が無い説

このまま読み進んでいて良いのか!

単なる異端者の説ではないのか!


と思っている時に


司馬遼太郎の短編集を買ってしまった

そこで見たものは!


司馬遼太郎は
「倭とか倭国、倭人は中国の
  とある場所であり。。
   倭人とか倭とか呼ばれた場所
    が中国内に存在していた」
らしい

と言っている

既に1970年代に、である


司馬遼太郎が言ったからではなく、
そういう説が古来存在していた訳である


では
何故。。日本の歴史学者や歴史専門家達が大挙して
魏志倭人伝の倭に至る出発点を
間違えて訳してしまったというのか

という疑問も残る。。誰か気付いたはず


例えば、英(米)語や他の欧州語
なら日本の学者も読み慣れている
しかし中国の原典には
馴染みが少ない
のは確かにある


もしも、原典の訳を誰か
が間違えてしまい。。。

慣れない原典をあたらずに、
その訳を元に議論が極めて永年白熱
それならば、如何に方角・距離を
あらゆる角度から検証し直しても

・・・・・半永久に倭には到達出来まい

まだ、極めて不確かながら

邪馬台国という概念を。。。

・・・日本の歴史から削除しなければならない


となれば歴史学史上でも群を抜く大事件である!!が。。。


まず卑弥呼墓の円墳直径
 百余歩=約150m


日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


としてみた、小生の見解を訂正である

古代中国の一歩を。。1.4m程度と換算
 しかし、古代の中国の単位は同じ歩でも
  殷・周・秦・漢・魏・晋。。正に百変化に
   近い伸縮具合なのであり。。
要は

小生、古代史研究家の如く上手く
 綿密な論理では言えないのであるが

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ


と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


そして、従前従来から言っているように
 古代史。。いや考古学界は弱小学界である
  戦前は、皇国史観・軍部プロパガンダの前に
   正に完全に息を潜めざるを得なかったのであり


戦後ですら、やはり革新的な論述は
 避けているのが明白なのであり。。いや
  学界の構成員、史学・考古学者の中での
   右派の力が強いように思えてならない


それが、真相追究の道をより狭め遠ざけた


実際は、もう4年以上前の見解ではあるが
 日本考古学界。。弱小であり、戦前は勿論
  戦後も長らく、監視下。。皇国史観や国粋
   主義者等の目を気にして、いや今もだろう


邪馬台国や卑弥呼。。そして特に
 日本神話などは絶対に軽視出来ない
  唯一の国史。。史書であることを抜きに
   しても、顔色を窺わざるを得ないはずだ


歴史学界・考古学主流派
 邪馬台国畿内説学派の歴史家
  は、邪馬台国を纒向遺跡に。。
   箸墓古墳を卑弥呼墓に結び付け
    たがる傾向が強いのであろうが


どう考えても無理があり過ぎる訳だ


日本神話も、無視すれば文献が無く
 なってしまうが。。参考程度にすべき


そして、邪馬台国・卑弥呼のことは
 日本列島超古代の概念から除去必要


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


ならば。。邪馬台国も中小の勢力
 に入ることにはならないかね?

邪馬台国が日本列島を代表する
 首都であったという解釈が間違っている


吉備・出雲。。ひょっとして九州も
 近江・越(北陸)・東海・伊勢・畿内

 
各強国が神輿を担ぐように
 擁立勃興したのがヤマト王権であり


ヤマトの王。。倭王・大王は、長い間
 擁立してもらった強国各帝王たちに
  遠慮しなければならなかったのでは?

 
よって、初代倭王から
 数代。。欠史八代含め10代まで?いや
  それともそれ以降、10数代大王(天皇)まで
   世襲を許されなかったのは充分に頷ける話


歴史学界主流派から。。その手の
 話が出てきたのを聞いたことが無い


ヤマト王権が、強力な指導力を発揮
 し始めるのも。。歴史学界主流派が
  述べる見解よりもすっと後年だった


と考えて問題無いと思うのである


纒向遺跡は邪馬台国ではない
 箸墓古墳は、卑弥呼墓ではない

  ヤマト王権発祥の地が纒向遺跡
   これなら、納得も出来るというもの


ならば、箸墓古墳は初代倭王
 即ち、初代天皇墓ということなのか


違うと思えてならない
 皇国史観によって、またそれに
  抗えない古代史・考古学界
   による扇動・プロパガンダだ!


