「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル 福岡県赤村


「豊の国古代史研究会」の調査では、後円部に当たる部分は直径約150メートル。魏志倭人伝にある邪馬台国女王卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。


後円部が女王卑弥呼墓
 の「百余歩」に一致する
って。。

こじつけか!

小生畿内説には反対!!
 箸墓古墳を卑弥呼墓に
  という点で絶対反対だった


九州説派も畿内説派みたい
 になってきたな、悪い意味で




箸墓古墳


被葬者
宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理されているが、この古墳を卑弥呼の墓とする研究者もいる。その根拠としては、

この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致すること
後円部にある段構造が前方部で消失することから、当初は円墳であり前方部が後世に付け加えられた可能性があること
大規模な古墳の中では、全国でももっとも早い時期に築造されたものであること



しかし、卑弥呼はそんなに
 大物などではないと考える




≪箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではない!と推理する≫【ヤマト王権擁立の第一人者<吉備の大王墓>だ!!】



≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】


デカくなればなるほど
 卑弥呼墓から遠のくと言って良い

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ

と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


卑弥呼墓。。百余歩・・150m未満
 シャーマン的存在の30余国。。このクニ
  は村落といって言い訳で、日本の王
   とは考え難く。。卑弥呼では絶対無理


初代倭王(天皇)でもそれは困難で
 もっと、大物だったと考えた方が良い


間違い無い!初代倭王を生み出した
 超古代版治天の君。。ホントの倭王
  吉備の大王と考えた方が自然である


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世界文化遺産の国内候補 大阪「仁徳天皇陵古墳」周辺を空撮



仁徳天皇陵古墳??
 大仙陵古墳で良い訳だ




論点 世界遺産候補、百舌鳥・古市古墳群



「仁徳天皇陵古墳」とされた大山古墳と
「履中天皇陵古墳」の百舌鳥陵山古墳を
出土遺物などの研究成果から見た場合、
築造順序は百舌鳥陵山古墳が先になる。

これはほぼ定説で、
16代仁徳天皇、17代履中天皇という
歴代に反する。


神話を重視したいなら
 古墳の名称も入れ替えるべき

まさか、大きく遡って
 歴代を修正する訳にもいかぬw




≪百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録は問題あり過ぎ≫<そもそも問題ある日本神話(特に日本書紀)を基にしている>【いや明治以降の天皇確定作業が大問題】



何が何でも、天皇の名を前面に
 推し立てた上で、有名な仁徳天皇
  の陵墓を日本一!にしたい訳だ・・。


国際的にどうとか、海外からの
 人々にどう映ろうが関係ないのだ


日本神話を拡大解釈した
 明治以来の国家神道・皇国史観
  その時代に愛着の日本会議的な・・。


天皇も皇室も学問に長け敏感
 歴史には特に強い興味をお持ち
  であるから迷惑に違いないのだが
蘇我氏の躍進はどこから始まったのか



蘇我氏の躍進は、6世紀前半、宣化天皇の時代に、稲目が創始されたばかりの「大臣」に任命されたことに始まる。

蘇我氏初代、蘇我稲目と記憶した
 葛城氏系は知っていたが。。入り婿
  だったのか、道理で葛城市に遠慮も




【蘇我氏・・・超大豪族・超権力者の肖像】<日本書紀・古事記>。。いわゆる≪日本神話を超越した存在の【代表格】!≫


天皇家に迫る。。場合によって
 凌ぐ権勢誇った古代大豪族の
  中でも新興に分類されるのかも




【日本神話編纂以前】<古代史の謎>。。【推古天皇時代】・・・≪聖徳太子虚構説≫



藤原不比等が編纂総責任者
 とされる日本書紀は、天武天皇
  から命じられた編纂取っ掛かり
   の最初こそ、天皇家賛美の書だ


しかし、7世紀後半から編纂した8世紀
 初頭まで、数10年経過してしまった。。

藤原不比等はその間権力の階段
 を昇り詰めて行き、やがては藤原
  賛美の書に性格を変えていったと。。


その過程で、古代大豪族の存在
 が、邪魔で仕方なかったのは明白だ。。


天皇陛下の84歳を祝う一般参賀 「祝意に深く感謝」


今上天皇はバランス感覚のある方
 そういうイメージで観ている、なので
  安心感がある訳だ、皇太子は更に
   様々な勉強をしておられると聞く・・。



天皇・皇室がしっかりとした
 象徴天皇・皇室の務めを
  果たすと仰っているにも拘らず


要らん概念を信用するばかりか
 流布する勢力が存在し、あろうこと
  か政権に極めて近いところに位置。。




建国記念日=紀元節=神武天皇の即位日=2676年 世界最古の歴史!!


彼らは、今上天皇に傅いている
 のでもなければ、皇室に帰依
  しているのでもないと考える訳だ


建国。。国家。。しかも信仰上の
 そう、カルト宗教の教義といえる




昭和天皇の弟。三笠宮殿下も
 非常にバランス取れた考えの持ち主



「架空の歴史を信じない」。戦時に軍部を批判した皇族、三笠宮さまが注目される理由



箸墓古墳隣接の「池の水抜く」放送中止 地元が協力断る


箸墓古墳は、御用史学界により
 卑弥呼墓という流れが主流かも
  知れないが、絶対に違うと考える



結論から言うと、キングメーカー
 吉備国の大王の墓、としか言えん


岡山・造山古墳後円部で葺石出土 墳端か、規模や墳形解明手掛かりに



その遥か末裔の古墳ですら
 5世紀に築造で、未だ全国4位
  の超巨大墳墓を造る力が有った




≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】


≪安倍総理が伊勢志摩サミット前に伊勢神宮と橿原神宮参拝したことが話題に≫<昭和天皇の真似をしたらしい>【しかし、それは全く筋が違う総理の勘違いであり誰か注意しろ】


安倍政権などという代議員・国会議員
 に過ぎない集団、その代表安倍晋三
  議員を信奉する連中は、シッカリと
   歴史を勉強した方が良い、最低でも
    その姿勢を忘れないことである・・・。
<チバニアン>地質年代に 77万年前、磁場逆転の痕跡


千葉県市原市

市原市

古代においては市原市の国分寺台から能満にかけての一帯が上総国の中心地域だったと見られる。市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府がどこにあったかは正確には分かっていない


上総国・・・かずさのくに
菊麻国だ!

菊麻国造

菊麻国造(きくまのくにのみやつこ)は現在の市原市北部から千葉市南部の村田川流域を支配していた国造。支配領域は菊麻国と呼ばれる

先代旧事本紀によると成務天皇の時代、无邪志国造の祖である兄多毛比命の子の大鹿国直を国造に定めたことにはじまるとされる。胸刺・波伯・大嶋の国造も兄多毛比命の子とされるので、同系とされる。




出雲王国 27南関東は第二の出雲王国  国家最大のタブー



【ヤマト建国物語】<偉大なる建国者であり、開拓者!>≪同一神である伊勢津彦と諏訪大神≫は。。【伊勢から日本列島大半を支配下に治めている】


日本神話は
 一柱の神にも
  別名が多数あったり

別神とされた神々が
 実は、同一神なのではないか
  ということが多々あるらしい

ただ。。日本神話は
 7世紀に編纂開始され
  完成は8世紀に食い込む

皇室を賛美する
 という建前ながら
  実は最高権力者
   藤原氏の名を高める
    道具とされた可能性

神々の名も。。実は
 時の政権の都合によって
  神の入れ替え・神隠しが
   行われてきたといって良い

古来。。地域・集落で
 崇められてきた神が
  スサノヲやアメノコヤネ
   という権力者藤原不比等
    賛美の神話に組み込まれ。。



天理・黒塚古墳出土「卑弥呼の鏡」33面を公開 橿考研付属博物館


何年も前から何度も言っている
 邪馬台国畿内説は怪しいのだ

邪馬台国は畿内に非ず
 国内なら九州が俄然有力である





邪馬台国論争が再び白熱 「九州説」派巻き返し



原田氏は「古事記、日本書紀との距離の取り方で研究者の立場が決まる」と指摘する。日本書紀の記述をどこまでを史実の反映と認めるかで邪馬台国の実像も変わってくるとしている。



古事記・日本書紀の神話との距離感
 明治以降の皇国史観に関係する気が




邪馬台国は「99・9%」九州にあった  邪馬台国は福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎




≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】



明治以降の皇国史観
 皇国の『皇』は、神話上の
  天皇・大王・倭王をさらに
   空想と信仰上の情念を
    交え膨らませた架空の天皇

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録、京都の研究者ら課題指摘
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170528-00000017-kyt-l26

大阪府などが世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群について、京都の研究者らが、古墳群に含まれる天皇陵に関する問題点を論文集にまとめた。編著者の京都大人文科学研究所長の高木博志教授(日本近代史)は「埋葬者が特定されていない現状を正確に示す名称や、文化財としても位置付けるなど、登録前に明確にしておくべき課題は多い」と指摘する。
 古墳群は、大阪府の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがる4~6世紀に築かれた古墳89基で、日本最大の前方後円墳(全長486メートル)の大山(仙)古墳(伝仁徳天皇陵)などがある。地元自治体が世界文化遺産登録を目指しており、文化庁の暫定リストに含まれている。
 現状の課題について、高木教授らは考古学や歴史学の視点から「世界遺産と天皇陵古墳を問う」(思文閣出版刊、2484円)をまとめた。
 課題の一つは、天皇陵の名称だ。現在の天皇陵は、江戸時代末期から明治時代に調査され、旧宮内省が定めたものを踏襲している。戦後、考古学者の故森浩一氏は検討を重ねた末、仁徳陵を「大山古墳」と呼ぶなどと提案。日本史の教科書で、大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)と記され、定着してきている。
 ところが、大阪府などでつくる世界文化遺産登録推進本部会議の資料ではそれぞれ、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳となっている。同会議事務局は「文化庁と宮内庁と相談し、一般的になっている名称を選んだ。古墳群の説明で、さまざまな名称があることも紹介している」としている。
 編著者の一人、今尾文昭・関西大非常勤講師(考古学)は「古墳群の天皇陵は、学術的に特定人物の古墳と確認できていない。資料通りの名称だと、国内外に誤解したイメージを広めてしまう」と訴える。
 国内法での位置付けについても言及している。天皇陵は現在、国有財産法に基づく「皇室用財産」で、宮内庁が管理し、原則非公開となっている。高木教授は「現状のまま登録されれば、秘匿性を高めることになりかねない」と危ぶむ。「古都奈良の文化財」の登録では、皇室用財産の正倉院の建物が、文化財保護法の国宝に指定された例がある。高木教授は「古墳群の天皇陵も、文化財の国史跡として二重に位置付けられるはず。あせらず、諸課題について幅広く議論して合意形成したうえで、市民に開かれた世界遺産を目指してほしい」としている。



課題の一つは、天皇陵の名称
江戸時代末期から明治時代に調査され、旧宮内省が定めたものを踏襲している。戦後、考古学者の故森浩一氏は検討を重ねた末、仁徳陵を「大山古墳」と呼ぶなどと提案。日本史の教科書で、大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)と記され、定着してきている。ところが、

大阪府などでつくる世界文化遺産登録
 推進本部会議の資料ではそれぞれ、

  仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳。


それ以上に、生没年・在位期間
広く知られている天皇の一覧
6世紀以前の天皇の生没年・在位期間については、武烈天皇以前は実態不明であるが、『日本書紀』の記述を掲載



天皇の一覧


百舌鳥・古市古墳群の天皇陵
 とされる古墳は、この不明な時代



≪安倍政権の面々や背後の日本会議他新興宗教人の幻想≫<日本に強大な初代征服王が居たと>【考古学界では既に答えが出ている。初代からかなりの代まで傀儡だ】


さらには

『記紀』『延喜式』などの記述によれば、
百舌鳥の地には仁徳天皇、反正天皇、
履中天皇の3陵が築造されたことに


考古学的には
履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)
→仁徳天皇陵(大仙陵古墳)→
反正天皇陵(田出井山古墳)の順で築造
されたと想定されており、
大きく矛盾が生じ


順番が違う!これで世界遺産か!!