ヤマト擁立の各強国の最右翼
 キングメーカー吉備の大王墓に決定


では。。初代神武天皇はどういう人物
 だったと考えれば良いのだろうか。。

  恐らくまだまだ実権など皆無に等しく
   キングメーカーたちに気兼ねするような





≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】


奈良県桜井市
 箸墓古墳。。全長278m
  超巨大前方後円墳であるが
   さらに大きくなる可能性
    全長300mに達するのか


小生、付近一帯を
 巡回して回ったことがある
  巨大古墳が点在する近隣
   しかし、箸墓古墳の姿は
    他の古墳とは、全然違った


池。。ため池?とにかく水辺が
 そこに浮かぶ島のような趣で
  姿・形が美しかったのは当然
   風格のようなものを感じた訳で


辺り一体の桜井や天理
 の巨大古墳を従えるような
  そんな雰囲気すらあった。。


5世紀の超巨大古墳
 伝仁徳天皇陵や応神天皇陵
  などの古墳最盛期とは
   時代も意味合いも全く違う


箸墓古墳の被葬者を
 邪馬台国畿内説の学者連は
  卑弥呼をヤマト王権に直結
   させて、そのけん引役に
    見立てようと躍起になるが


小生。。絶対に違うと考える

考古学研究会のセミナー
 に参加したときのことである


岡山県。。古代旧吉備国
 2世紀の楯築遺跡に注目すれば
  

桜井の箸墓古墳は
 この楯築遺跡の特徴を色濃く継承
  吉備の王との繋がりを権力基盤に

   という学者の説明をきいた訳で

そのヤマト王権勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと
    なのは既に解明済みである


小生。。想像するに
 初期ヤマト王権の長。。倭王
  つまり、呼称は無かったにせよ
   天皇は、御輿のように担いだ
    各強国の王たちには、気兼ね
     現在の国連事務総長のような
      そういう存在ではなかったか


各強国の。。今で言う米・欧・ロ
 とりわけ、超強国の米国的存在
  それは恐らく。。いや確実に
   吉備。。もしくは吉備王権勢力


箸墓古墳クラスの超巨大墳墓
 築造には、数百万人から1千万人
  動員して、築造期間20年ぐらい
   は必要だったのでは、という試算


卑弥呼墓。。百余歩・・150m未満
 シャーマン的存在の30余国。。このクニ
  は村落といって言い訳で、日本の王
   とは考え難く。。卑弥呼では絶対無理


初代倭王(天皇)でもそれは困難で
 もっと、大物だったと考えた方が良い


間違い無い!初代倭王を生み出した
 超古代版治天の君。。ホントの倭王
  吉備の大王と考えた方が自然である


現代日本政治などよりも
 遥かに複雑かつ重厚な壁が
  存在する日本古代史・考古学


今後もさらに一層研究が必要な
 小生ではあるが。。現時点では
  優勢な邪馬台国畿内説学派が唱える
   箸墓=卑弥呼墓説には賛成出来ない


弥生時代の北部九州から
 日本の主導権・・”首都”は
  中国・山陽地方に遷り。。

   この件は、『神武東征神話』
    『邪馬台国東遷説』とも符合する


日本の神話は8世紀の編纂。。
 ヤマト勃興は3世紀の話である

  口頭伝承の最長期間は400年
   程度という説もあるにせよ。。


また、神話編纂者がヤマト王権発祥
 の逸話などを絶対に知らないにせよ

  やはり見事と言わざるを得ない訳だ


日本の初代天皇は強大であって
 欲しい、という気持ちは解らないではない


しかし、一般人ではなく
 一国の政権人が妄想とすれば話は別


新興宗教に取り憑かれたり
 ありもしない妄言を喧伝するならば
  北朝鮮以下と断じざるを得ない訳だ




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空想上の。。想像上の
 信仰上の天皇に付き従い

国民のことを思う今上天皇に
 現皇室には批判的な諸氏は

  保守でも右翼でもない、と断じる

歴代で最高の権力を得ていたと
 いう説もある昭和天皇であるが

  大日本帝国軍大元帥だった
   第二次世界大戦直前・戦中に
    は帰依していた諸氏も戦後は


なんと!天皇すげ替えとも取れる言動の説


安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化
http://lite-ra.com/2016/11/post-2707.html