晴耕雨読
http://sun.ap.teacup.com/souun/21221.html

「「過去を支配しようとすることは未来を支配しようとすることであった」:山崎 雅弘氏」  天皇と近代日本
https://twitter.com/mas__yamazaki

>…流行語大賞が「神ってる」だと…? #流行語

大賞昨晩のNHK9時ニュース、割と早い時間に10分も費やして、一企業主催の娯楽ネタを丁寧に報道していた。

籾井会長の続投は無い模様だが、既にこういう「体質」が完成したのでお役御免になっただけだろう。

籾井氏が退任しても、この体質はすぐには元に戻らない。

公共放送の社会的役割など眼中にない。

企業のCMで運営する民放の娯楽バラエティ番組が、流行語大賞のような娯楽ネタで時間を潰しても視聴者は観なければいいだけの話だが、受信料を事実上強制徴収し、様々な特権を付与された公共放送が、ニュース番組という枠内で、民放の娯楽バラエティ番組と同質の内容で電波を浪費するのは意味が違う。

近鉄名張駅に掲示されている、伊勢神宮の宣伝広告。

サミットに参加した各国首脳や政府関係者は、自分や自国トップがこのような形で商業宣伝や宗教宣伝、国家神道という文脈での政治宣伝に利用されていることを知っているだろうか。

結果として、国費で行われた公的行事で、神社本庁に利益供与している。

火曜に生放送されたIWJの岩上さんとの番組で、最後に紹介した加瀬英明氏の発言(『日本の息吹』2013年12月号、pp.17-18)。

加瀬氏は、今のアメリカでオバマ大統領が誕生したり、タイガー・ウッズやウィリアムズ姉妹が活躍できるのは「日本がアジア解放、有色人種解放の大東亜戦争を⑯戦ったおかげ」だと述べて、恩を売ろうとしている。

来日したオバマ大統領が天皇にお辞儀した事実についても、勝手な想像で「側近から聞いた」かのような話を創作して、「オバマ大統領は『日本のお蔭で自分は大統領になれたという思いで胸がいっぱいになって深くお辞儀をしたのだ』と語ったそうです」などと吹聴している。

米国の公民権運動が始まったのは、アラバマやルイジアナ等の南部であってニューヨークではない。

米国の黒人が血を流して勝ち取った公民権を、日本のおかげだと勝手に思い込むのは妄想でしかないが、黒人が自力で勝ち取ったものではないと侮辱し蔑視し見下している。

以前にも紹介したように、日本会議の渡辺昇一氏も「シンガポールが独立して欧米と対等に接することができるのは誰のおかげだ」と、シンガポールの人々を見下して恩を売っていた。

実際に日本がやったのは、シンガポールに侵略し、地名を変えて日本に併合しただけで、独立運動の支援など一切していない。

火曜に生放送されたIWJの岩上さんとの番組でも紹介した、シンガポール建国の父と呼ばれる初代の同国首相リー・クアンユーの回想録の記述。

「日本人は我々に対しても征服者として君臨し」日本人以外のアジア人を「日本人より文明が低く民族的に劣ると見なして」見下していたと、はっきり書いている。

渡部昇一氏、加瀬英明氏、小堀桂一郎氏など、日本会議系人士はなぜ、ここまで今上天皇が明確に述べられたお言葉を平然と足蹴にして「今の天皇より俺の方が天皇の本質を理解している」という傲慢な態度をとれるのか。

渡部昇一氏は「有識者会議は皇室制度の専門家ではない」と言うが、貴方も同じだろう。

日本会議の機関誌『日本の息吹』にノーチェックで掲載されたこれらの発言は、日本会議の人士が黒人やアジア人を日本人より劣る存在として、今も見下している事実を示しているが、彼らは相手が天皇であっても、自分が優位であるかのように語っている。

一見日本会議を批判しているように見えて、日本会議批判の矛先を脇に逸らすために「日本会議はただのミソジニーおやじの集団です。戦前回帰でもなければ安倍政権への影響力もありません」等の問題矮小化の言説を流し続ける人もいるが、現実を直視すれば、そんな低レベルの問題でないことは明白だろう。

火曜に生放送されたIWJの岩上さんとの番組では、吉田一彦さんの『「日本書紀」の呪縛』(集英社新書)も少し紹介した。

明治期に政治目的で体系化された「日本の歴史と伝統」が、普遍的な日本の歴史と伝統であるかのような錯覚が、安倍政権下の日本で復活しつつあるが、実証を欠いた主観でしかない。

「『日本書紀』は日本の過去をありのままに記したような書物ではない。それは、権力の座についた氏族たちが自分たちの権力の根拠と正統性を神話と歴史から述べた政治の書物であり、過去を支配することを目的とした書物であった」

「『日本書記』は過去を規定するが、それだけではなく、それによって現在や未来をも規定した。過去を支配しようとすることは未来を支配しようとすることであった」(p. 225)

過去の歴史を支配することは、それだけに留まらず、現在と未来をも政治的に支配することに繋がるという指摘は、現在の日本で進む歴史修正運動を理解する上で重要なポイント。

産経の「歴史戦」における「主力戦士」の一人、井上和彦氏に、産経が『正論大賞』を授与。https://t.co/sD0woYtTEn

この井上和彦氏が、どんな手法で過去の歴史を改竄・歪曲し、予備知識のない日本人を騙すかについてのまとめ→井上和彦氏が雑誌記事や単行本で書いている嘘やミスリードの手法、例えば「日本占領下での市民の犠牲者の慰霊碑」を「抗日華僑の碑」と呼んで、あたかも「死んだ人間は全員日本軍に抵抗した戦闘員なので殺した日本軍に罪は無い」かのように錯覚させる手法は、現地で確認すれば簡単にウソだと判明する。

まとめ『シンガポールと「大東亜戦争」と「昭南島」について』http://togetter.com/li/957993  で具体的な証拠を挙げて説明している通り、井上和彦氏が「歴史戦」で展開しているのは「虚偽の政治宣伝」であり、中国政府が行う南京虐殺犠牲者数の水増し宣伝と本質的には何も違わない。




『日本書紀』は日本の過去をありのままに
  記したような書物ではない。それは、権力の
   座についた氏族たちが自分たちの権力の根
    拠と正統性を神話と歴史から述べた政治の
     書物であり、過去を支配することを目的とした


同感である

7世紀後半から取り掛かり、
 8世紀初頭に完成した神話。

帝紀・旧辞等幻の書を土台に
 諸豪族祖先からの系譜、諸外国
  の神話引用でとの説も。

口述伝承(いいつたえ)は400年が
 限度というから3世紀後半の王権
  創建にはギリギリ到達出来るのか。

が、恣意的な記述は疑い無く不比等栄達
 により、当初目的の天皇称賛から蘇我氏
  の矮小化、藤原氏賛美へと変化した部分




http://blog.goo.ne.jp/ki…/e/5883a33154b7c2d823a4220ddf7b0a6d
稲田朋美大臣の「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」という言葉
(日本国政府閣僚=大臣で弁護士でもありながら、たとえ一群の集会であってもこういうことを安易に口走る頭の中は疑わないといけないが)
http://lite-ra.com/2016/11/post-2707_2.html
稲田朋美大臣や三原じゅん子をサヨ諸氏が哂う
実在しない天皇を実在したと喧伝、さらに偉業を崇拝と。。
現役の神社宮司が「日本会議や神社本庁のいう伝統は伝統じゃない」「改憲で全体主義に逆戻りする」と真っ向批判
http://lite-ra.com/2016/06/post-2296.html

しかし、ちょっと待て!
「神武」という方なのか同一説「崇神」という方か知らんが
『初代』はいらっしゃった、即位されたでしょ?
ということ。
日本神話は「神話」なので、架空物語的になるのは仕方ない
が、一方で「歴史書」の側面。考古学発見も神話記述に照合したりするようだ。

つまり、神話だから{架空}と切り捨てるのではなく
紀元前660年を哂え!である。

よって、サヨ諸氏もピントがズレている。


が、神話の神的存在「神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと)」で終わればそれすら何の問題も無いが。。
日本の王権初代「神武」なのでちゃんとしといて欲しい、と。


どうも。。稲田朋美はじめ界隈諸氏は
『神話上の神武天皇』でも御不満なようで。。古史古伝竹内文書の類上の強大なトップダウン帝王を想像。
(それによれば神武でも第73代天皇・・初代は何年や)
聞くところに拠れば、昭和天皇の大戦中大元帥時代までは支持。
戦後はすげ替え論、今上天皇・皇太子に対しては批判的。。
な気配が漂っている。自分らの思想に合わんかったら批判か!?

(ケシカラン!最後まで徹底的に付き従えよなぁ~~)

考古学・歴史学上は西暦280年前後がほぼ定説。
しかも、トップダウン武闘派の帝王ではなく、吉備や出雲はじめ強国に担がれた御輿だったという。

(日本の考古学界は弱小、大っぴらに言えば潰される)

まぁ、日本の(ネト)ウヨもサヨも大したことない、またちゃんと発表しない考古学もしっかりしろよ!
日本の将来もこれでは先が見えていないか?。。</span>



つい先日も述べた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪安倍政権の面々や背後の日本会議他新興宗教人の幻想≫<日本に強大な初代征服王が居たと>【考古学界では既に答えが出ている。初代からかなりの代まで傀儡だ】



安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化
http://lite-ra.com/2016/11/post-2707.html



安倍晋三はじめ長州卒族付近
 の怪しい出自の人間に限って。。
  変な新興宗教に憑りつかれるのか


まず。。答えから
 神武天皇の漢風諡号かどうか、
  「初代」は居た。ただ。。安倍政権
   他新宗教人が思い描く「剛腕の帝王」

などではない。

 吉備・出雲はじめ強国に御輿の
  ように擁立された。。大変言い難い
   が「傀儡」の可能性。よって、初代
    以降かなりの代まで世襲など夢の
     また夢ではないか。武帝に非ず!


国連事務総長のような。






≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】



天皇陵の秘史 江戸幕府による神武天皇陵築造の謎 【歴史人1月号】
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141216-00010001-rekishi-life


奈良県橿原市。。神武天皇陵
 小生もまだ知識の無い頃、この辺りを
  散策してみたことがあるが。。

天皇陵と思われる墳墓や橿原神宮
 確かにこの界隈には何かがあった!

  と思わされたものである。。その後
   神武天皇架空説や欠史8代説や
    10代崇神天皇との同一人物説など
      の存在を知るに至る訳である


しかし、古墳や考古学との関連で
 やはり、初代神武天皇に該当する人物は
  確かに存在した!!と考えるようになった


神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、
日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天
皇76年3月11日とされる。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と
称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬ
のみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される
                         (ウィキペディアより)



神武天皇が紀元前660年に即位
 さすがにこれは。。縄文か弥生時代である
  やはり古墳時代に該当の3世紀後半。。
   この時代の人物であろうと思われる


さらに、強大な征服王というイメージ
 これも幕末勤王思想や明治維新前後の
  皇国史観とも関連するのではないだろうか






≪日本の曙!《ヤマト勃興》に関する壮大な推理≫<卑弥呼・邪馬台国は日本ではない>【ヤマト王権は周辺強国により擁立された!!】


小生。。岡山には敏感に反応する
 何もかもに反応ではなく、古墳・遺跡
  古代。。超古代史に関連する事柄に
   である。。
その理由は、岡山=旧吉備

吉備国または吉備王国
 日本古代史のNO1キーマン
  の居城・拠点。。
神々の棲んだ
   偉大なるエリア!
と考えている

 
吉備。。吉備国。。
 古代日本の地方国家。現在の岡山県全域
  と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県
   西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)

    またがる、有力勢力の一つ。。いや、NO1!


吉備の代表的な古墳
であり、造山古墳群の主墳
 造山古墳 5世紀築造推定
  全長350m 全国4位の
   超巨大前方後円墳である


全国第1位大仙陵古墳(486m) 伝代16代仁徳天皇陵
2位誉田御廟山古墳(420m) 第15代応神天皇陵
3位上石津ミサンザイ古墳(360m) 第17代履中天皇陵


とそれぞれ宮内庁に比定され
 立ち入りが許されず、学術調査も
  行われていない
のに対して

造山古墳は、立ち入りが許される
 全国最大の超巨大古墳なのである


上位3位までの古墳と
 4位の造山古墳、いずれも
  5世紀の築造。。ヤマトは既に
   存在している訳であって。。


全国1位~3位の古墳が
 堺。。羽曳野、いわゆる河内平野

  に存在に比べて、岡山にある4位
   の造山古墳。。9位の作山古墳が
    存在することから。。
古代吉備には
   
ヤマト王権に対抗しうる、拮抗した
 強力な王権(吉備政権)があった
  との見解。。充分に頷ける学説!!


いや、そもそも吉備がヤマトを創った


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


滋賀県。。近江なら
 その力を持っていたことは
  充分に有り得る!!と考える


全くその通り!邪馬台国畿内説学者
 幅を利かせる考古学・史学界主流派
  は、ヤマトと九州中心で考え過ぎである


鉄器・青銅器・土器
 恐らく、大陸・半島に近い
  北部九州に伝わった


つまり、弥生時代。。紀元前
 には、日本列島内の先進国は
  北部九州だったといえる訳だ


その技術が。。文化が
 次第に列島東部へ伝播
  九州から東北まで普及


この時代が下るにつれて
 紀元前後から西日本・山陰
  同盟が瀬戸内海ルートを
   押さえることにより。。
    また、その他生活文明


諸事情により
 力関係が、北部九州圧倒的
  から、西日本(吉備・出雲)
   へと移って行ったということか


そして、紀元3世紀
 ヤマト勃興となる訳だ


そのヤマト勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと


この辺りは、日本の曙
 しかし、ヤマト勃興へ至る
  紀元前後から3世紀の間に
   邪馬台国論争という邪魔が


何故なら、邪馬台国論争
 九州VS畿内、しかし!!
  本当に日本なのか!?


それ以上に重要なことは
 いわゆる邪馬台国時代より
  以前。。紀元2世紀前後なのか
  

西日本(吉備・出雲)が
 超強国として君臨したらしい
  ことも囁かれており。。  


そのインパクトは
 邪馬台国の比ではない
  と充分に考えられる。。
   

女王卑弥呼よりも
 吉備の大王の方が遥かに
  大物ではないのだろうか


邪馬台国を纏向遺跡や箸墓古墳と
 関連付けてしか考えられない畿内説学者
  考古学で幅を利かせる主流派の
   考え方や解釈では。。
まず到底
    この新しい事実を受け止めることは
     不可能であり。。誤った判断が
      横行しないことを祈るばかりである


九州が大陸からの技術導入
 などにより、最先進国だったが

  次第に主導権は、吉備や出雲
   瀬戸内海勢力に移り。。
ヤマト擁立

ここで気になるのは、巷いわれる
 邪馬台国。。そして女王卑弥呼とやら


九州から、吉備・出雲に主導権
 その後。。吉備・出雲・畿内・近江
  伊勢・北陸・東海・そして九州勢力もか


各強国首長たちが御輿担ぐように
 擁立したのが、ヤマト王権だとすれば


例えば。。さらに想像を
 膨らませていけば。。
欠史8代
  
古事記・日本書紀といういわゆる
 日本神話を基礎概念に、系譜は
  存在するがその事績が記されない

   第2代綏靖天皇から第9代開化天皇
    までの8人の天皇、あるいはその時代


初代神武天皇と10代崇神天皇
 を同一人物と断定した上で。。


史学界通説・考古学主流
 が居なかった!とする欠史8代
  2代から9代までの諸天皇あるいは
   ヤマト王権の各倭王たち。。
もしや

各強国首長と関係のある人物!
 もしくは、各首長から擁立され
  その後の10代以降の各天皇
   とは血縁関係がない重要人物?


また、さらには

ヤマト擁立の各強国首長の
 後裔・末裔・親族子孫は。。畿内
  ヤマト周辺で王権に寄り添うように
   暮らした可能性を追究して良い筈だ


ヤマト王権。。初代天皇(大王。。倭王)
 は征服王などではなく、吉備をはじめ
  出雲、東海、伊勢、越、畿内そして九州
   各地の強国に擁立された王だった!と


そして、纏向遺跡が邪馬台国や
 卑弥呼と関連付けられる昨今だが
  纏向遺跡はヤマト王権が置かれ。。
   箸墓古墳は卑弥呼墓でもないだろう





≪卑弥呼墓は、箸墓古墳ではない!邪馬台国は日本には無い≫<日本古代史界には、政治以上のプロパガンダ>【卑弥呼が日本列島の女王。。初代天皇が強大な征服王。。《どちらも違う》】


卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ば
 までに、倭国の中心が九州から近畿に移った


これは本当だろうと思っている

ならば。。
奈良桜井の纒向遺跡
 邪馬台国ではなく。。
  ヤマト王権発祥地だろう


邪馬台国は、古くは九州説
 が断然優勢。。しかし、この
  纒向遺跡が逆転HRとなり

   
箸墓古墳を卑弥呼墓として
 畿内、ズバリ奈良を邪馬台国に
  という畿内説が圧倒的に有利に


小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!という見解

   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた

纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓
  という説の登場
により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m

日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された
との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造
との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者
それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い

とすれば。。


纒向石塚古墳、ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、
纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳
と数多く存在
そしてこの記事の
京都府向日市の国内最古級の前方後円墳
五塚原(いつかはら)古墳も条件を満たしてくる


小生。。3年近く前に
 既に邪馬台国は外国にあった
  可能性を示す説を紹介している


卑弥呼墓の大きさを150m
 としてみた、のは当初の見解
  それでも300mの箸墓古墳では
   あまりに大き過ぎると言ってみた


ところが。。卑弥呼墓の大きさ
 150mもないのではないか?
  とも思えてきた訳である・・・。


それに。。卑弥呼、本当に日本の女王か
 なぜ。。卑弥呼、このような字を充てるのか


中海道遺跡との関連。。
 初めて聞いた遺跡名である


京都五塚原古墳。。何度か取り上げた
 箸墓古墳との類似点?箸墓を卑弥呼墓
  とする前提での議論であるから大いに疑問


ただ。。箸墓のミニチュアという大きさ
 の点では、卑弥呼墓煮より近いと以前
  してみた訳だが。。訂正が必要なのだ


五塚原古墳でも大き過ぎるともいえるのだ


京都向日市の 五塚原(いつかはら)古墳
 小生。。以前にも取り上げたことがあるが
  全長91.2m。。卑弥呼墓のスケールに
   はピッタリである!箸墓では大き過ぎる!!



小生。。。

纏向遺跡や箸墓古墳を

邪馬台国だけに縛り付けてしまって
良いのか、
と素人ながら思ってはいた。


そんな中
現在、ある古代中国原典専門
40年のベテランが著した
書物を読んでいる

その著者が言うには
”邪馬台国”は日本に在らず

日本の歴史界が魏志倭人伝
 の訳を間違えている!!


つまり倭に至る出発点の
 場所から間違えている!!

ということらしい。。。


その本たるや
最初から3分の2ぐらいは、
中国の省や郡の場所がズラリ


さすがに、退屈で
 殆ど全て読み飛ばした

そして、
邪馬台国=倭=倭国 
は 中国もしくは朝鮮半島の根元

現在の中華人民共和国内
か北朝鮮内
だという。。。


あまりきいた事が無い説

このまま読み進んでいて良いのか!

単なる異端者の説ではないのか!


と思っている時に


司馬遼太郎の短編集を買ってしまった

そこで見たものは!


司馬遼太郎は
「倭とか倭国、倭人は中国の
  とある場所であり。。
   倭人とか倭とか呼ばれた場所
    が中国内に存在していた」
らしい

と言っている

既に1970年代に、である


司馬遼太郎が言ったからではなく、
そういう説が古来存在していた訳である


では
何故。。日本の歴史学者や歴史専門家達が大挙して
魏志倭人伝の倭に至る出発点を
間違えて訳してしまったというのか

という疑問も残る。。誰か気付いたはず


例えば、英(米)語や他の欧州語
なら日本の学者も読み慣れている
しかし中国の原典には
馴染みが少ない
のは確かにある


もしも、原典の訳を誰か
が間違えてしまい。。。

慣れない原典をあたらずに、
その訳を元に議論が極めて永年白熱
それならば、如何に方角・距離を
あらゆる角度から検証し直しても

・・・・・半永久に倭には到達出来まい

まだ、極めて不確かながら

邪馬台国という概念を。。。

・・・日本の歴史から削除しなければならない


となれば歴史学史上でも群を抜く大事件である!!が。。。


まず卑弥呼墓の円墳直径
 百余歩=約150m


日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


としてみた、小生の見解を訂正である

古代中国の一歩を。。1.4m程度と換算
 しかし、古代の中国の単位は同じ歩でも
  殷・周・秦・漢・魏・晋。。正に百変化に
   近い伸縮具合なのであり。。
要は

小生、古代史研究家の如く上手く
 綿密な論理では言えないのであるが

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ


と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


そして、従前従来から言っているように
 古代史。。いや考古学界は弱小学界である
  戦前は、皇国史観・軍部プロパガンダの前に
   正に完全に息を潜めざるを得なかったのであり


戦後ですら、やはり革新的な論述は
 避けているのが明白なのであり。。いや
  学界の構成員、史学・考古学者の中での
   右派の力が強いように思えてならない


それが、真相追究の道をより狭め遠ざけた


実際は、もう4年以上前の見解ではあるが
 日本考古学界。。弱小であり、戦前は勿論
  戦後も長らく、監視下。。皇国史観や国粋
   主義者等の目を気にして、いや今もだろう


邪馬台国や卑弥呼。。そして特に
 日本神話などは絶対に軽視出来ない
  唯一の国史。。史書であることを抜きに
   しても、顔色を窺わざるを得ないはずだ


歴史学界・考古学主流派
 邪馬台国畿内説学派の歴史家
  は、邪馬台国を纒向遺跡に。。
   箸墓古墳を卑弥呼墓に結び付け
    たがる傾向が強いのであろうが


どう考えても無理があり過ぎる訳だ


日本神話も、無視すれば文献が無く
 なってしまうが。。参考程度にすべき


そして、邪馬台国・卑弥呼のことは
 日本列島超古代の概念から除去必要


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


ならば。。邪馬台国も中小の勢力
 に入ることにはならないかね?

邪馬台国が日本列島を代表する
 首都であったという解釈が間違っている


吉備・出雲。。ひょっとして九州も
 近江・越(北陸)・東海・伊勢・畿内

 
各強国が神輿を担ぐように
 擁立勃興したのがヤマト王権であり


ヤマトの王。。倭王・大王は、長い間
 擁立してもらった強国各帝王たちに
  遠慮しなければならなかったのでは?