とうとう、ここまできたか──。日に日にエスカレートしていく安倍政権の歴史修正主義だが、いよいよ連中は「神武天皇は実在した」なるトンデモまで喧伝しだしたらしい。
 念のため最初に言っておくと、神武天皇は8世紀の「古事記」「日本書紀」(あわせて記紀という)を基にした“初代天皇”だが、もちろん実在したとは立証されておらず、ときの政治権力である朝廷がその支配の正当性を説くために編み出した“フィクション”というのが歴史学の通説だ。
 ところが最近、安倍政権周辺から「神武天皇は実在の人物でその建国の業績を讃えるべき」という主張が次々飛び出してきているのだ。
 自民党の三原じゅん子参院議員が、先の参院選投開票日のテレビ東京の選挙特番で、VTR取材中に「神武天皇の建国からの歴史を受け入れた憲法を作りたい」と発言していたことについて、MCの池上彰から神武天皇は実在の人物だったとの認識かを問われ、「そうですね。そういう風に思ってもいいのではないか」と“珍回答”。池上が呆れて「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物ということになってますが?」とツッコんだのは記憶に新しい。
 このトンデモ発言にはさすがの有権者も「まあ、三原じゅん子だから」と一笑に付したが、しかし、どうもこの神武天皇実在論は、安倍政権の中枢にしかと根付いているようだ。
 たとえば今月、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称すべしとの運動を展開している「明治の日推進協議会」なる団体が都内で決起集会を行った。同団体の役員名簿には小田村四郎、小堀桂一郎、大原康男、伊藤哲夫、百地章など、おなじみの日本会議系人物がちらつく。その集会に、安倍首相の盟友である古屋圭司自民党選対委員長、稲田朋美防衛相らが参加。稲田は壇上でこう息巻いたという。
「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」(朝日新聞11月2日付)

 ……おいおいマジかよ?と突っ込まざるをえないが、この安倍政権の神武天皇ゴリ推しを“機関紙”の産経新聞もバックアップしている。今年8月には『神武天皇はたしかに存在した』(産経新聞取材班/産経新聞出版)なる書籍を出版。記紀にある日向(現在の宮崎県)から大和(奈良県)までの「神武東征」を追いかけるルポだが、完全に神武実在が前提になっており、置いてけぼり感満載の一冊に仕上がっている。
 しかし、繰り返すが、神武天皇について直接的に伝えるのは記紀だけであり、その記述は完全に“神話”の域を出ないものだ。たとえば「日本書紀」の記述は天地開闢から始まる神武以前が神代、神武以降が人世の歴史とされているが、明治政府は神武天皇即位の年=皇紀元年を紀元前660年とした。実に縄文時代後期である。
 そんな、人々はもっぱら狩猟採集生活で文化といえば土器みたいな時代に、神武天皇は「天下を治めるためには東に行けばいいんじゃないか」と思いついて、大和までの長い旅に出たというのだが、記紀が描く道中の出来事はあからさまに現実味がない。
 たとえば、亀の甲羅に乗った釣り人(地元の神)に明石海峡から浪速までの海路を案内してもらったり、突如、助っ人が神のお告げで天の神がつくった剣を持ってきてくれたり、かと思えば神の仰せで八咫烏が吉野まで先導してくれたり、はたまた天の神がやってきて証拠の宝物を見せて神武に仕えたりと、「史実」とみなすには神がかり過ぎている。
 さらにいえば、神武を含む古代天皇の年齢も解釈に苦しむ。たとえば「日本書紀」によれば、神武天皇崩御時の年齢は127歳で、「古事記」では137歳とある。そんな超長寿なんてありえないだろう。年齢を2で割ると丁度良くなるとする説もあるが、すると逆に皇紀自体がおかしくなってくる。なお、初代天皇となった神武の後を継いだ綏靖天皇から開化天皇までの8人については、なぜか、その実績がほとんど記されていない。この「欠史八代」はあまりにも有名な記紀の謎として知られている。
 結局のところ、神武天皇及び欠史八代は創作で“虚構の天皇”だとするのが一般的な古代史研究者の見解である。では、なぜ安倍政権はいま、こんな神武天皇実在説というトンデモを言いふらしているのか。
 その目的を、前述した稲田朋美の「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」という言葉が、端的に表している。
 実は、神武天皇の陵墓は、たとえば天武、天智、持統天皇などの陵墓と比べて軽視されており、中世まで始祖として崇め奉られていた形成はほぼない。それが一転、江戸中期の国学を経て尊皇思想の核となり、明治維新は王政復古の建前のもと幕府を転覆させた。ようは、“クーデター”のため「万世一系」たる天皇の権威を超越的なものとして再興し、利用したのだ。
 また、このとき明治政府は、それまで民間信仰であった神道を天皇崇拝のイデオロギーとして伊勢神宮を頂点に序列化、“日本は世界無比の神の国”という「国体」思想を敷衍した。そうした流れのなかで、日本書紀などについて批判的研究を行った津田左右吉に対し、東京地検が尋問を行い、『神代史の研究』など4冊を「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書」として発禁押収。後日、津田と版元が出版法違反で起訴されるという事件も起きている(佐藤卓己『物語 岩波書店百年史』2巻/岩波書店)。