 
よって、初代倭王から
 数代。。欠史八代含め10代まで?いや
  それともそれ以降、10数代大王(天皇)まで
   世襲を許されなかったのは充分に頷ける話


歴史学界主流派から。。その手の
 話が出てきたのを聞いたことが無い


ヤマト王権が、強力な指導力を発揮
 し始めるのも。。歴史学界主流派が
  述べる見解よりもすっと後年だった


と考えて問題無いと思うのである


纒向遺跡は邪馬台国ではない
 箸墓古墳は、卑弥呼墓ではない

  ヤマト王権発祥の地が纒向遺跡
   これなら、納得も出来るというもの


ならば、箸墓古墳は初代倭王
 即ち、初代天皇墓ということなのか


違うと思えてならない
 皇国史観によって、またそれに
  抗えない古代史・考古学界
   による扇動・プロパガンダだ!


ヤマト擁立の各強国の最右翼
 キングメーカー吉備の大王墓に決定


では。。初代神武天皇はどういう人物
 だったと考えれば良いのだろうか。。

  恐らくまだまだ実権など皆無に等しく
   キングメーカーたちに気兼ねするような





≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】


奈良県桜井市
 箸墓古墳。。全長278m
  超巨大前方後円墳であるが
   さらに大きくなる可能性
    全長300mに達するのか


小生、付近一帯を
 巡回して回ったことがある
  巨大古墳が点在する近隣
   しかし、箸墓古墳の姿は
    他の古墳とは、全然違った


池。。ため池?とにかく水辺が
 そこに浮かぶ島のような趣で
  姿・形が美しかったのは当然
   風格のようなものを感じた訳で


辺り一体の桜井や天理
 の巨大古墳を従えるような
  そんな雰囲気すらあった。。


5世紀の超巨大古墳
 伝仁徳天皇陵や応神天皇陵
  などの古墳最盛期とは
   時代も意味合いも全く違う


箸墓古墳の被葬者を
 邪馬台国畿内説の学者連は
  卑弥呼をヤマト王権に直結
   させて、そのけん引役に
    見立てようと躍起になるが


小生。。絶対に違うと考える

考古学研究会のセミナー
 に参加したときのことである


岡山県。。古代旧吉備国
 2世紀の楯築遺跡に注目すれば
  

桜井の箸墓古墳は
 この楯築遺跡の特徴を色濃く継承
  吉備の王との繋がりを権力基盤に

   という学者の説明をきいた訳で

そのヤマト王権勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと
    なのは既に解明済みである


小生。。想像するに
 初期ヤマト王権の長。。倭王
  つまり、呼称は無かったにせよ
   天皇は、御輿のように担いだ
    各強国の王たちには、気兼ね
     現在の国連事務総長のような
      そういう存在ではなかったか


各強国の。。今で言う米・欧・ロ
 とりわけ、超強国の米国的存在
  それは恐らく。。いや確実に
   吉備。。もしくは吉備王権勢力


箸墓古墳クラスの超巨大墳墓
 築造には、数百万人から1千万人
  動員して、築造期間20年ぐらい
   は必要だったのでは、という試算


卑弥呼墓。。百余歩・・150m未満
 シャーマン的存在の30余国。。このクニ
  は村落といって言い訳で、日本の王
   とは考え難く。。卑弥呼では絶対無理


初代倭王(天皇)でもそれは困難で
 もっと、大物だったと考えた方が良い


間違い無い!初代倭王を生み出した
 超古代版治天の君。。ホントの倭王
  吉備の大王と考えた方が自然である


現代日本政治などよりも
 遥かに複雑かつ重厚な壁が
  存在する日本古代史・考古学


今後もさらに一層研究が必要な
 小生ではあるが。。現時点では
  優勢な邪馬台国畿内説学派が唱える
   箸墓=卑弥呼墓説には賛成出来ない


弥生時代の北部九州から
 日本の主導権・・”首都”は
  中国・山陽地方に遷り。。

   この件は、『神武東征神話』
    『邪馬台国東遷説』とも符合する


日本の神話は8世紀の編纂。。
 ヤマト勃興は3世紀の話である

  口頭伝承の最長期間は400年
   程度という説もあるにせよ。。


また、神話編纂者がヤマト王権発祥
 の逸話などを絶対に知らないにせよ

  やはり見事と言わざるを得ない訳だ


日本の初代天皇は強大であって
 欲しい、という気持ちは解らないではない


しかし、一般人ではなく
 一国の政権人が妄想とすれば話は別


新興宗教に取り憑かれたり
 ありもしない妄言を喧伝するならば
  北朝鮮以下と断じざるを得ない訳だ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

空想上の。。想像上の
 信仰上の天皇に付き従い

国民のことを思う今上天皇に
 現皇室には批判的な諸氏は

  保守でも右翼でもない、と断じる

歴代で最高の権力を得ていたと
 いう説もある昭和天皇であるが

  大日本帝国軍大元帥だった
   第二次世界大戦直前・戦中に
    は帰依していた諸氏も戦後は


なんと!天皇すげ替えとも取れる言動の説


安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化
http://lite-ra.com/2016/11/post-2707.html

とうとう、ここまできたか──。日に日にエスカレートしていく安倍政権の歴史修正主義だが、いよいよ連中は「神武天皇は実在した」なるトンデモまで喧伝しだしたらしい。
 念のため最初に言っておくと、神武天皇は8世紀の「古事記」「日本書紀」(あわせて記紀という)を基にした“初代天皇”だが、もちろん実在したとは立証されておらず、ときの政治権力である朝廷がその支配の正当性を説くために編み出した“フィクション”というのが歴史学の通説だ。
 ところが最近、安倍政権周辺から「神武天皇は実在の人物でその建国の業績を讃えるべき」という主張が次々飛び出してきているのだ。
 自民党の三原じゅん子参院議員が、先の参院選投開票日のテレビ東京の選挙特番で、VTR取材中に「神武天皇の建国からの歴史を受け入れた憲法を作りたい」と発言していたことについて、MCの池上彰から神武天皇は実在の人物だったとの認識かを問われ、「そうですね。そういう風に思ってもいいのではないか」と“珍回答”。池上が呆れて「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物ということになってますが?」とツッコんだのは記憶に新しい。
 このトンデモ発言にはさすがの有権者も「まあ、三原じゅん子だから」と一笑に付したが、しかし、どうもこの神武天皇実在論は、安倍政権の中枢にしかと根付いているようだ。
 たとえば今月、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称すべしとの運動を展開している「明治の日推進協議会」なる団体が都内で決起集会を行った。同団体の役員名簿には小田村四郎、小堀桂一郎、大原康男、伊藤哲夫、百地章など、おなじみの日本会議系人物がちらつく。その集会に、安倍首相の盟友である古屋圭司自民党選対委員長、稲田朋美防衛相らが参加。稲田は壇上でこう息巻いたという。
「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」(朝日新聞11月2日付)

 ……おいおいマジかよ?と突っ込まざるをえないが、この安倍政権の神武天皇ゴリ推しを“機関紙”の産経新聞もバックアップしている。今年8月には『神武天皇はたしかに存在した』(産経新聞取材班/産経新聞出版)なる書籍を出版。記紀にある日向(現在の宮崎県)から大和(奈良県)までの「神武東征」を追いかけるルポだが、完全に神武実在が前提になっており、置いてけぼり感満載の一冊に仕上がっている。
 しかし、繰り返すが、神武天皇について直接的に伝えるのは記紀だけであり、その記述は完全に“神話”の域を出ないものだ。たとえば「日本書紀」の記述は天地開闢から始まる神武以前が神代、神武以降が人世の歴史とされているが、明治政府は神武天皇即位の年=皇紀元年を紀元前660年とした。実に縄文時代後期である。
 そんな、人々はもっぱら狩猟採集生活で文化といえば土器みたいな時代に、神武天皇は「天下を治めるためには東に行けばいいんじゃないか」と思いついて、大和までの長い旅に出たというのだが、記紀が描く道中の出来事はあからさまに現実味がない。
 たとえば、亀の甲羅に乗った釣り人(地元の神)に明石海峡から浪速までの海路を案内してもらったり、突如、助っ人が神のお告げで天の神がつくった剣を持ってきてくれたり、かと思えば神の仰せで八咫烏が吉野まで先導してくれたり、はたまた天の神がやってきて証拠の宝物を見せて神武に仕えたりと、「史実」とみなすには神がかり過ぎている。
 さらにいえば、神武を含む古代天皇の年齢も解釈に苦しむ。たとえば「日本書紀」によれば、神武天皇崩御時の年齢は127歳で、「古事記」では137歳とある。そんな超長寿なんてありえないだろう。年齢を2で割ると丁度良くなるとする説もあるが、すると逆に皇紀自体がおかしくなってくる。なお、初代天皇となった神武の後を継いだ綏靖天皇から開化天皇までの8人については、なぜか、その実績がほとんど記されていない。この「欠史八代」はあまりにも有名な記紀の謎として知られている。
 結局のところ、神武天皇及び欠史八代は創作で“虚構の天皇”だとするのが一般的な古代史研究者の見解である。では、なぜ安倍政権はいま、こんな神武天皇実在説というトンデモを言いふらしているのか。
 その目的を、前述した稲田朋美の「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」という言葉が、端的に表している。
 実は、神武天皇の陵墓は、たとえば天武、天智、持統天皇などの陵墓と比べて軽視されており、中世まで始祖として崇め奉られていた形成はほぼない。それが一転、江戸中期の国学を経て尊皇思想の核となり、明治維新は王政復古の建前のもと幕府を転覆させた。ようは、“クーデター”のため「万世一系」たる天皇の権威を超越的なものとして再興し、利用したのだ。
 また、このとき明治政府は、それまで民間信仰であった神道を天皇崇拝のイデオロギーとして伊勢神宮を頂点に序列化、“日本は世界無比の神の国”という「国体」思想を敷衍した。そうした流れのなかで、日本書紀などについて批判的研究を行った津田左右吉に対し、東京地検が尋問を行い、『神代史の研究』など4冊を「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書」として発禁押収。後日、津田と版元が出版法違反で起訴されるという事件も起きている(佐藤卓己『物語 岩波書店百年史』2巻/岩波書店)。

一方、1945年の敗戦後にGHQが神道指令を発布、国家と神社神道の完全な分離を命じると、津田の学説は学会の主流派となり実証主義的な記紀研究が活性化。その蓄積を踏まえ、今日では神武天皇は実在しないというのが定説となっているわけだが、これを面白く思わないのが日本会議ら極右界隈と、それに支えられる安倍政権だ。
 彼らにとって天皇は「万世一系」でなければならない。それは前述のとおり、日本を万邦無比の「神国」とし、天皇を超越的な存在として再び支配イデオロギーの頂点に置いて政治利用するために他ならない。だからこそ、記紀は史実であり、神武天皇は実在すると主張するのだ。
 すると必然的に、神武天皇は記紀にあるように神話的でありながら同時に存在を認めるという、矛盾めいたことになる。三原じゅん子が「神話の世界の話であったとしても、そう(実在したと)いう考えであってもいいと思う」と池上彰に応答したのはまさに典型だ。ようは政治的な目的ありき。だからこういう発言になる。
 事実、安倍晋三は下野時の2012年、民主党(当時)による女性宮家創設議論および皇室典範改正に反対し、こう述べていた。
「私たちの先祖が紡いできた歴史が、一つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室であろう」
「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」(「文藝春秋」12年2月)
 見ての通り、立憲主義もクソもない。こんな人間がいま日本の総理であることにあらためて戦慄するが、一方、安倍のブレーンである八木秀次が天皇・皇后の護憲発言に対して「宮内庁のマネジメントはどうなっているのか」と猛批判したように、実際には、安倍は天皇に対する敬愛などほとんどもっていない。そこにあるのは、天皇の政治利用、もっと言えば、皇国史観と「万世一系」イデオロギーの復活による大衆支配の欲望だけだ。
 そう考えてみてもやはり、わたしたちは表出する神武天皇実在論を笑って済ませておくわけにはいかない。戦前回帰を目論む安倍政権のプロパガンダの一種として、十分に警戒しておく必要がある。
(宮島みつや)




安倍晋三はじめ長州卒族付近
 の怪しい出自の人間に限って。。
  変な新興宗教に憑りつかれるのか


まず。。答えから
 神武天皇の漢風諡号かどうか、
  「初代」は居た。ただ。。安倍政権
   他新宗教人が思い描く「剛腕の帝王」

などではない。

 吉備・出雲はじめ強国に御輿の
  ように擁立された。。大変言い難い
   が「傀儡」の可能性。よって、初代
    以降かなりの代まで世襲など夢の
     また夢ではないか。武帝に非ず!


国連事務総長のような。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪初代神武天皇に該当する人物は確かに存在しただろう≫【ただし、強大な征服王ではないと考える】



天皇陵の秘史 江戸幕府による神武天皇陵築造の謎 【歴史人1月号】
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141216-00010001-rekishi-life


奈良県橿原市。。神武天皇陵
 小生もまだ知識の無い頃、この辺りを
  散策してみたことがあるが。。

天皇陵と思われる墳墓や橿原神宮
 確かにこの界隈には何かがあった!

  と思わされたものである。。その後
   神武天皇架空説や欠史8代説や
    10代崇神天皇との同一人物説など
      の存在を知るに至る訳である


しかし、古墳や考古学との関連で
 やはり、初代神武天皇に該当する人物は
  確かに存在した!!と考えるようになった


神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、
日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。
日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天
皇76年3月11日とされる。
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と
称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬ
のみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される
                         (ウィキペディアより)



神武天皇が紀元前660年に即位
 さすがにこれは。。縄文か弥生時代である
  やはり古墳時代に該当の3世紀後半。。
   この時代の人物であろうと思われる


さらに、強大な征服王というイメージ
 これも幕末勤王思想や明治維新前後の
  皇国史観とも関連するのではないだろうか





≪日本の曙!《ヤマト勃興》に関する壮大な推理≫<卑弥呼・邪馬台国は日本ではない>【ヤマト王権は周辺強国により擁立された!!】


小生。。岡山には敏感に反応する
 何もかもに反応ではなく、古墳・遺跡
  古代。。超古代史に関連する事柄に
   である。。
その理由は、岡山=旧吉備

吉備国または吉備王国
 日本古代史のNO1キーマン
  の居城・拠点。。
神々の棲んだ
   偉大なるエリア!
と考えている

 
吉備。。吉備国。。
 古代日本の地方国家。現在の岡山県全域
  と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県
   西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)

    またがる、有力勢力の一つ。。いや、NO1!


吉備の代表的な古墳
であり、造山古墳群の主墳
 造山古墳 5世紀築造推定
  全長350m 全国4位の
   超巨大前方後円墳である


全国第1位大仙陵古墳(486m) 伝代16代仁徳天皇陵
2位誉田御廟山古墳(420m) 第15代応神天皇陵
3位上石津ミサンザイ古墳(360m) 第17代履中天皇陵


とそれぞれ宮内庁に比定され
 立ち入りが許されず、学術調査も
  行われていない
のに対して

造山古墳は、立ち入りが許される
 全国最大の超巨大古墳なのである


上位3位までの古墳と
 4位の造山古墳、いずれも
  5世紀の築造。。ヤマトは既に
   存在している訳であって。。


全国1位~3位の古墳が
 堺。。羽曳野、いわゆる河内平野

  に存在に比べて、岡山にある4位
   の造山古墳。。9位の作山古墳が
    存在することから。。
古代吉備には
   
ヤマト王権に対抗しうる、拮抗した
 強力な王権(吉備政権)があった
  との見解。。充分に頷ける学説!!


いや、そもそも吉備がヤマトを創った


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


滋賀県。。近江なら
 その力を持っていたことは
  充分に有り得る!!と考える


全くその通り!邪馬台国畿内説学者
 幅を利かせる考古学・史学界主流派
  は、ヤマトと九州中心で考え過ぎである


鉄器・青銅器・土器
 恐らく、大陸・半島に近い
  北部九州に伝わった


つまり、弥生時代。。紀元前
 には、日本列島内の先進国は
  北部九州だったといえる訳だ


その技術が。。文化が
 次第に列島東部へ伝播
  九州から東北まで普及


この時代が下るにつれて
 紀元前後から西日本・山陰
  同盟が瀬戸内海ルートを
   押さえることにより。。
    また、その他生活文明


諸事情により
 力関係が、北部九州圧倒的
  から、西日本(吉備・出雲)
   へと移って行ったということか


そして、紀元3世紀
 ヤマト勃興となる訳だ


そのヤマト勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと


この辺りは、日本の曙
 しかし、ヤマト勃興へ至る
  紀元前後から3世紀の間に
   邪馬台国論争という邪魔が


何故なら、邪馬台国論争
 九州VS畿内、しかし!!
  本当に日本なのか!?


それ以上に重要なことは
 いわゆる邪馬台国時代より
  以前。。紀元2世紀前後なのか
  

西日本(吉備・出雲)が
 超強国として君臨したらしい
  ことも囁かれており。。  


そのインパクトは
 邪馬台国の比ではない
  と充分に考えられる。。
   

女王卑弥呼よりも
 吉備の大王の方が遥かに
  大物ではないのだろうか


邪馬台国を纏向遺跡や箸墓古墳と
 関連付けてしか考えられない畿内説学者
  考古学で幅を利かせる主流派の
   考え方や解釈では。。
まず到底
    この新しい事実を受け止めることは
     不可能であり。。誤った判断が
      横行しないことを祈るばかりである


九州が大陸からの技術導入
 などにより、最先進国だったが

  次第に主導権は、吉備や出雲
   瀬戸内海勢力に移り。。
ヤマト擁立

ここで気になるのは、巷いわれる
 邪馬台国。。そして女王卑弥呼とやら


九州から、吉備・出雲に主導権
 その後。。吉備・出雲・畿内・近江
  伊勢・北陸・東海・そして九州勢力もか


各強国首長たちが御輿担ぐように
 擁立したのが、ヤマト王権だとすれば


例えば。。さらに想像を
 膨らませていけば。。
欠史8代
  
古事記・日本書紀といういわゆる
 日本神話を基礎概念に、系譜は
  存在するがその事績が記されない

   第2代綏靖天皇から第9代開化天皇
    までの8人の天皇、あるいはその時代


初代神武天皇と10代崇神天皇
 を同一人物と断定した上で。。


史学界通説・考古学主流
 が居なかった!とする欠史8代
  2代から9代までの諸天皇あるいは
   ヤマト王権の各倭王たち。。
もしや

各強国首長と関係のある人物!
 もしくは、各首長から擁立され
  その後の10代以降の各天皇
   とは血縁関係がない重要人物?


また、さらには

ヤマト擁立の各強国首長の
 後裔・末裔・親族子孫は。。畿内
  ヤマト周辺で王権に寄り添うように
   暮らした可能性を追究して良い筈だ


ヤマト王権。。初代天皇(大王。。倭王)
 は征服王などではなく、吉備をはじめ
  出雲、東海、伊勢、越、畿内そして九州
   各地の強国に擁立された王だった!と


そして、纏向遺跡が邪馬台国や
 卑弥呼と関連付けられる昨今だが
  纏向遺跡はヤマト王権が置かれ。。
   箸墓古墳は卑弥呼墓でもないだろう





≪卑弥呼墓は、箸墓古墳ではない!邪馬台国は日本には無い≫<日本古代史界には、政治以上のプロパガンダ>【卑弥呼が日本列島の女王。。初代天皇が強大な征服王。。《どちらも違う》】


卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ば
 までに、倭国の中心が九州から近畿に移った


これは本当だろうと思っている

ならば。。
奈良桜井の纒向遺跡
 邪馬台国ではなく。。
  ヤマト王権発祥地だろう


邪馬台国は、古くは九州説
 が断然優勢。。しかし、この
  纒向遺跡が逆転HRとなり

   
箸墓古墳を卑弥呼墓として
 畿内、ズバリ奈良を邪馬台国に
  という畿内説が圧倒的に有利に


小生。。以前から
 卑弥呼の墓=箸墓古墳
  に非ず!という見解

   紹介しているが再掲
    したくなってきた

女王卑弥呼が
 統治したとされる
  邪馬台国は何処か


九州説と畿内説が
 大激論・対立してきた

纏向遺跡。。箸墓古墳
 が邪馬台国。。卑弥呼の墓
  という説の登場
により

畿内説が俄然有利になった経緯

しかしながら、
 箸墓古墳を卑弥呼墓
  とする根拠は、極めて貧弱


・この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある
  卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致する
・後円部にある段構造が前方部で消失することから、
  前方部が後世に付け加えられた可能性があること
・大規模な古墳の中では、全国でももっとも
  早い時期に築造されたものであること


まず卑弥呼の円墳直径
 百余歩=約150m

日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


よって、最初の条件で既に
 卑弥呼の墓、邪馬台国ともに
  日本国ではない可能性が出現


ふたつ目の条件
後円部にある段構造が
 前方部で消失を以って、
  前方部が後世に増築された
との説は

無理やり
 箸墓古墳を卑弥呼墓に合致
  させようとしている可能性


そして三つ目の条件
大規模な古墳中、
 全国でもっとも
  早い時期に築造
との説も

卑弥呼の墓は百余歩
 150m近くあれば
  それで済むし、そもそも
   記述が誇張の可能性


九州はじめ日本全国の
 数ある村落のうちの一つ
  邪馬台国の統治者
それを卑弥呼と仮定すれば
 大規模古墳である必要は無い

とすれば。。


纒向石塚古墳、ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、
纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、辻畑古墳
と数多く存在
そしてこの記事の
京都府向日市の国内最古級の前方後円墳
五塚原(いつかはら)古墳も条件を満たしてくる


小生。。3年近く前に
 既に邪馬台国は外国にあった
  可能性を示す説を紹介している


卑弥呼墓の大きさを150m
 としてみた、のは当初の見解
  それでも300mの箸墓古墳では
   あまりに大き過ぎると言ってみた


ところが。。卑弥呼墓の大きさ
 150mもないのではないか?
  とも思えてきた訳である・・・。


それに。。卑弥呼、本当に日本の女王か
 なぜ。。卑弥呼、このような字を充てるのか


中海道遺跡との関連。。
 初めて聞いた遺跡名である


京都五塚原古墳。。何度か取り上げた
 箸墓古墳との類似点?箸墓を卑弥呼墓
  とする前提での議論であるから大いに疑問


ただ。。箸墓のミニチュアという大きさ
 の点では、卑弥呼墓煮より近いと以前
  してみた訳だが。。訂正が必要なのだ


五塚原古墳でも大き過ぎるともいえるのだ


京都向日市の 五塚原(いつかはら)古墳
 小生。。以前にも取り上げたことがあるが
  全長91.2m。。卑弥呼墓のスケールに
   はピッタリである!箸墓では大き過ぎる!!



小生。。。

纏向遺跡や箸墓古墳を

邪馬台国だけに縛り付けてしまって
良いのか、
と素人ながら思ってはいた。


そんな中
現在、ある古代中国原典専門
40年のベテランが著した
書物を読んでいる

その著者が言うには
”邪馬台国”は日本に在らず

日本の歴史界が魏志倭人伝
 の訳を間違えている!!


つまり倭に至る出発点の
 場所から間違えている!!

ということらしい。。。


その本たるや
最初から3分の2ぐらいは、
中国の省や郡の場所がズラリ


さすがに、退屈で
 殆ど全て読み飛ばした

そして、
邪馬台国=倭=倭国 
は 中国もしくは朝鮮半島の根元

現在の中華人民共和国内
か北朝鮮内
だという。。。


あまりきいた事が無い説

このまま読み進んでいて良いのか!

単なる異端者の説ではないのか!