一方、1945年の敗戦後にGHQが神道指令を発布、国家と神社神道の完全な分離を命じると、津田の学説は学会の主流派となり実証主義的な記紀研究が活性化。その蓄積を踏まえ、今日では神武天皇は実在しないというのが定説となっているわけだが、これを面白く思わないのが日本会議ら極右界隈と、それに支えられる安倍政権だ。
 彼らにとって天皇は「万世一系」でなければならない。それは前述のとおり、日本を万邦無比の「神国」とし、天皇を超越的な存在として再び支配イデオロギーの頂点に置いて政治利用するために他ならない。だからこそ、記紀は史実であり、神武天皇は実在すると主張するのだ。
 すると必然的に、神武天皇は記紀にあるように神話的でありながら同時に存在を認めるという、矛盾めいたことになる。三原じゅん子が「神話の世界の話であったとしても、そう(実在したと)いう考えであってもいいと思う」と池上彰に応答したのはまさに典型だ。ようは政治的な目的ありき。だからこういう発言になる。
 事実、安倍晋三は下野時の2012年、民主党(当時)による女性宮家創設議論および皇室典範改正に反対し、こう述べていた。
「私たちの先祖が紡いできた歴史が、一つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室であろう」
「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」(「文藝春秋」12年2月)
 見ての通り、立憲主義もクソもない。こんな人間がいま日本の総理であることにあらためて戦慄するが、一方、安倍のブレーンである八木秀次が天皇・皇后の護憲発言に対して「宮内庁のマネジメントはどうなっているのか」と猛批判したように、実際には、安倍は天皇に対する敬愛などほとんどもっていない。そこにあるのは、天皇の政治利用、もっと言えば、皇国史観と「万世一系」イデオロギーの復活による大衆支配の欲望だけだ。
 そう考えてみてもやはり、わたしたちは表出する神武天皇実在論を笑って済ませておくわけにはいかない。戦前回帰を目論む安倍政権のプロパガンダの一種として、十分に警戒しておく必要がある。
(宮島みつや)




安倍晋三はじめ長州卒族付近
 の怪しい出自の人間に限って。。
  変な新興宗教に憑りつかれるのか


まず。。答えから
 神武天皇の漢風諡号かどうか、
  「初代」は居た。ただ。。安倍政権
   他新宗教人が思い描く「剛腕の帝王」

などではない。

 吉備・出雲はじめ強国に御輿の
  ように擁立された。。大変言い難い
   が「傀儡」の可能性。よって、初代
    以降かなりの代まで世襲など夢の
     また夢ではないか。武帝に非ず!


国連事務総長のような。



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≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】



天皇陵の秘史 江戸幕府による神武天皇陵築造の謎 【歴史人1月号】
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141216-00010001-rekishi-life


奈良県橿原市。。神武天皇陵
 小生もまだ知識の無い頃、この辺りを
  散策してみたことがあるが。。

天皇陵と思われる墳墓や橿原神宮
 確かにこの界隈には何かがあった!