と思っている時に


司馬遼太郎の短編集を買ってしまった

そこで見たものは!


司馬遼太郎は
「倭とか倭国、倭人は中国の
  とある場所であり。。
   倭人とか倭とか呼ばれた場所
    が中国内に存在していた」
らしい

と言っている

既に1970年代に、である


司馬遼太郎が言ったからではなく、
そういう説が古来存在していた訳である


では
何故。。日本の歴史学者や歴史専門家達が大挙して
魏志倭人伝の倭に至る出発点を
間違えて訳してしまったというのか

という疑問も残る。。誰か気付いたはず


例えば、英(米)語や他の欧州語
なら日本の学者も読み慣れている
しかし中国の原典には
馴染みが少ない
のは確かにある


もしも、原典の訳を誰か
が間違えてしまい。。。

慣れない原典をあたらずに、
その訳を元に議論が極めて永年白熱
それならば、如何に方角・距離を
あらゆる角度から検証し直しても

・・・・・半永久に倭には到達出来まい

まだ、極めて不確かながら

邪馬台国という概念を。。。

・・・日本の歴史から削除しなければならない


となれば歴史学史上でも群を抜く大事件である!!が。。。


まず卑弥呼墓の円墳直径
 百余歩=約150m


日本の円墳で最大級は
 100m程度しかない
  この条件に見合う円墳は
   日本には存在しない


としてみた、小生の見解を訂正である

古代中国の一歩を。。1.4m程度と換算
 しかし、古代の中国の単位は同じ歩でも
  殷・周・秦・漢・魏・晋。。正に百変化に
   近い伸縮具合なのであり。。
要は

小生、古代史研究家の如く上手く
 綿密な論理では言えないのであるが

長里と短里、1歩=1.4mは長里であり
 短里とするならば。。0.3m程度なのだ


と、すれば!!卑弥呼墓は
 30m程度の円墳だったと考え直すべき!!


そして、従前従来から言っているように
 古代史。。いや考古学界は弱小学界である
  戦前は、皇国史観・軍部プロパガンダの前に
   正に完全に息を潜めざるを得なかったのであり


戦後ですら、やはり革新的な論述は
 避けているのが明白なのであり。。いや
  学界の構成員、史学・考古学者の中での
   右派の力が強いように思えてならない


それが、真相追究の道をより狭め遠ざけた


実際は、もう4年以上前の見解ではあるが
 日本考古学界。。弱小であり、戦前は勿論
  戦後も長らく、監視下。。皇国史観や国粋
   主義者等の目を気にして、いや今もだろう


邪馬台国や卑弥呼。。そして特に
 日本神話などは絶対に軽視出来ない
  唯一の国史。。史書であることを抜きに
   しても、顔色を窺わざるを得ないはずだ


歴史学界・考古学主流派
 邪馬台国畿内説学派の歴史家
  は、邪馬台国を纒向遺跡に。。
   箸墓古墳を卑弥呼墓に結び付け
    たがる傾向が強いのであろうが


どう考えても無理があり過ぎる訳だ


日本神話も、無視すれば文献が無く
 なってしまうが。。参考程度にすべき


そして、邪馬台国・卑弥呼のことは
 日本列島超古代の概念から除去必要


小生の理解では。。北部九州は
 確かに国内先進国だったが。。
  

主導権は、弥生時代のある時期
 から。。
吉備・出雲をはじめと
  して北陸地方にも移り始めており

   大陸から直接技術や材料を導入する
    力を持ち始めていたと漠然と感じて
     訳なのであるが。。


ならば。。邪馬台国も中小の勢力
 に入ることにはならないかね?

邪馬台国が日本列島を代表する
 首都であったという解釈が間違っている


吉備・出雲。。ひょっとして九州も
 近江・越(北陸)・東海・伊勢・畿内

 
各強国が神輿を担ぐように
 擁立勃興したのがヤマト王権であり


ヤマトの王。。倭王・大王は、長い間
 擁立してもらった強国各帝王たちに
  遠慮しなければならなかったのでは?

 
よって、初代倭王から
 数代。。欠史八代含め10代まで?いや
  それともそれ以降、10数代大王(天皇)まで
   世襲を許されなかったのは充分に頷ける話


歴史学界主流派から。。その手の
 話が出てきたのを聞いたことが無い


ヤマト王権が、強力な指導力を発揮
 し始めるのも。。歴史学界主流派が
  述べる見解よりもすっと後年だった


と考えて問題無いと思うのである


纒向遺跡は邪馬台国ではない
 箸墓古墳は、卑弥呼墓ではない

  ヤマト王権発祥の地が纒向遺跡
   これなら、納得も出来るというもの


ならば、箸墓古墳は初代倭王
 即ち、初代天皇墓ということなのか


違うと思えてならない
 皇国史観によって、またそれに
  抗えない古代史・考古学界
   による扇動・プロパガンダだ!


ヤマト擁立の各強国の最右翼
 キングメーカー吉備の大王墓に決定


では。。初代神武天皇はどういう人物
 だったと考えれば良いのだろうか。。

  恐らくまだまだ実権など皆無に等しく
   キングメーカーたちに気兼ねするような





≪邪馬台国畿内説学派が唱える。。箸墓古墳=卑弥呼墓説は、益々遠のいた≫<古代史には。。現代日本政治よりも、遥かに複雑・重厚な壁>【卑弥呼墓は。。今言われる古墳では、どれもデカ過ぎる!】


奈良県桜井市
 箸墓古墳。。全長278m
  超巨大前方後円墳であるが
   さらに大きくなる可能性
    全長300mに達するのか


小生、付近一帯を
 巡回して回ったことがある
  巨大古墳が点在する近隣
   しかし、箸墓古墳の姿は
    他の古墳とは、全然違った


池。。ため池?とにかく水辺が
 そこに浮かぶ島のような趣で
  姿・形が美しかったのは当然
   風格のようなものを感じた訳で


辺り一体の桜井や天理
 の巨大古墳を従えるような
  そんな雰囲気すらあった。。


5世紀の超巨大古墳
 伝仁徳天皇陵や応神天皇陵
  などの古墳最盛期とは
   時代も意味合いも全く違う


箸墓古墳の被葬者を
 邪馬台国畿内説の学者連は
  卑弥呼をヤマト王権に直結
   させて、そのけん引役に
    見立てようと躍起になるが


小生。。絶対に違うと考える

考古学研究会のセミナー
 に参加したときのことである


岡山県。。古代旧吉備国
 2世紀の楯築遺跡に注目すれば
  

桜井の箸墓古墳は
 この楯築遺跡の特徴を色濃く継承
  吉備の王との繋がりを権力基盤に

   という学者の説明をきいた訳で

そのヤマト王権勃興には
 吉備・出雲・畿内・伊勢
  北陸・東海と。。御輿を
   担ぐように、だとのこと
    なのは既に解明済みである


小生。。想像するに
 初期ヤマト王権の長。。倭王
  つまり、呼称は無かったにせよ
   天皇は、御輿のように担いだ
    各強国の王たちには、気兼ね
     現在の国連事務総長のような
      そういう存在ではなかったか


各強国の。。今で言う米・欧・ロ
 とりわけ、超強国の米国的存在
  それは恐らく。。いや確実に
   吉備。。もしくは吉備王権勢力


箸墓古墳クラスの超巨大墳墓
 築造には、数百万人から1千万人
  動員して、築造期間20年ぐらい
   は必要だったのでは、という試算


卑弥呼墓。。百余歩・・150m未満
 シャーマン的存在の30余国。。このクニ
  は村落といって言い訳で、日本の王
   とは考え難く。。卑弥呼では絶対無理


初代倭王(天皇)でもそれは困難で
 もっと、大物だったと考えた方が良い


間違い無い!初代倭王を生み出した
 超古代版治天の君。。ホントの倭王
  吉備の大王と考えた方が自然である


現代日本政治などよりも
 遥かに複雑かつ重厚な壁が
  存在する日本古代史・考古学


今後もさらに一層研究が必要な
 小生ではあるが。。現時点では
  優勢な邪馬台国畿内説学派が唱える
   箸墓=卑弥呼墓説には賛成出来ない


弥生時代の北部九州から
 日本の主導権・・”首都”は
  中国・山陽地方に遷り。。

   この件は、『神武東征神話』
    『邪馬台国東遷説』とも符合する


日本の神話は8世紀の編纂。。
 ヤマト勃興は3世紀の話である

  口頭伝承の最長期間は400年
   程度という説もあるにせよ。。


また、神話編纂者がヤマト王権発祥
 の逸話などを絶対に知らないにせよ

  やはり見事と言わざるを得ない訳だ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の初代天皇は強大であって
 欲しい、という気持ちは解らないではない


しかし、一般人ではなく
 一国の政権人が妄想とすれば話は別


新興宗教に取り憑かれたり
 ありもしない妄言を喧伝するならば
  北朝鮮以下と断じざるを得ない訳だ





天皇の生前退位で右派が内ゲバ! 小林よしのりは日本会議や渡部昇一に「天皇を奴隷化する国賊」と激烈批判
http://lite-ra.com/2016/08/post-2509.html

天皇の「生前退位」の意向を受け、「保守派」と呼ばれる人たちの間で“大分裂”が勃発している。
 本サイトでもレポートしてきたが、まずは7月、天皇が「生前退位」を希望しているという情報が公になって以降、安倍政権を支える「日本会議」界隈を中心に、反対の大合唱が起こった。
 たとえば、日本会議副会長の小堀桂一郎氏は〈事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻〉(産経新聞7月16日付)などといい、日本会議理事の百地章日本大学教授も朝日新聞など各媒体で「摂政を置けばすむ」「皇室典範改正は一時的なムードや私的感情だけで結論を急ぐようなことは慎むべき」という“生前退位反対論”を繰り返し主張している。
 これはつまり、「現人神」たる天皇を頂点とする国家神道のイデオロギーを利用した大日本帝国価値観の復権を狙う極右界隈から見れば、天皇は「生涯在位」でなければならず、皇室典範の改正、ましてや「生前退位」などもってのほかというわけだが、しかし、保守派のなかでもこうした“反対論”を真っ向から批判している人たちがいる。
 その代表例が、漫画家の小林よしのり氏だろう。よしりんは「週刊ポスト」(小学館)8月19・26日合併号によせた「ゴーマニズム宣言スペシャル 生前退位論」のなかで、〈政府は速やかに皇室典範を改正し、陛下のご意向を叶えてあげてほしい。それが常識ある国民の願いなのだから〉としたうえで、このように論じている。
〈天皇や皇族の方々は、国民が持つ「基本的人権」のほとんどが奪われている。移動の自由、転居の自由、思想信条の自由、表現の自由から選挙で投票する自由まで、我々が持っている自由のほとんどがない。
 天皇は国民ではないのだ。見ようによっては、天皇は国民の奴隷ではないのか? 
 天皇は民主主義の「自由」と「平等」という価値に反している。よってリベラル知識人の中には天皇を「被差別者」と見て、「天皇を開放すべきだ」という意見を持つ者もいる〉(引用者の判断で改行を改めた。以下同)
 そして、前述の百地氏のほか、渡部昇一上智大学名誉教授、加地伸行大阪大学名誉教授、大原康男国学院大学名誉教授、八木秀次麗澤大学教授らを名指しするかたちで、生前退位反対論者たちを痛烈に批判するのだ。