  と思わされたものである。。その後
   神武天皇架空説や欠史8代説や
    10代崇神天皇との同一人物説など
      の存在を知るに至る訳である


しかし、古墳や考古学との関連で
 やはり、初代神武天皇に該当する人物は
  確かに存在した!!と考えるようになった


神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、
日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天
皇76年3月11日とされる。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と
称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬ
のみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される
                         (ウィキペディアより)



神武天皇が紀元前660年に即位
 さすがにこれは。。縄文か弥生時代である
  やはり古墳時代に該当の3世紀後半。。
   この時代の人物であろうと思われる


さらに、強大な征服王というイメージ
 これも幕末勤王思想や明治維新前後の
  皇国史観とも関連するのではないだろうか





≪日本の曙!《ヤマト勃興》に関する壮大な推理≫<卑弥呼・邪馬台国は日本ではない>【ヤマト王権は周辺強国により擁立された!!】


小生。。岡山には敏感に反応する
 何もかもに反応ではなく、古墳・遺跡
  古代。。超古代史に関連する事柄に
   である。。
その理由は、岡山=旧吉備

吉備国または吉備王国
 日本古代史のNO1キーマン
  の居城・拠点。。
神々の棲んだ
   偉大なるエリア!
と考えている

 
吉備。。吉備国。。
 古代日本の地方国家。現在の岡山県全域
  と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県
   西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)

    またがる、有力勢力の一つ。。いや、NO1!


吉備の代表的な古墳
であり、造山古墳群の主墳
 造山古墳 5世紀築造推定
  全長350m 全国4位の
   超巨大前方後円墳である


全国第1位大仙陵古墳(486m) 伝代16代仁徳天皇陵
2位誉田御廟山古墳(420m) 第15代応神天皇陵
3位上石津ミサンザイ古墳(360m) 第17代履中天皇陵


とそれぞれ宮内庁に比定され
 立ち入りが許されず、学術調査も
  行われていない
のに対して

造山古墳は、立ち入りが許される
 全国最大の超巨大古墳なのである


上位3位までの古墳と
 4位の造山古墳、いずれも
  5世紀の築造。。ヤマトは既に
   存在している訳であって。。


全国1位~3位の古墳が
 堺。。羽曳野、いわゆる河内平野

  に存在に比べて、岡山にある4位
   の造山古墳。。9位の作山古墳が
    存在することから。。
古代吉備には
   
ヤマト王権に対抗しうる、拮抗した
 強力な王権(吉備政権)があった
  との見解。。充分に頷ける学説!!


いや、そもそも吉備がヤマトを創った


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


滋賀県。。近江なら
 その力を持っていたことは
  充分に有り得る!!と考える


全くその通り!邪馬台国畿内説学者
 幅を利かせる考古学・史学界主流派
  は、ヤマトと九州中心で考え過ぎである


鉄器・青銅器・土器
 恐らく、大陸・半島に近い
  北部九州に伝わった


つまり、弥生時代。。紀元前
 には、日本列島内の先進国は
  北部九州だったといえる訳だ


その技術が。。文化が
 次第に列島東部へ伝播
  九州から東北まで普及


この時代が下るにつれて
 紀元前後から西日本・山陰
  同盟が瀬戸内海ルートを
   押さえることにより。。
    また、その他生活文明


諸事情により
 力関係が、北部九州圧倒的
  から、西日本(吉備・出雲)
   へと移って行ったということか


そして、紀元3世紀
 ヤマト勃興となる訳だ


そのヤマト勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと


この辺りは、日本の曙
 しかし、ヤマト勃興へ至る
  紀元前後から3世紀の間に
   邪馬台国論争という邪魔が


何故なら、邪馬台国論争
 九州VS畿内、しかし!!
  本当に日本なのか!?


それ以上に重要なことは
 いわゆる邪馬台国時代より
  以前。。紀元2世紀前後なのか
  

西日本(吉備・出雲)が
 超強国として君臨したらしい
  ことも囁かれており。。  


そのインパクトは
 邪馬台国の比ではない
  と充分に考えられる。。
   

女王卑弥呼よりも
 吉備の大王の方が遥かに
  大物ではないのだろうか


邪馬台国を纏向遺跡や箸墓古墳と
 関連付けてしか考えられない畿内説学者
  考古学で幅を利かせる主流派の
   考え方や解釈では。。
まず到底
    この新しい事実を受け止めることは
     不可能であり。。誤った判断が
      横行しないことを祈るばかりである


九州が大陸からの技術導入
 などにより、最先進国だったが

  次第に主導権は、吉備や出雲
   瀬戸内海勢力に移り。。
ヤマト擁立

ここで気になるのは、巷いわれる
 邪馬台国。。そして女王卑弥呼とやら


九州から、吉備・出雲に主導権
 その後。。吉備・出雲・畿内・近江
  伊勢・北陸・東海・そして九州勢力もか


各強国首長たちが御輿担ぐように
 擁立したのが、ヤマト王権だとすれば


例えば。。さらに想像を
 膨らませていけば。。
欠史8代
  
古事記・日本書紀といういわゆる
 日本神話を基礎概念に、系譜は
  存在するがその事績が記されない

   第2代綏靖天皇から第9代開化天皇
    までの8人の天皇、あるいはその時代


初代神武天皇と10代崇神天皇
 を同一人物と断定した上で。。


史学界通説・考古学主流
 が居なかった!とする欠史8代
  2代から9代までの諸天皇あるいは
   ヤマト王権の各倭王たち。。
もしや

各強国首長と関係のある人物!
 もしくは、各首長から擁立され
  その後の10代以降の各天皇
   とは血縁関係がない重要人物?


また、さらには

ヤマト擁立の各強国首長の
 後裔・末裔・親族子孫は。。畿内
  ヤマト周辺で王権に寄り添うように
   暮らした可能性を追究して良い筈だ


ヤマト王権。。初代天皇(大王。。倭王)
 は征服王などではなく、吉備をはじめ
  出雲、東海、伊勢、越、畿内そして九州
   各地の強国に擁立された王だった!と


そして、纏向遺跡が邪馬台国や
 卑弥呼と関連付けられる昨今だが
  纏向遺跡はヤマト王権が置かれ。。
   箸墓古墳は卑弥呼墓でもないだろう





≪卑弥呼墓は、箸墓古墳ではない!邪馬台国は日本には無い≫<日本古代史界には、政治以上のプロパガンダ>【卑弥呼が日本列島の女王。。初代天皇が強大な征服王。。《どちらも違う》】


卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ば
 までに、倭国の中心が九州から近畿に移った


これは本当だろうと思っている

ならば。。
奈良桜井の纒向遺跡
 邪馬台国ではなく。。
  ヤマト王権発祥地だろう


邪馬台国は、古くは九州説
 が断然優勢。。しかし、この
  纒向遺跡が逆転HRとなり

   
箸墓古墳を卑弥呼墓として
 畿内、ズバリ奈良を邪馬台国に
  という畿内説が圧倒的に有利に


小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!という見解

   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた

纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓
  という説の登場
により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m

日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された
との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造
との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者
それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い

とすれば。。


纒向石塚古墳、ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、
纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳
と数多く存在
そしてこの記事の
京都府向日市の国内最古級の前方後円墳
五塚原(いつかはら)古墳も条件を満たしてくる


小生。。3年近く前に
 既に邪馬台国は外国にあった
  可能性を示す説を紹介している


卑弥呼墓の大きさを150m
 としてみた、のは当初の見解
  それでも300mの箸墓古墳では
   あまりに大き過ぎると言ってみた


ところが。。卑弥呼墓の大きさ
 150mもないのではないか?
  とも思えてきた訳である・・・。


それに。。卑弥呼、本当に日本の女王か
 なぜ。。卑弥呼、このような字を充てるのか


中海道遺跡との関連。。
 初めて聞いた遺跡名である


京都五塚原古墳。。何度か取り上げた
 箸墓古墳との類似点?箸墓を卑弥呼墓
  とする前提での議論であるから大いに疑問


ただ。。箸墓のミニチュアという大きさ
 の点では、卑弥呼墓煮より近いと以前
  してみた訳だが。。訂正が必要なのだ


五塚原古墳でも大き過ぎるともいえるのだ


京都向日市の 五塚原(いつかはら)古墳
 小生。。以前にも取り上げたことがあるが
  全長91.2m。。卑弥呼墓のスケールに
   はピッタリである!箸墓では大き過ぎる!!



小生。。。

纏向遺跡や箸墓古墳を

邪馬台国だけに縛り付けてしまって
良いのか、
と素人ながら思ってはいた。


そんな中
現在、ある古代中国原典専門
40年のベテランが著した
書物を読んでいる

その著者が言うには
”邪馬台国”は日本に在らず

日本の歴史界が魏志倭人伝
 の訳を間違えている!!