〈現に見よ! 自称保守派の者たちは、82歳の天皇の「退位」の自由すら妨害しようとしてるではないか! 彼らは天皇陛下を敬愛してはいない! 天皇の「自由意志」を封殺したがる。その根拠はなんなのか?
 彼らが天皇よりも自分たちが上だと思い込める原因は、実は憲法の「国民主権」にある! 自称保守派は、「国民主権」の名のもとに完全に天皇を奴隷化している!〉
「原因は憲法の国民主権である」という主張にはまったく同意できないが、よしりんの憤慨それ自体はもっともだ。実際、生前退位反対論者の言い回しは、明らかに天皇の人権を無視しまくったものばかりだからだ。
 たとえば加地伸行氏は、「WiLL」(ワック)9月号に「『生前退位』とは何事か」なるブチ切れ気味のタイトルの文章を寄稿。恫喝的な口調でこう捲くし立てている。
〈両陛下は、可能なかぎり、皇居奥深くにおられることを第一とし、国民の前にお出ましになられないことである。もちろん、御公務はなさるが、〈開かれた皇室〉という〈怪しげな民主主義〉に寄られることなく〈閉ざされた皇室〉としてましましていただきたいのである〉
 ようするに、“天皇はしゃべるな。皇居に閉じこもっておけ”ということだが、これは明らかに今上天皇が考え抜いてきた「象徴天皇」のあり方を全否定するものだ。今上天皇は8月の「お気持ち」ビデオメッセージのなかで、こう語っていた。
「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」
 ところが、加地氏をはじめとした保守派の生前退位反対論者たちは、この天皇の「お気持ち」とは真反対のことを唱える。
〈何よりも留意せねばならないのは「国事行為」や「象徴としての公的行為」の次元の問題ではなく、「同じ天皇陛下がいつまでもいらっしゃる」という「ご存在」の継続そのものが「国民統合」の根幹をなしていることではなかろうか〉(大原氏、前掲「WiLL」9月号)
〈天皇陛下は、ご自身が在位されることで迷惑を掛けるとお思いであると拝察するが、国民の一人としては在位して頂くだけで十分にありがたいという気持ちである〉(八木秀次氏、「正論」9月号/産経新聞社)

さらに、渡部昇一氏にいたっては、「生前退位」に反対しながら、この流れのなか巷間で再浮上してきた「女系天皇・女性宮家」論を牽制するかたちで、こんなことまで述べている。
〈皇室の継承は、①「種」(タネ)の尊さ、②神話時代から地続きである──この二つが最も重要です。
 歴史的には女帝も存在しましたが、妊娠する可能性のない方、生涯独身を誓った方のみが皇位に就きました。種が違うと困るからです。たとえば、イネやヒエ、ムギなどの種は、どの田圃に植えても育ちます。種は変わりません。しかし、畑にはセイタカアワダチソウの種が飛んできて育つことがあります。畑では種が変わってしますのです〉(前掲「WiLL」9月号)
 人間を「種」とか穀物に見立てる感性はあまりにも下衆としか言いようがない。結局、彼らの本音は「万世一系が揺らぐようなことがあってはならない。それだけを考えればいい」(渡部氏)というものなのだ。
 よしりんが怒りを爆発させるのも、こうした、天皇の「お気持ち」など全く考えず、ましてや自分たちの偏狭なイデオロギーのために正面から踏みにじるような論調が、保守派のなかで跋扈しているからなのだろう。よしりんは自身のブログでも、立て続けにこう批判している。
〈日本会議は天皇陛下を奴隷と思っているのか? これほどまでに「尊皇心」をなくすとは、極左以上! 日本会議は国賊集団である!〉
〈そもそも「日本会議」には尊皇心のひとかけらもない。125代にわたる天皇の一人ひとりを敬愛する気持ちなど全然なくて、男系血脈というY染色体を崇拝しているのである。そんなものは単なるカルトであって、日本人の伝統ではない〉
 ところで、読者諸賢のなかには、本来天皇を敬っているはずの「保守派」の人たちが、こうしてバラバラになっているのを不思議に思う向きがあるかもしれない。だが、とりわけ皇室論議をめぐっては、昔からこうした“内ゲバ”は日常茶飯事だった。昨年、脱右翼を宣言した民族派団体・一水会の木村三浩氏が、かつて刊行されていた雑誌「宝島30」(宝島社)で、「保守派」あるいは「右翼」と呼ばれる人たちの皇室に対する姿勢の違いをわかりやすく分類している(1994年1月号)。
 1つ目は、〈天皇陛下と皇室の尊厳は絶対である。たとえどんな形態になろうとも、陛下御自身が選ばれた道なのだから、最後まで忠誠を誓ってついていこうという立場〉であり、これを「尊皇絶対派」と呼ぶ。
 2つ目は、〈天皇陛下が自ら選ばれたことでも、それが伝統と大きくかけ離れているとすれば、諌めて正すべきだという考え〉だ。これを「諫言・諫諍派」あるいは単に「諫言派」と言う。
 そして3つ目が、〈一生懸命に諫言しても、聞き入れていただけなかったらどうしたらいいのか。天皇陛下の御意志についていけない〉という考え方で、これを木村氏は儒教で君主を変えることを意味する「放伐」に近い、と語っている。
 この分類で考えると、“天皇を皇居に閉じ込めろ!”“摂政を置け!”と主張する加地氏らは「諫言派」あるいは「放伐派」となり、反対によしりんは「尊皇絶対派」ということになるだろう。

だがまあ、本サイトとしては、今回の天皇の「生前退位」をめぐって、保守派がそうした思想分類すら当てはまらない“大混乱期”に移行しているのが興味深いところだ。
 櫻井よしこ氏などその典型だろう。櫻井氏は産経新聞8月9日付で、「お気持ち」のビデオメッセージについて語っているのだが、その内容は〈多くの国民の共感を呼ぶ〉〈個人として話されたことであるが、軽んじてはならない〉と、天皇の意向を大事にせねばならないという口調の一方、こんな意味不明な読解をもってして皇室典範改正や生前退位に反対している。
〈今回の事柄を、現行の皇室典範の枠の中で改定することを否定されていることも感じた。国民の側としては、よくよく考えなくてはいけない〉
〈政府は、悠久の歴史を引き継ぐ、ゆったりと長い大河の流れを見るようにして、このたびのお言葉について考えなくてはならない。軽々な変化は慎むべきだ〉
 この人はパラノイアなのか?とつっこまざるをえないが、実は、こうした詭弁が前述した御仁たちも含めてかなり見受けられるのだ。
 その最たるものが、産経新聞のオピニオンコラム「産経抄」だ。NHKが天皇の「生前退位」の意向の第一報を報じた翌々日にあたる、7月15日付「産経抄」では、〈責任感の強い陛下は、何より公務の削減にもどかしさを感じられているようだ。皇后さまと、ゆっくり過ごしていただきたい。心から願うとともに、もう一つの思いも消えない。たとえ公務がかなわなくなっても、天皇陛下のままでいていただきたい〉と、退位に否定的だったにもかかわらず、「お気持ち」のビデオメッセージ公開翌日の8日9日付では、前言を翻してこう述べている。
〈昨日の午後、ビデオで表明された「お気持ち」を聞いて、大いに反省した。なんとも、甘ったるいことを書いたものだ〉
〈皇室典範に規定がない「生前退位」の実現までには、課題が山積している。陛下はそれを十分承知の上で、心情を打ち明けられた。日本と皇室の未来のために知恵を絞ろう。国民はこれまで両陛下に甘えすぎていた〉
 この“転向”はなぜか。察するに、この産経抄の前日(6〜7日)に産経とFNNが合同で実施した世論調査が関係しているのではないか。
 本サイトでもお伝えしたが、フジ産経はこの世論調査で、“「生前退位」が可能になるように制度改正を急ぐべきか?”という趣旨の質問をし、70.7%の同意の回答を得ている。問題はその直後、こんな設問を置いていたことだ。
〈今後、天皇の「生前退位」が可能となるように、憲法を改正してもよいと思いますか、思いませんか〉
 何度でも指摘しておくが、「生前退位」を可能にするためには皇室典範を改正すればよい。そして、皇室典範は一般法だ。つまり、憲法改正はまったく必要ない。にもかかわらず、産経は恣意的に設問を置いて、なんと「思う」に84.7%も誘導したのである。完全に「生前退位」の議論を改憲に援用するためのミスリードだ。

まったく詐欺としか言いようがないが、しかも、恐ろしいのは、永田町でも憲法第5条に「生前退位」に関する文言を挿入しようという計画が浮上しているとも漏れ伝わってくることだ。ようするに、安倍政権は大真面目に「生前退位」を改憲のために政治利用しようとしているのである。
 これはもはや、先の分類における「諫言派」とか「放伐派」とか、そういう次元を遥かに超越している。いわば、「積極的政治利用派」とでも言うべき考え方が、いま、保守派のなかで蠢いているのだ。
 もちろんそのためには、表向き天皇の「お気持ち」に賛同し、そして内心では裏切る様々な具体的手段を講じる必要がある。前述した櫻井氏や産経抄は、まさにそれを地でいっているというわけである。
 その意味において、われわれは「生前退位」をめぐる保守派の“内ゲバ”を、全然笑ってみているわけにはいかないのだ。むしろ、国民世論に配慮しながら、日本会議など極右支持勢力にもいい顔をしなければならない安倍政権の性質を考えると、現実的な落としどころとして“「生前退位」を実現する代わりに、なんらかのかたちで改憲につなげる”というシナリオはかなり可能性が高い。
 もしかすると、国民は天皇の「お気持ち」以上に、これを改憲イデオロギーに利用しようとする連中の“策謀”に気を払わねばならないのではないか。そんな気がしてならないのである。
(編集部)



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≪安倍政権は保守ではない、しかも安倍総理は政治家でもない≫<国会議員を政治家と解釈すれば間違う>【官邸官僚・首席総理秘書官が全てを操る】


保守界隈なる方々の天皇に対する
 非尊敬っぷりには驚かされるばかり。


保守界隈とは、日本会議のことか
 いや、日本会議とは正式には
  日本青年協議会(現・日本協議会)
   が本体と考えて良いらしいのである

  
日本会議
「右派」「保守系」「民族主義的団体」「ナショナリスト組織」
  と日本の国内外で報道・分析されている。が、しかし


彼らは単に改憲勢力、保守でも右翼でもない







≪天皇皇后両陛下の思いをないがしろにする、首相安倍晋三≫【近代保守。。戦後日本保守の風上にもおけん!やはり辞めて貰わねば】



皇后美智子さま 首相が女性宮家創設を白紙に戻したことを憂慮  2014.06.07 16:00
http://www.news-postseven.com/archives/20140607_259776.html


小生も引っかかった。。典子女王の発言
 天皇皇后両陛下には、やはり何か
  憂慮される事柄がおありだったのか


小生。。女性宮家。。さらには
 女性天皇全く構わないと思う

  
何故ならば。。近代天皇家(皇室)
 側室から云々、いろいろあっただろう

  しかし、戦後天皇家・皇室。。正に
   テレビ・マスコミの注目の中。。


理想的。。国民の鏡となる家庭像
 これを体現されているのが皇室・宮家


皇室の親王・内親王。。
 宮家の王・女王。。
  がその家を継がれる
   これが大事なのであって。。


たとえば
天皇皇后両陛下の間に
 幸せながら。。皇太子殿下もおられる

  しかし、皇太子ご一家の内親王が
   天皇皇后両陛下の直系として
    皇太子殿下の跡を継がれる
     全く以って当然だと強く思う




『そして両陛下が心を痛められている“皇族の減少”への対策については、

《この状況の中で戦後、皇籍離脱した十一宮の中から、適当と思われる方に皇籍に復
 帰していただくことも検討してもいいと思います》

《すでに国民に広く親しまれている三笠宮家や高円宮家に、旧宮家から男系男子の養
 子を受け入れ、宮家を継承していく方法もある》

 と、どこか現実味を帯びない内容に終始するのみで、両陛下のお気持ちはないがしろ
 にされたままだった。

 それから1年半の歳月が経ったが、いまだ安倍政権が皇室典範改正に着手する動き
 は見られない。そんななか、発表された典子さまのご婚約。

 「もちろん典子さまは女王で内親王ではありませんから、野田政権が2012年10月に
 示した女性宮家の対象とはなりませんが、美智子さまとしては、典子さまが皇室を離
 れるお姿を間近でご覧になることで、将来の皇室への憂慮をさらに深められたと思い
 ます。これからひとり、またひとりとご結婚で皇室を離れていかれるわけですから」
 (宮内庁関係者)