つまり倭に至る出発点の
 場所から間違えている!!

ということらしい。。。


その本たるや
最初から3分の2ぐらいは、
中国の省や郡の場所がズラリ


さすがに、退屈で
 殆ど全て読み飛ばした

そして、
邪馬台国=倭=倭国 
は 中国もしくは朝鮮半島の根元

現在の中華人民共和国内
か北朝鮮内
だという。。。


あまりきいた事が無い説

このまま読み進んでいて良いのか!

単なる異端者の説ではないのか!


と思っている時に


司馬遼太郎の短編集を買ってしまった

そこで見たものは!


司馬遼太郎は
「倭とか倭国、倭人は中国の
  とある場所であり。。
   倭人とか倭とか呼ばれた場所
    が中国内に存在していた」
らしい

と言っている

既に1970年代に、である


司馬遼太郎が言ったからではなく、
そういう説が古来存在していた訳である


では
何故。。日本の歴史学者や歴史専門家達が大挙して
魏志倭人伝の倭に至る出発点を
間違えて訳してしまったというのか

という疑問も残る。。誰か気付いたはず


例えば、英(米)語や他の欧州語
なら日本の学者も読み慣れている
しかし中国の原典には
馴染みが少ない
のは確かにある


もしも、原典の訳を誰か
が間違えてしまい。。。

慣れない原典をあたらずに、
その訳を元に議論が極めて永年白熱
それならば、如何に方角・距離を
あらゆる角度から検証し直しても

・・・・・半永久に倭には到達出来まい

まだ、極めて不確かながら

邪馬台国という概念を。。。

・・・日本の歴史から削除しなければならない


となれば歴史学史上でも群を抜く大事件である!!が。。。


まず卑弥呼墓の円墳直径
 百余歩=約150m


日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


としてみた、小生の見解を訂正である

古代中国の一歩を。。1.4m程度と換算
 しかし、古代の中国の単位は同じ歩でも
  殷・周・秦・漢・魏・晋。。正に百変化に
   近い伸縮具合なのであり。。
要は

小生、古代史研究家の如く上手く
 綿密な論理では言えないのであるが

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ


と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


そして、従前従来から言っているように
 古代史。。いや考古学界は弱小学界である
  戦前は、皇国史観・軍部プロパガンダの前に
   正に完全に息を潜めざるを得なかったのであり


戦後ですら、やはり革新的な論述は
 避けているのが明白なのであり。。いや
  学界の構成員、史学・考古学者の中での
   右派の力が強いように思えてならない


それが、真相追究の道をより狭め遠ざけた


実際は、もう4年以上前の見解ではあるが
 日本考古学界。。弱小であり、戦前は勿論
  戦後も長らく、監視下。。皇国史観や国粋
   主義者等の目を気にして、いや今もだろう


邪馬台国や卑弥呼。。そして特に
 日本神話などは絶対に軽視出来ない
  唯一の国史。。史書であることを抜きに
   しても、顔色を窺わざるを得ないはずだ


歴史学界・考古学主流派
 邪馬台国畿内説学派の歴史家
  は、邪馬台国を纒向遺跡に。。
   箸墓古墳を卑弥呼墓に結び付け
    たがる傾向が強いのであろうが


どう考えても無理があり過ぎる訳だ


日本神話も、無視すれば文献が無く
 なってしまうが。。参考程度にすべき


そして、邪馬台国・卑弥呼のことは
 日本列島超古代の概念から除去必要


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


ならば。。邪馬台国も中小の勢力
 に入ることにはならないかね?

邪馬台国が日本列島を代表する
 首都であったという解釈が間違っている


吉備・出雲。。ひょっとして九州も
 近江・越(北陸)・東海・伊勢・畿内

 
各強国が神輿を担ぐように
 擁立勃興したのがヤマト王権であり


ヤマトの王。。倭王・大王は、長い間
 擁立してもらった強国各帝王たちに
  遠慮しなければならなかったのでは?