 皇室ジャーナリスト・神田秀一氏もこう警鐘を鳴らす。

 「これから10年間に、次々とご結婚される女性皇族が出てくると思います。愛子さま、
 真子さま、佳子さまも皇室典範の改正が行われなければ、みなさま、典子さまと同
 じように皇室を出られるわけですから。本当に皇居に悠仁さまがひとりぼっちになっ
 てしまうという可能性があるわけです。だから一刻も早く、皇室典範改正の議論を再
 燃させなくてはなりません」』



養子じゃダメなんだ!
 旧宮家といっても、血が薄い
  現代日本皇室こそ血が重要だ


皇室と相容れぬ考えを持つ
 安倍晋三首相。。単なるタカ派
  の政治屋であり
・・・保守にあらず




【皇室を奉じる真の保守ではなく、昭和維新回帰】<靖国神社の変質>≪明治大帝~昭和天皇・今上天皇のご意思に背く安倍晋三≫

安倍晋三は保守
 などでは絶対にない


日本の保守とは
 270年近く続いた
  将軍=外様幕藩体制
   の終焉を受けて

明治新政府が発足
 ただ。。幕藩体制も
  元はといえば

戦国時代の下克上により
 成り上がった武将による
  体制であり、長年経て
   お上となったものである

幕藩体制終わり大政奉還
 皇室を奉じて
  明治天皇を頂いて


実際の執行部は
 幕藩体制でも、下級武士・下級公家
  が中心の新政府。。それも長州藩閥


戦国時代以上の
 成り上がり政府でもあった


明治以降近代日本保守
 戦後日本保守は、皇室を奉じる


A級戦犯合祀の靖国神社参拝
 といい。。安倍晋三という議員は
  保守とは絶対に言えない訳であり


皇室の意思に歯向かい
 正に国賊であり
  保守などでは絶対になく


タカ派標榜。。明治以来広義の
 軍国主義ではあるが。。
  国粋主義・皇国史観・国家神道
   極まる
昭和維新への回帰を狙う

安倍首相を政権に就けた
 自民党員の判断。。それ以上に
  自民党に多数議席与えた


国民・有権者の判断は
 民主主義の主権者の資格無く
  日本列島人の意識改革こそ
   必要であり、大いに反省求む


小生。。引き続き安倍政権打倒に
 全力投球する所存であるのは当然だ


今現在、少し訂正したい。大切なこと
 安倍晋三総理が首魁ではない、訳だ

日本会議(日本青年協議会)の政策
 を丸飲み。。安倍政権は日本会議に
  支配されている、ともいえそうだが・・。


それも違う!安倍総理・安倍内閣
 そして安倍政権は看板に過ぎない


官僚機構。。そしてそれを束ね。。
 日本会議の要求を受け入れ、そして
  大事なことは財務省や外務省・経産省


つまり官僚機構とタッグで
 政務首席総理秘書官が全て担うのだ




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≪安倍政権を操る官邸官僚・官僚機構と日本会議の狙い≫<憲法9条ではなく緊急事態条項>【これぐらい、と絶対に騙されてはいけない】



憲法改正項目、緊急事態条項など軸に
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS10H8F_Q6A710C1PE2000/

具体的な憲法改正項目として与野党間で議論が進みそうなのが大災害時などの対応を定める「緊急事態条項」を設ける案だ。公明党や民進党にも必要性に理解を示す声があり、与野党間での合意が得やすいとみられるためだ。自民党草案に盛り込んでいる憲法9条の改正は困難な情勢だ。

 緊急事態条項は大規模災害や武力攻撃を受けた際、国が素早く効果的に対応するため、一時的に内閣の権限を高め、個人の権利や自由を制限したりできる…



比較的与野党で同意が得られそうな
 という大手紙他大マスコミ論調が目立つ


しかし、とんでもない!政府の圧力か!





国家緊急権

戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限





≪日本政府=官僚機構が操り、日本会議の政策を飲む安倍政権≫<緊急事態条項・家族条項>【彼らが目指すのは、戦争に向かって一丸となる国】


晴耕雨読
http://sun.ap.teacup.com/souun/20427.html

「日弁連での講演の「おまけ」部分:内田樹氏」  その他
https://twitter.com/levinassien

日弁連でやった講演の記録のその最後の「質疑応答部分」だけ「立ち読み」公開します。それでも十分長いですけど。http://blog.tatsuru.com/ どぞ。



今行われているすべての制度改革は、改憲も含めて、
すべて「ありえない経済成長」のためのシステム改変なんです。


「日本のシンガポール化」です。

シンガポールの人には申し訳ないのですけれど、シンガポール
という国は全く資源がないわけです。都市国家ですから。資源
がない。土地もないし、水もないし、食べ物もない、自然資源も
ない。何もない。生きるために必要なものは全部金で買うしかない。

だから、国是が「経済成長」になる。経済成長しなければ飢え死に
するんですから、必死です。全国民が経済成長のために一丸とな
る。だから、

効率的な統治システムが採用される。一党独裁だし、治安維持法
があって令状なしに逮捕拘禁できる、反政府的な労働運動も学生
運動も存在しないし、反政府的なメディアも存在しない。そういう
強権的な社会です。日本もそういう社会体制にすれば・・・。



一党独裁

治安維持法
があって令状なしに逮捕拘禁できる

=今その社会目指す

反政府的な労働運動も
学生運動も存在しないし、

反政府的なメディアも存在しない


今の日本、背後に日本政府が
 控えて操る安倍政権は。。正に
  この状態を目指しているように・・・。




≪参院選で『改憲4党』で2/3確保!≫<これは「官報複合体の目論み」で安倍政権と改憲党を勝たせるために>【テレビでは参院選を取り上げなかったからだ】
 

まず。。改憲4党で2/3という参院選
 この決定的焦点に、有権者が気付かず
  投票に赴いた可能性が極めて高いのだ


テレビでは、都知事選ばかりに焦点
 参院選の扱いが殆どと言って良いほど
  無かったのにはびっくりしたし、極めて残念


ただ。。ネットでは新聞系はじめ大マスコミ
 は改憲勢力云々に触れてはいた。。
が!
  国民に広く拡散するのはやはりテレビだ


あと、もう一つ言えることは
 改憲というと、我々普通の日本国民は
  すぐに憲法9条改正を思い浮かべるが

   自民党とその背後勢力(日本会議)の
    狙いは、最終9条改正とはいえ、まずは
     戦争可能な国になるための外堀埋め・・。



党議拘束を前提とした「数の論理」でよいのか
 確かにそうだ!自民党にも様々意見がある
  無ければオカシイ!他党・野党も当然である


憲法に対するスタンス。。改憲と一口に
 言っても条文それぞれに様々な見解がある
  一見改憲派でも9条改正に反対もあるし
   一見護憲派に見えても実は会意見派もある


2/3を占めたという見出しは虚しく見える

安倍政権と自民党の改憲。。結党自体
 憲法改正を党是、であるから当然だが
  いきなり憲法9条改正はいくら何でも無茶

   背後の日本会議は緊急事態条項と家族
    尊重条項をまず狙いとし照準絞る訳である



緊急警告012号 自民党改憲草案「家族条項」の危険性

自民党改憲案「家族条項」の真意は?



それを知ったうえで、今回の参院選
 テレビがなぜ参院選に焦点あてなかったか


政府=省庁と、官邸官僚=影の総理
 が目論み、新聞・テレビの大マスコミ
  がそれに応えて国民を騙し攪乱する


官報複合体が機能しているのは確実


安倍政権というが。。官僚機構から
 派遣される首相秘書官と各省庁
  の連係プレーということ、
安倍首相が
   そういうことに長けている印象無し


プロンプターの文字の大きさ
 に注文つける?そりゃそうだ
  読めなかったら大変なことだ


しかし、絶望的な日本
 その政治状況こそが破滅的

  政権与党など。。どこが
   なっても大差ない、ともいえる


昭和までの自民党は、古いこともあるし
 他の政党が存在しないことにも免じて
  敢えて言わないことにしよう。。
が!!

竹下内閣時代には崩壊の兆し
 があったかも知れない!とだけ・・。

そこから坂道を転げるように。。
 仮にも、政治プロパガンダの象徴
  内閣総理大臣の地位は墜ちに堕ち


ついに、1993年自民党が結党以来
 初の政権からの転落を喫する訳だが

  ここから「表向き連立政党政治」が始まる

自社さ連立。。ここで自民党はまず
 別の政党に生まれ変わった!
実は
  その前、リクルート事件で自民党は
   既に役割を終えていたが。。
無理に延命

決定的なのは、自民党=麻生太郎内閣を
 NO!といって。。衆議院120議席にまで
  落ちに落ち、その後安倍晋三カムバック
   総裁の下、290余議席にバブル増大議席


これでザックリ!アバウト!170人の新人
 ばかりの別政党になってしまったということだ


現第三次安倍政権も、官僚機構が企画
 大新聞・大マスコミが扇動提灯御用報道で
  強い内閣を演出しているが。。官僚が梯子
   を外し。。大マスコミが提灯報道止めれば
    悪夢の民主党内閣以下になる!ということ

日本のメディアの許し難い報道は戦犯もの
 しかし、それに騙される国民も悪いのは自明


自民党中心に、維新の党の橋下徹配下
 それに民主党も例外ではなく。。
官僚機構
  のタカ派や増税推進派、それに原発推進派
   が手を突っ込んで操っている疑いが消えない


といって、維新のリベラルとか
 僅かに存在の自民リベラルには

  官僚機構の穏健派が手を突っ込み
   レクチャーしている可能性すらある!





≪第二次安倍晋三政権発足以降のこの3年半≫<息苦しく欺瞞に満ちた隠蔽・扇動体質。。これが崩壊しない限り>【官報複合体=淵源は民主党内閣時代】



木村草太の憲法の新手(36)「安倍首相ラジオ事件」 出演拒否、情報の多様性失う
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=178775



改憲。。ひとことに言っても
 憲法9条改正へは一足飛び
  に突入はいくらなんでも無理


外濠埋めに、いや本丸以上に
 危険な
緊急事態条項と家族条項


この安倍政権の目下の標的は
 日本会議=日本青年協議会
  そして日本政策研究センター
   が練り温めてきた政策そのまま


ベストセラー『日本会議の研究』著者に聞く その怖さと強さの秘密

政策は日本会議周辺のもの
 しかし選挙で多数派は創価票
  マスコミ使い国民洗脳・隠蔽は
   官報複合体が作動して列島蹂躙



日本政府が操る安倍政権
 が目指すのは、
経済成長に
  一丸となるシンガポールとは
   似て非なるものではないのか


戦争に向かって一丸となる国家作り


緊急事態宣言。こんな権限を
 総理大臣如きに与えるなど考えられない


今や「派閥の論理」で決定すら怪しい
 自民党総裁が横滑りの総理になど。

ならば、国会議員は立法=議決要員
 にのみ参画、総理・閣僚への就任禁止だ。

が尚、総理に巨大権限付与など無理である

緊急事態時憲法秩序を一時停止。
大日本帝国では現人神が保持した権限。

それを、米仏露大統領とも欧州首相・宰相
 とも違う、
凡人国会議員・内閣総理大臣如き
  に
何故そんな大権を与えることが出来るのだね?




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安倍総理及び安倍政権と日本会議
 周辺界隈は、
保守でも右翼でもない
 
戦争時日本政府と軍部中核の信奉者
 天皇と皇室を蔑ろにする国賊なのである