 
よって、初代倭王から
 数代。。欠史八代含め10代まで?いや
  それともそれ以降、10数代大王(天皇)まで
   世襲を許されなかったのは充分に頷ける話


歴史学界主流派から。。その手の
 話が出てきたのを聞いたことが無い


ヤマト王権が、強力な指導力を発揮
 し始めるのも。。歴史学界主流派が
  述べる見解よりもすっと後年だった


と考えて問題無いと思うのである


纒向遺跡は邪馬台国ではない
 箸墓古墳は、卑弥呼墓ではない

  ヤマト王権発祥の地が纒向遺跡
   これなら、納得も出来るというもの


ならば、箸墓古墳は初代倭王
 即ち、初代天皇墓ということなのか


違うと思えてならない
 皇国史観によって、またそれに
  抗えない古代史・考古学界
   による扇動・プロパガンダだ!


ヤマト擁立の各強国の最右翼
 キングメーカー吉備の大王墓に決定


では。。初代神武天皇はどういう人物
 だったと考えれば良いのだろうか。。

  恐らくまだまだ実権など皆無に等しく
   キングメーカーたちに気兼ねするような





≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】


奈良県桜井市
 箸墓古墳。。全長278m
  超巨大前方後円墳であるが
   さらに大きくなる可能性
    全長300mに達するのか


小生、付近一帯を
 巡回して回ったことがある
  巨大古墳が点在する近隣
   しかし、箸墓古墳の姿は
    他の古墳とは、全然違った


池。。ため池?とにかく水辺が
 そこに浮かぶ島のような趣で
  姿・形が美しかったのは当然
   風格のようなものを感じた訳で


辺り一体の桜井や天理
 の巨大古墳を従えるような
  そんな雰囲気すらあった。。


5世紀の超巨大古墳
 伝仁徳天皇陵や応神天皇陵
  などの古墳最盛期とは
   時代も意味合いも全く違う


箸墓古墳の被葬者を
 邪馬台国畿内説の学者連は
  卑弥呼をヤマト王権に直結
   させて、そのけん引役に
    見立てようと躍起になるが


小生。。絶対に違うと考える

考古学研究会のセミナー
 に参加したときのことである


岡山県。。古代旧吉備国
 2世紀の楯築遺跡に注目すれば
  

桜井の箸墓古墳は
 この楯築遺跡の特徴を色濃く継承
  吉備の王との繋がりを権力基盤に

   という学者の説明をきいた訳で

そのヤマト王権勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと
    なのは既に解明済みである


小生。。想像するに
 初期ヤマト王権の長。。倭王
  つまり、呼称は無かったにせよ
   天皇は、御輿のように担いだ
    各強国の王たちには、気兼ね
     現在の国連事務総長のような
      そういう存在ではなかったか


各強国の。。今で言う米・欧・ロ
 とりわけ、超強国の米国的存在
  それは恐らく。。いや確実に
   吉備。。もしくは吉備王権勢力


箸墓古墳クラスの超巨大墳墓
 築造には、数百万人から1千万人
  動員して、築造期間20年ぐらい
   は必要だったのでは、という試算


卑弥呼墓。。百余歩・・150m未満
 シャーマン的存在の30余国。。このクニ
  は村落といって言い訳で、日本の王
   とは考え難く。。卑弥呼では絶対無理


初代倭王(天皇)でもそれは困難で
 もっと、大物だったと考えた方が良い


間違い無い!初代倭王を生み出した
 超古代版治天の君。。ホントの倭王
  吉備の大王と考えた方が自然である


現代日本政治などよりも
 遥かに複雑かつ重厚な壁が
  存在する日本古代史・考古学


今後もさらに一層研究が必要な
 小生ではあるが。。現時点では
  優勢な邪馬台国畿内説学派が唱える
   箸墓=卑弥呼墓説には賛成出来ない


弥生時代の北部九州から
 日本の主導権・・”首都”は
  中国・山陽地方に遷り。。

   この件は、『神武東征神話』
    『邪馬台国東遷説』とも符合する


日本の神話は8世紀の編纂。。
 ヤマト勃興は3世紀の話である

  口頭伝承の最長期間は400年
   程度という説もあるにせよ。。


また、神話編纂者がヤマト王権発祥
 の逸話などを絶対に知らないにせよ

  やはり見事と言わざるを得ない訳だ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の初代天皇は強大であって
 欲しい、という気持ちは解らないではない


しかし、一般人ではなく
 一国の政権人が妄想とすれば話は別


新興宗教に取り憑かれたり
 ありもしない妄言を喧伝するならば
  北朝鮮以下と断じざるを得ない訳だ